妹に婚約者を奪われたので、怪物と噂の「冷徹公爵」に嫁ぎます。~どうやら彼は不器用なだけだったようで、今さら実家に戻れと言われても困ります~

みやび

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【第1章】 捨てられ令嬢と氷の公爵

第4話 奥様の「改革」と、困惑する使用人たち

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 ジークハルト様との契約が成立した翌日から、私は早速行動を開始した。
 与えられた執務室(元は使われていなかった空き部屋だ)に、屋敷の帳簿と在庫リストを山積みにし、片っ端から目を通していく。

「……なるほど。予算は潤沢、というより余りあるほどね」

 私は実家から持ってきた愛用の万年筆を走らせながら独りごちた。持ち手部分の塗装が剥げ、私の指の形に馴染んだこの万年筆だけが、私の戦友だ。インクの出はまだ良い。これがあれば、どんな複雑な計算も苦にはならない。
 公爵家の財政は盤石だ。北の山脈から産出される魔石や鉱物の資源収入が莫大で、金には全く困っていない。
 けれど、その使い方はあまりに「無骨」だった。

 例えば食料事情。
 新鮮な野菜や肉が手に入る土地柄なのに、わざわざ王都から高価な保存食を取り寄せている。
 屋敷の備品もそうだ。最高級品ばかりを揃えているが、メンテナンスが行き届いておらず、カーテンは重たくて暗い色のまま。

 つまり、「お金はあるけれど、生活を豊かにする工夫」が欠けているのだ。
 ジークハルト様は仕事人間だし、使用人たちも「余計なことをして主人の機嫌を損ねたくない」と萎縮して、最低限の維持管理しかしていないのだろう。

(もったいない! これだけの予算と素材があれば、もっと快適な生活ができるのに!)

 実家の男爵家では、銅貨一枚の無駄も許されなかった。その貧乏性が染み付いている私にとって、この「宝の持ち腐れ」状態は我慢ならない。

「よし、決めました」

 私はパンと両手を叩いて立ち上がった。
 まずは食卓改革だ。昨日のスープは美味しかったけれど、使用人たちの食事までは目が行き届いていないようだったから。

 ◇

「お、奥様!? このような場所へ入られてはいけません!」

 厨房に足を踏み入れると、料理長がギョッとして裏返った声を上げた。
 油と煤(すす)で汚れた厨房は、貴族の令嬢が近づく場所ではないと思われているのだろう。

「こんにちは。あなたが料理長ね? 昨日のスープ、とても美味しかったわ」
「は、はあ……恐縮です。ですが、何か御用でしょうか? お食事ならお部屋にお持ちしますが」
「いいえ、相談に来たの。これを見てくれる?」

 私は一枚のメモを渡した。
 そこには、地元の市場で手に入る旬の野菜リストと、それを使った献立案が書かれている。

「王都からの取り寄せをやめて、地元の食材を使いましょう。輸送費が浮いた分で、使用人たちの食事の質も上げられるわ。寒い地域だもの、みんな温かくて栄養のあるものを食べるべきよ」
「なっ……」

 料理長が絶句して目を丸くした。

「し、使用人の食事まで……ですか? 今まで嫁いでこられた方々は、『平民と同じものを食べるなんて耐えられない』とか『もっと高級なワインを出せ』と仰るばかりでしたが……」
「私は味の落ちた高級品より、新鮮な地元のカブの方が好きよ。……ダメかしら?」

 私が小首を傾げると、強面(こわもて)の料理長の顔が、みるみるうちに赤くなった。

「め、滅相もございません!! 俺たちも、地元の食材を使いたいとずっと思っていたんです! ですが、前例がないと却下され続けて……」
「そう。なら、今日から私が許可します。最高の腕を振るってちょうだい」
「はいっ! 喜んで!!」

 料理長の声が厨房に響き渡る。
 周りの調理スタッフたちも、キラキラした目で私を見ている。どうやら、掴みはオーケーのようだ。

 ◇

 その日の夕食。
 仕事から戻ったジークハルト様は、食堂に入るなり足を止めた。

「……雰囲気が、変わったな」

 いつもは重厚な遮光カーテンで閉ざされていた窓が少し開けられ、暖炉の光と燭台の明かりが、部屋全体を柔らかく照らしている。
 そしてテーブルには、色とりどりの温野菜のサラダと、地鶏の香草焼きが並んでいた。

「お帰りなさいませ、ジークハルト様。勝手にメニューを変えてしまいましたが、お口に合いますでしょうか」
「……いや、いい匂いだ」

 彼は席に着くと、一口食べて、ほう、と息を吐いた。

「うまい。……味が濃すぎず、素材の味がする」
「良かったです! 北の野菜は甘みが強くて美味しいんです」
「そうか。……屋敷の中も、何というか、明るくなった気がするな」
「はい。廊下の花瓶に花を生けて、カーテンも明るい色のものに変えるよう指示しました。ずっと暗いと、気分まで滅入ってしまいますから」

 私が笑顔で答えると、ジークハルト様はスプーンを止めて、じっと私を見つめた。

「……お前は、魔法使いか何かか?」
「え?」
「たった一日で、この陰気な城を、こんなにも温かい場所に変えてしまうとは」

 その瞳は、やはり氷のように冷たい色をしていたけれど、奥にある光はとても優しかった。

「ありがとう、エリス。……家に帰ってきて、ホッとしたのは初めてだ」

 不意打ちの言葉に、今度は私が赤くなる番だった。
 「家に帰ってきてホッとした」。それは、家を守る妻にとって、最高の褒め言葉ではないだろうか。

「そ、そんな……。私は、自分の好きにさせていただいているだけですから」
「働きすぎではないか? 顔色が良くなったとはいえ、まだ病み上がりだぞ」
「平気です! むしろ、働いている方が元気なんです」

 私が力こぶを作る真似をすると、彼は「くくっ」と喉を鳴らして笑った。
 その後ろで控えていた執事のハンスや、メイド長のマーサも、どこか嬉しそうに微笑んでいる。

 氷の城の空気が、少しずつ解凍されていく。
 そんな予感に、私は胸を弾ませていた。

 ――だが、私はまだ知らなかった。
 この「幸せな生活」を面白く思わない者たちが、遠い王都で不穏な動きを見せていることを。

(お姉様、今頃どうしているかしら。きっと泣いて暮らしているわよねぇ……?)

 遠く離れた実家で、妹のミリアがそんな嘲笑を浮かべていることなど、知る由もなかったのだ。
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