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第4話 奇跡の秘術
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息が止まる。リュネは目を見開いたまま、最大限の集中力を深い傷に向けていた。
失敗は、許されない。指先が震えている。それを、力を込めて抑えた。
感情は、外に追い出さないと。
指先に込めた魔力が淡い緑の輝きを放つ。それを、えぐれてしまった皮膚の端から、ゆっくり、ゆっくりと埋めていくのだ。
そうすると、お湯が湧き始めるみたいに真っ赤な肉が膨れて、徐々に傷口を小さくしていく。新しく出来上がったばかりの皮膚があらわになっていく。
急いではいけない。けれど、のんびりもしていられない。頭の中が整理されていく。次にやること、意識しないといけないこと、周りの気配——。そのすべての情報が流れ込んできて、冷静に処理している。
「……っ、は」
これ以上は、というところで、リュネは息を思い切り吐いた。泡が弾けるように集中力が飛び、くらりとその場に崩れる。
瞬間、石の床がくるくる回りだし、鎧でも着せられたかのような重みがどっと体に被さってきた。
「……ぅあ、頭いた……」
きりきりと締め付ける頭を押さえて、それでもリュネは体を起こす。彼は——とりあえず、酷い傷口は塞がれていた。まだ薄く体液の滲む部分はあれど、包帯で処置できるほどに治まっている。
脈も、弱いけどある。息、している。血色は……まだ戻らないけれど、かろうじて繋いだ。魔力で傷口を覆っているから、瘴気が蝕むこともないだろう。
けれど油断はしていられない。リュネは彼の傷口に包帯を巻き付け、付近にあった毛布で体を包んだ。
ここから先は、彼の体力次第だ。
からからになった喉に唾液を飲み下し、リュネはもう一度ため息をつく。心臓の音がやけにうるさい。がたがた震えている手をぎゅっと握りしめる。
(おばあちゃま……)
『——お前のそれは、世界の理さえ曲げる力だ。そんな大きな力を使えば、必ず代償が起こる』
幼い頃、死んでしまった小鳥を生き返らせてしまったとき、老婆はそう言った。
ただ怪我を治してあげたかっただけなのに。当時はそう思っていたが、その後三日ほど熱を出してしまったので、身をもって知ることとなったのだ。
この力は、強大だ。けれど、無限に使うことはできない。
(あの小鳥も、結局その後すぐに死んでしまって……)
ぞっとする。ひゅっと息の音が喉奥で響いて、リュネは咄嗟に青年の手を握っていた。
肩が強ばる。手の冷たさがしんしんと押し寄せてくる。彼の温度が皮膚の奥まで染み込んでくるような——。
また、同じことを繰り返したのではないか。そう思ってしまって。
それでも。リュネはぶるんと首を横に振った。
(大丈夫。今のわたしには、魔女としての知識があるわ)
「魔女さま……」
背後のドアが開いて、修道女たちがぞろぞろと戻ってきた。みな一様に不安そうな顔をして、リュネのことを窺っている。
だからリュネは、あえてゆっくりと、毅然とした態度で立ち上がり、そっと微笑んでみせた。
「……血は止まったわ。まずは、安心して」
少女たちの間に安堵の空気が広がる。中には立っていられなくなった者さえいた。
彼女たちが駆け寄り、傷の様子を確認している間に、リュネは淡々と続ける。
「けれど、随分出血してしまったから……まず、体を温めて。栄養も取らせなきゃ。傷が熱を持ち出したら冷やして、それから……」
「湯たんぽ持ってきました!」
「毛布、奥にもっとあったよね。持ってきましょう」
わっ、と修道女たちは動き始めた。それは、先ほどまでの悲壮感ある戦いでは無い。与えられた奇跡を、それが一瞬のきらめきに終わらないよう、全力を尽くしている。
ふと、少女のひとりがリュネを見上げた。それはついさっき、堪らず嗚咽を漏らしていた少女だった。まだ幼さの残る頬をふくりと持ち上げ、目元がきゅっと笑う。
「魔女さま。ありがとうございます!」
ああ。
リュネは、まだ乾いた血の付いた指先をぎゅっと握りしめる。全身に感情がみなぎっていくのが分かった。まるで、頭痛もめまいも疲労感も、この体に与えられた代償なんて、どうでも良くなってしまうような。
力を使うことに後悔なんてなかった。自分で決めたことだから。それでも——。
「……ううん。こちらこそ。ありがとう」
リュネはふわりと表情を緩めていた。視界が、少しだけ滲んで見えていた。
☆☆☆
青年の経過は、素晴らしいほど順調だった。意識こそ回復はしていないものの、傷口を埋めた魔力は着実に彼の肉体に馴染み、命を死から遠ざけている。
あとは、目を覚ますのを祈るばかりだ。いや、祈るのでは無い。
救うために、行動あるのみ、だ。
「魔女さま。少しお休みになられた方が……」
夜明けの近い救護室。修道女のひとりがおずおずと尋ねてくる。薬草を擦り合わせる手を止めて、リュネはふっと口角を上げた。
「大丈夫。あなた達こそ、ずっと働き詰めでしょう。きちんと休んで」
「私たちは交代してるので……魔女さまは、もう三日もつきっきりで看病しているじゃないですか」
「彼が目を覚ますまでは見届けたいの。心配してくれてありがとうね」
彼女は分かりました、と血で汚れた包帯を持って去っていった。ふっ、と息を吐くと、どろりとした重みが身体中にのしかかる。ぱさぱさになった髪の束が一房、束ねていた髪紐からこぼれた。
正直、疲労感が無い訳では無い。が、そこはどうとでもなる。自身の体に魔力を流せば、ある程度の疲れなんて無視できるから。
(このくらいなら、二日くらい眠れば済むはずだし……)
それよりも、何かの間違いで、彼の命が死神に連れていかれてしまう方が、ずっと恐ろしい。
液体を混ぜ合わせつつ、リュネは彼の眠るベッドに向かう。手元の椀には、特製の薬湯。複数の体力回復の効力がある薬草に加えて、活力回復の『おまじない』をかけた、超回復薬だ。
味はともかく、患者の身体に負担をかけない最大限の効果をもたらすのは確実。実際、毎日飲ませているおかげで、顔色は随分マシになってきている。
どろりとしたそれを匙に掬い、いつもの通り彼の口に流し込もうとした、その時だった。ぴく、と薄いまぶたが震えたのだ。はっとリュネは息を飲む。
「……ぅ、ここ、は」
黒髪の隙間。青年の、ぼうっとした琥珀色の目が宙をさまよう。リュネは器を置いて、彼の顔を覗き込んだ。前髪を払い、その額の汗を指先でそっと拭う。
「ここは教会。あなたは馬に乗ってここに来たの。覚えてる?」
ぼさぼさの黒髪が頷く。痛みがあるのか、顔を僅かに歪めながら、彼は視線だけでリュネのことを見上げた。その目がゆっくりと見開かれていき——
「……お前、アルノ、の」
アルノ。
その単語に、一瞬、リュネの動きが止まる。忘れられるはずのない単語。もう二度と聞くはずがなかった言葉。渡すつもりだった吸い飲みの中の水が揺れる。
(なぜその名前を……? 彼は、一体何なの?)
聞きたい。怖い。浮かんでは頭を占める疑問を解消したい。
けれど今は——。
リュネは密やかに息を吐いて、彼の口元に吸い飲みの器を寄せた。まだ白いくちびるがそれをそっとつまむ。
「……いいえ。私はリュネ。魔女よ」
「ま、じょ」
「そう。あなたは?」
青年はまだ視線を迷わせている。やがてそれがふっ、と伏せられると、一言一言を噛み締めるように、低い声が並べられた。
「……おれは、カイル」
「カイル?」
「そう。ただの、カイルだ」
青年——カイルのまなこが不敵に光を放つ。ただ一言が、重く鈍く光る刃物のようで。その不気味な静けさに、わけも分からず息が浅くなっていた。
カイル。そう名乗る青年の、熱と虚ろを纏うただならぬ雰囲気に、リュネは言葉を失っていた。
失敗は、許されない。指先が震えている。それを、力を込めて抑えた。
感情は、外に追い出さないと。
指先に込めた魔力が淡い緑の輝きを放つ。それを、えぐれてしまった皮膚の端から、ゆっくり、ゆっくりと埋めていくのだ。
そうすると、お湯が湧き始めるみたいに真っ赤な肉が膨れて、徐々に傷口を小さくしていく。新しく出来上がったばかりの皮膚があらわになっていく。
急いではいけない。けれど、のんびりもしていられない。頭の中が整理されていく。次にやること、意識しないといけないこと、周りの気配——。そのすべての情報が流れ込んできて、冷静に処理している。
「……っ、は」
これ以上は、というところで、リュネは息を思い切り吐いた。泡が弾けるように集中力が飛び、くらりとその場に崩れる。
瞬間、石の床がくるくる回りだし、鎧でも着せられたかのような重みがどっと体に被さってきた。
「……ぅあ、頭いた……」
きりきりと締め付ける頭を押さえて、それでもリュネは体を起こす。彼は——とりあえず、酷い傷口は塞がれていた。まだ薄く体液の滲む部分はあれど、包帯で処置できるほどに治まっている。
脈も、弱いけどある。息、している。血色は……まだ戻らないけれど、かろうじて繋いだ。魔力で傷口を覆っているから、瘴気が蝕むこともないだろう。
けれど油断はしていられない。リュネは彼の傷口に包帯を巻き付け、付近にあった毛布で体を包んだ。
ここから先は、彼の体力次第だ。
からからになった喉に唾液を飲み下し、リュネはもう一度ため息をつく。心臓の音がやけにうるさい。がたがた震えている手をぎゅっと握りしめる。
(おばあちゃま……)
『——お前のそれは、世界の理さえ曲げる力だ。そんな大きな力を使えば、必ず代償が起こる』
幼い頃、死んでしまった小鳥を生き返らせてしまったとき、老婆はそう言った。
ただ怪我を治してあげたかっただけなのに。当時はそう思っていたが、その後三日ほど熱を出してしまったので、身をもって知ることとなったのだ。
この力は、強大だ。けれど、無限に使うことはできない。
(あの小鳥も、結局その後すぐに死んでしまって……)
ぞっとする。ひゅっと息の音が喉奥で響いて、リュネは咄嗟に青年の手を握っていた。
肩が強ばる。手の冷たさがしんしんと押し寄せてくる。彼の温度が皮膚の奥まで染み込んでくるような——。
また、同じことを繰り返したのではないか。そう思ってしまって。
それでも。リュネはぶるんと首を横に振った。
(大丈夫。今のわたしには、魔女としての知識があるわ)
「魔女さま……」
背後のドアが開いて、修道女たちがぞろぞろと戻ってきた。みな一様に不安そうな顔をして、リュネのことを窺っている。
だからリュネは、あえてゆっくりと、毅然とした態度で立ち上がり、そっと微笑んでみせた。
「……血は止まったわ。まずは、安心して」
少女たちの間に安堵の空気が広がる。中には立っていられなくなった者さえいた。
彼女たちが駆け寄り、傷の様子を確認している間に、リュネは淡々と続ける。
「けれど、随分出血してしまったから……まず、体を温めて。栄養も取らせなきゃ。傷が熱を持ち出したら冷やして、それから……」
「湯たんぽ持ってきました!」
「毛布、奥にもっとあったよね。持ってきましょう」
わっ、と修道女たちは動き始めた。それは、先ほどまでの悲壮感ある戦いでは無い。与えられた奇跡を、それが一瞬のきらめきに終わらないよう、全力を尽くしている。
ふと、少女のひとりがリュネを見上げた。それはついさっき、堪らず嗚咽を漏らしていた少女だった。まだ幼さの残る頬をふくりと持ち上げ、目元がきゅっと笑う。
「魔女さま。ありがとうございます!」
ああ。
リュネは、まだ乾いた血の付いた指先をぎゅっと握りしめる。全身に感情がみなぎっていくのが分かった。まるで、頭痛もめまいも疲労感も、この体に与えられた代償なんて、どうでも良くなってしまうような。
力を使うことに後悔なんてなかった。自分で決めたことだから。それでも——。
「……ううん。こちらこそ。ありがとう」
リュネはふわりと表情を緩めていた。視界が、少しだけ滲んで見えていた。
☆☆☆
青年の経過は、素晴らしいほど順調だった。意識こそ回復はしていないものの、傷口を埋めた魔力は着実に彼の肉体に馴染み、命を死から遠ざけている。
あとは、目を覚ますのを祈るばかりだ。いや、祈るのでは無い。
救うために、行動あるのみ、だ。
「魔女さま。少しお休みになられた方が……」
夜明けの近い救護室。修道女のひとりがおずおずと尋ねてくる。薬草を擦り合わせる手を止めて、リュネはふっと口角を上げた。
「大丈夫。あなた達こそ、ずっと働き詰めでしょう。きちんと休んで」
「私たちは交代してるので……魔女さまは、もう三日もつきっきりで看病しているじゃないですか」
「彼が目を覚ますまでは見届けたいの。心配してくれてありがとうね」
彼女は分かりました、と血で汚れた包帯を持って去っていった。ふっ、と息を吐くと、どろりとした重みが身体中にのしかかる。ぱさぱさになった髪の束が一房、束ねていた髪紐からこぼれた。
正直、疲労感が無い訳では無い。が、そこはどうとでもなる。自身の体に魔力を流せば、ある程度の疲れなんて無視できるから。
(このくらいなら、二日くらい眠れば済むはずだし……)
それよりも、何かの間違いで、彼の命が死神に連れていかれてしまう方が、ずっと恐ろしい。
液体を混ぜ合わせつつ、リュネは彼の眠るベッドに向かう。手元の椀には、特製の薬湯。複数の体力回復の効力がある薬草に加えて、活力回復の『おまじない』をかけた、超回復薬だ。
味はともかく、患者の身体に負担をかけない最大限の効果をもたらすのは確実。実際、毎日飲ませているおかげで、顔色は随分マシになってきている。
どろりとしたそれを匙に掬い、いつもの通り彼の口に流し込もうとした、その時だった。ぴく、と薄いまぶたが震えたのだ。はっとリュネは息を飲む。
「……ぅ、ここ、は」
黒髪の隙間。青年の、ぼうっとした琥珀色の目が宙をさまよう。リュネは器を置いて、彼の顔を覗き込んだ。前髪を払い、その額の汗を指先でそっと拭う。
「ここは教会。あなたは馬に乗ってここに来たの。覚えてる?」
ぼさぼさの黒髪が頷く。痛みがあるのか、顔を僅かに歪めながら、彼は視線だけでリュネのことを見上げた。その目がゆっくりと見開かれていき——
「……お前、アルノ、の」
アルノ。
その単語に、一瞬、リュネの動きが止まる。忘れられるはずのない単語。もう二度と聞くはずがなかった言葉。渡すつもりだった吸い飲みの中の水が揺れる。
(なぜその名前を……? 彼は、一体何なの?)
聞きたい。怖い。浮かんでは頭を占める疑問を解消したい。
けれど今は——。
リュネは密やかに息を吐いて、彼の口元に吸い飲みの器を寄せた。まだ白いくちびるがそれをそっとつまむ。
「……いいえ。私はリュネ。魔女よ」
「ま、じょ」
「そう。あなたは?」
青年はまだ視線を迷わせている。やがてそれがふっ、と伏せられると、一言一言を噛み締めるように、低い声が並べられた。
「……おれは、カイル」
「カイル?」
「そう。ただの、カイルだ」
青年——カイルのまなこが不敵に光を放つ。ただ一言が、重く鈍く光る刃物のようで。その不気味な静けさに、わけも分からず息が浅くなっていた。
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