『赦しの魔女』なので、復讐はしないと決めています

逢坂ネギ

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第3話 来訪者

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 『それ』は、一段と冷え込んだ日だった。
 
 リュネはうとうととしながら、本を読んでいた。先日やってきた行商人から購入したものだ。
 
 魔女の薬は一子相伝。とはいえ、古きに縛られていては発展はしない。もっと効果のある混ぜ方や、知らない薬草の知識を得るためには、外部からの情報が必要となる。
 これからは風邪や病気が増える季節。少しでも失われる命が少なくなるよう、勉強し続けることが大切だ。
 
(とはいえ、この辺りは雪があまり降らないから、まだ過ごしやすい方よね)
 
 アルノの領地は、雪深かったことを覚えている。
 もうこの時期なら、初雪が積もり始めている頃だろう。暖炉の火が煌々と燃える部屋の中で、雪遊びをしている子どもを見たことがあった。

 あの頃は、そんな子たちが羨ましくも思ったけれど。リュネは、少しぬるくなったお茶を口にする。風が強く吹いて、がたがたと窓の木戸を揺らした。

 寒さは人の命を簡単に攫っていく、死神のようなものだ。
 きっと、セレスティアの知らないところで、あの寒さに奪われた命も多かっただろう。リュネになるまで、気づきもしなかったから。
 でも。

(知らなかったことは、責めたってしょうがないわ)

 暗くなった気持ちを切り替えるように、リュネは自分の頬をぴしゃりと打った。過去を悔やんでも仕方がない。大切なのは、これから何を行動するか、だ。
 紙をめくる音と、ろうそくがじりじりと揺れる温度。静かな夜だった。

 それを切り裂いたのは、激しくドアを叩く音。どんどんどん。ただならぬそれに、リュネははっとする。

「魔女さま!」

 余程急いで来たのだろう。髪をすっかりくしゃくしゃにした男が、息を切らして小屋に飛び込んできた。彼が手にしていた松明が倒れないよう、リュネは慌てて支える。
 
「どうしたの?」
「夜分にすまねえ……でも、助けてほしいんだ」
 
 怪我人だ。男の掠れた声が、ただ一言そう言う。リュネは目を見開き、すぐさま手近にあったカゴを引っ掴んだ。

「すぐに向かうわ。どこの家?」
「いや、家じゃねえ。外だ」
「外?」

 こんな時間に。そんな疑問を投げかける前に、男は口を開く。
 ごうごうと燃え盛る手元の炎が、男の顔を不気味に照らし出していた。

「血まみれの兄さんが、馬に乗ってきたんだ」

☆☆☆
 
「みなさん」

 マントをたなびかせ、リュネは明かりの群れへと飛び込んだ。男と共に走ってきた彼女を見て、村人たちはほっとしたように顔を緩めている。

「魔女さま!」
「よかった」
「来てくださったか」

 夜も遅いからか、集まっているのは男ばかり。その波をかき分けて進むが、彼らの中心に件の人物はいなかった。
 代わりに、生々しい血痕がべたりと地面を濡らしている。余程酷い怪我だったのだろう。まだ濃い血のにおいがあたりに立ち込めているようだった。

「怪我をしていたお兄さんは?」
「とりあえず、教会に運びました。あそこなら空きのベッドもあるし……馬は落ち着かせて、今は繋いであります」

 どうやら、牧師が夜の見回りに出歩いていたところ、馬のいななきを聞いて駆けつけたのだと言う。冷たい風が吹きつける中、一晩気づかなければ間違いなくその体は冷たくなっていただろう、と男たちは口々に語った。
 
「分かりました。ありがとう……ねえ、牧師さま」
「なんですか?」
「彼の血が付いてしまった地面を、水で清めてください。血液から瘴気が広がって、病が蔓延するのを防ぐためです。他にも、血が付いた方たちはすぐに手を洗ってきてください」

 リュネの指示に、牧師はすぐに教会へと向かった。青年を運んだであろう男たちも付近の川へと走り始める。
 人間に限らず、血液から媒介する病は多い。まずは瘴気の元を絶たなければ。

 念の為、リュネは血痕の付いた地面の付近を触れ、呪文を唱える。牧師が持ってきた聖水をかけたのを見て、男たちも辺りをざっと川の水で洗い流した。鉛くさいにおいが薄まる。

「念の為、しばらくはこのあたりに子どもや、ご老人を近づけないで。それ以外は、普通に過ごしていただいて構わないので」

 了承したように頷く顔たち。けれどそれがまだ不安に満ちていることを、リュネはすぐに悟った。病や瘴気について、分からないことが多すぎるせいだ。

 だから。リュネはゆっくり立ち上がり、彼らにたっぷり余裕を持って微笑んでみせた。

「もし、なにか不安なことがあれば、わたしに相談してください。しばらくは教会にいますから」

 それでようやく、彼らの緊張が少し解けた。ざわざわと話し声があちこちで湧き上がる。
 
「ああ、ありがとう、魔女さま」
「なにか我々にも手伝えることはあるかい」
「ありがとう。わたしの手で足りない部分は、みなさんの力をお借りさせてください。その時はご協力を呼びかけます」

 それでは。そう言い残して、リュネはその場を後にした。教会にいる、例の青年の具合を診なければ。彼を救うため。村人たちの安心のため。
 そして何より

(わたしが、わたしのために助けたいから……!)

「あの兄さん、大丈夫かねえ……」
「……きっと大丈夫さ。魔女さまなら、きっと」
 
 残された村人たちの間には、不安と祈りが入り交じった沈黙が落ちる。松明の明かりが呼応するように頼りなさげに揺れる。
 けれど彼らの目は、信じる者の光を失っていない。

 誰もが、魔女の起こす奇跡を願って、信じていた。



「あぁ、魔女さま!」
「魔女さま、助けて!」

 教会のドアを叩くと、すぐさま修道女たちがわっと出てきた。みなまだ年若い娘たちで、突然に現れた恐ろしい怪我をした青年に戸惑っているのだろう。

 今にも泣きわめきだしそうな彼女らをそっといさめ、リュネは教会の中に入った。

「静かに。怪我の容態は?」
「それが……血が止まらなくて。どうしましょう」
「タオルがすぐに血で濡れて……ベッドのシーツも……」

 救護室の一番奥、簡素なベッドの上に人影が見えた。少し足を踏み入れただけでわかる、鼻を突くにおい。リュネは意を決して、そのベッドに近づいた。

 酷い——そんな言葉で表せないほど、惨い傷だった。薄く血の垂れたシーツの上で、青年はうつ伏せになって浅い息を何とか繰り返している。
 上等そうな上着は、彼の背中の肉ごとざっくりと切れており、当てられたタオルからはまだ、真っ赤な血液が滴り落ちている。

(背中から一撃……? でも腕や脇腹にも、前方から切られた傷がある。手のマメからして、剣術を嗜んでいるみたいだけれど……まさか、躱して逃げてきたというの?)

 リュネは大急ぎで彼の腕を取った。脈は、まだある。息は、してる。けれど、乱れた黒髪の下の顔は白を超えて青い。持ち上げた腕に力が入っていない。呼び掛けに、答えがない。
 
 何より温度が——無くなりつつある。ひとの感触から、遠くなっている。背筋が凍りそうだった。
 
 このままでは、どうやっても彼は死んでしまう。

(どうするの、リュネ。早く決断しないと、彼は……)

「魔女さま、血止めの薬を持ってきました」
「タオル! もっと持ってきて! とにかく圧迫して血を止めないと」
「手が冷たい……わたし、お湯を沸かしてきます!」
 
 リュネが考えを巡らせている間も、修道女たちは手際よく処置を施していく。それが無駄になると分かっていても、涙が止まらなくても、手が震えていても。
 それでも懸命に。消えかけの命を繋いでいる。

「……ねえ、みんな」

 ひとりの幼い少女が、堪らずなのかひい、と嗚咽を漏らした。リュネは彼女の赤く染まった手を取り、ゆっくりと、安心させるように言葉を並べる。

「泣かないで。あなたも、あなたも手が血まみれよ。みんな、よく洗って、顔を拭いていらっしゃい」
「……でも」
「大丈夫。さあ、早く」

 涙で顔をくしゃくしゃにした少女たちを見送り、リュネは改めて青年に向かい合った。弱々しく途切れがちな呼吸が、彼の命が燃え尽きていない僅かな証拠。
 鉄臭い空気を吸って、吐く。手は……血で汚れてしまったので、ぎゅっと目を強く瞑ったあと、ばちりと見開いた。

 覚悟は、決まっていた。

 石の床に膝をつく。細く息を吐いて、集中力を尖らせる。体の内側から、風が吹く。時間のすべてがゆっくりと進むような感覚。

『いいかいリュネ。お前のその力は、無闇に振るってはならないよ。お前のそれは……』

 老婆の声が聞こえた、気がした。魔女修行を始める前の、幼い頃の約束。
 
(けれど……おばあちゃま。今、この人を救えるのはきっと『わたしの力』しかないわ……!)

 窓ががたがたと揺れる。タオルの山が崩れる。リュネの視線は、未だ血の流れる彼の傷に向けられていた。
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