『赦しの魔女』なので、復讐はしないと決めています

逢坂ネギ

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第28話 夜と別れ

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「き……さま……なにを」
「あなたの事は、赦さないと言ったのです。閣下」

 リュネは静かにルシアンを見下ろしたまま続ける。それはまるで、宣告するかのように単純で、確固たる声色だった。

「わたしは『赦しの魔女』として……ただのリュネとして、『あなたを赦さない』ことを、赦そうと思います」
「しょう……たい、見たり……だな」

 ごぼ、と彼の喉奥で濁った音がした。もう顔色は青く、つやつやとしていた金色の眼は、ここではない遠くを見ているようだった。

「セレスティア! 綺麗事を、言ったつもり、だろうが……貴様は、人殺しだ! ここで私を見捨てたこと、かなら、ず……」

 ルシアンの声が途絶える。もう、荒い呼吸音も細い。

「……そんなこと、ここに来た時から承知の上よ」

 さようなら。
 その言葉が、彼に届いたのかは、分からない。ぼやけた金の目で、ルシアンはリュネを呪ったままその時間を止めた。

「逝ったか」
「……ええ。最期まで、わたしのことを見ようともしなかった」

 リュネは、見開いたままの彼の目を閉じさせる。カイルはただ冷たい目で、もう動かない兄を見下ろしていた。その感情は深く、読み切れない。
 
 リュネは命を止めた男のことをじっと見つめる。印象的な猛禽類のような目が見えなくなると、あんなに恐ろしかった彼はもう、本当にただの人間のようでしかなかった。

(ルシアン……お兄さま。わたしは、あなたを殺したわたしのことを、赦さないわ……生涯ずっと)

「なあ、リュネ」
「なあに」
「俺は……この手で人を殺したことを、生涯忘れねえぞ。肉を刺した感触も、血のにおいも、剣の重さも、全部」

 カイルは拳を握る。その指先には血の跡が生々しく残っていた。リュネはくちびるを結び、ゆっくりと立ち上がる。

「……そうね。わたしたちが、生きている限り背負わなければならない罪なんだわ」

 自由を得るためだった。復讐を遂げるためだった。選択を見届けるためだった。
 でも、そうやって事実を曇らせては、いけない。一人の人間の命を奪った罪は、見ないふりをしても消えないのだ。
 
 それは、リュネもカイルも同じ気持ちだったらしい。同じだったことが、本当によかった。

「……行きましょう」

 リュネはカイルの手を引いて、教会から抜け出す。彼だけにその血を被せないように。
 ふと、振り返りそうになった心を、ぎゅっと留めた。もう別れは、済ませたから。
 
「なあ」
「なあに」
「本当に、いいのか」
「——カイル。あなたはやっと、過去の因縁を断ち切った。だからもう、自由になっていいの」

 半壊した家々の合間を走りながら、リュネは言葉を噛み締めるように並べる。
 草を踏みながら前へ進む最中、ふと、数時間前の作戦会議のことを思い出していた。
 
『ルシアンを討ったら、あなたは遠くに逃げて』

 細いろうそくの火に照らされた彼の顔が、困惑したように歪む。けれどリュネは断固として言葉を続けた。

『あなたは自由を得るために、彼と戦う。わたしは、それを理解するし赦すけれど、審判院はそうはいかない』
『あんたは、どうするんだよ』
『わたしは……『ルシアンを呼び出した教会が偶然崩落して、奇跡的に助かった』ことになるだけよ』

 刹那、衝撃音。それから、小石混ざりの爆風がからからと飛び散る。ざわめく声は、きっと討伐隊のものだろう。どうやらルシアンは、教会に行くこと自体は、部下に伝えていたらしい。

(でも、探知魔法を使って調べたけど、周辺含めて、あの場にいたのはわたしたちだけ……もし、ルシアンに従者の一人でも連れてくる勇気があったなら、わたしたちの賭けは失敗していた)

 ルシアンは優秀だった。大貴族の当主で、勉強も剣術もできて、人の心が読めるほど敏い。
 けれど、ゆえに、他人を信じないひとだった。

 『セレスティア側から呼び出しを受ける』という不確定要素に、最も信じられる相手——つまり、自分しか切れるカードが無かったのだ。

(わたしたちは、二人がかりだった。だから、あなたを打ち破れたのかもしれない)

 けれど。
 この村に居続ければ、カイルはどうしたって『過去』に囚われてしまう。人を殺したという罪。ひいては、アルノ家のこともすべて。
 それでは、彼の自由は得られない。
 
 だからたとえ離れ離れになっても——自由も罪も、ふたりで分け合うのだ。
 
「ねえ、カイル。あなたはもう、どこへだって行けるし、何をしてもいい。選んで、決めて、通す力は、もう十分にあるから」
「……でも」
「心配しなくても、この村は平気よ。だってわたし、魔女だもの。奇跡だって起こせるわ」

 そうしてふたりは、村外れに辿り着く。ほんの数分で着いてしまった。用意していた荷物を背負い、馬を引き連れてくる。

 話し足りない。まだ、まだ、たくさん話していたいのに——。リュネはふっ、と微笑んでいた。
 言葉を重ねると、本当に別れがたくなってしまうから。あえて余裕ぶって。
 
「たくさん世界を知って、戻りたくなったらいつでも帰っていらっしゃい」
「……リュネ」
「アウレリオ……ううん、カイル」

 カイルが腕を広げる。だから、リュネはめいいっぱいの力で、その身体をぎゅっと抱きしめた。土ぼこりと、血と、汗のにおい。
 けれど、温かくて呼吸の度にふくらんではしぼむ、生きた人間の身体。

「愛してるわ」

 頬を擦り寄せ、それからリュネはカイルの頬にそっとくちびるを落とした。一瞬、驚いたように彼の肩が跳ねて、それから堰を切ったように、強く、強く抱きしめられる。

 抱きしめられた胸の奥から、震える呼吸が伝わる。解けた髪の一房が、柔らかく彼の指に通された。

 そして、それがきっと答えだった。

「たとえ遠く離れても、あなたのことをずっと想っているわ。幸せになって。そして、どうか、どうか生きていて……」
「……ああ、ああ」

 低く掠れた声が耳元で聞こえる。永遠みたいにそうしていたかった。いっそここで世界が終わればいいと、夢想してしまうほどに。

 けれど彼には、自由を赦すと決めたから。
 
 まだ身体の形が名残惜しいまま、ふたりは離れ、カイルは馬に乗る。一瞬、視線が交差するが、彼は迷いを払うように背を向けた。

 それはまるで、ふたりの出会いと別れを象徴するかのように。
 
 そしてそのまま、彼は手網を握り直すと、ひとつも振り返ることなく駆けて行った。まばたきの間に、彼の姿は遠く、小さくなる。

 さようなら。カイル。

 涙がひとつぶ、頬を伝う。森の木々をなぞるように朝日が差し込む。その光が、もうすっかり遠ざかった彼の背を緩く撫でている。
 永い夜が今、終わりを迎えた。
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