妹に婚約者を奪われたので、怪物と噂の「冷徹公爵」に嫁ぎます。~どうやら彼は不器用なだけだったようで、今さら実家に戻れと言われても困ります~

みやび

文字の大きさ
29 / 40
【第3章】 氷の公爵家の奇跡、そして永遠の春へ

第29話 蝕まれる体と、隠された日記

しおりを挟む
 妊娠七ヶ月目を迎えた頃。
 私の体調は、日に日に悪化の一途を辿(たど)っていた。

「……奥様、お加減はいかがですか?」
「ええ、大丈夫よ。少し、体が重いだけ……」

 私はベッドの上で上半身を起こし、努めて明るく微笑んだ。
 けれど、鏡を見なくても分かる。今の自分の顔色が、どれほど悪いかを。
 頬はこけ、目の下には隈(くま)ができ、肌は透き通るというより、生命力を失って青白くなっているはずだ。

「ジークハルト様は?」
「旦那様は、王宮での緊急会議に出席されております。……本当は『行きたくない、エリスの側にいる』と駄々をこねておられましたが、重要案件でしたので、私が無理やり馬車に押し込みました」
「ふふ、ありがとうハンスさん。……彼がいると、隠し事ができないから」

 私が安堵の息を吐いた瞬間。
 ゴホッ、と喉の奥から熱いものが込み上げてきた。

「っ……! う、ぐぅ……!」
「奥様!!」

 口元を押さえたハンカチが、瞬く間に鮮血で染まる。
 ただの血ではない。吐き出した血の中に、キラキラと光る微細な氷の結晶が混じっているのだ。
 『魔力侵食』。
 お腹の赤ちゃんの強大すぎる氷の魔力が、中和しきれずに私の内臓を傷つけ始めている証拠だった。

「はぁ、はぁ……」
「今すぐ医師を呼びます! それに旦那様にも連絡を……!」
「だめ!」

 私はハンスさんの袖を掴んで引き留めた。

「言わないで。……ジークハルト様には、絶対に内緒よ」
「しかし! これほどの喀血(かっけつ)、もう隠し通せる段階ではありません! このままでは奥様の命が……!」
「言えば、あの人はこの子を諦めさせるわ」

 私の言葉に、ハンスさんが息を呑む。
 そう、ジークハルト様は優しい人だ。私を守るためなら、鬼になって我が子を手に掛けることも厭(いと)わないだろう。
 それだけは、絶対に避けたかった。

「お願い、ハンスさん。……私は平気。あと三ヶ月……ううん、あと少し耐えれば、この子は産まれるの。私の命なんて、どうなったっていい」
「奥様……」

 ハンスさんは苦渋の表情で唇を噛み締め、それから深く頭を下げた。
 忠義に厚い彼に、主人の秘密を抱え込ませるのは心苦しい。けれど、今はこうするしかなかった。

 私は震える手で、枕元に隠していた小さな手帳を取り出した。
 『体調管理日記』。
 医師に見せるための記録だが、ここには私の本当の想いが綴られている。

(今日も、血を吐いてしまった。……でも、豆粒ちゃんは元気。私の命を食べて、どんどん大きくなっている。……嬉しい。私の全てをあげたい)

 ペンを走らせる。
 文字が震える。視界が霞む。
 それでも、私は「母」として、この命を全うすることだけを考えていた。

 ◇

 その日の夕方。
 予定よりも早く、ジークハルト様が帰宅した。
 私は慌てて紅(べに)を差し、顔色の悪さを隠してベッドに入った。

「ただいま、エリス。……顔色は良さそうだな」
「ええ、お帰りなさい。今日は調子が良いみたいです」

 嘘をつく。
 彼は私の頬に触れ、少し訝(いぶか)しげに眉を寄せたが、何も言わずに私の手を握った。

「そうか。ならいいのだが。……少し、眠るといい。私はここで書類を見る」
「はい……」

 彼の体温に触れると、張り詰めていた緊張が解け、強烈な睡魔が襲ってきた。
 私は抗うことができず、泥のような眠りへと落ちていった。

 ――それが、油断だった。
 私が深く眠ってしまった後、枕元から滑り落ちた「日記」の存在に、彼が気づくとも知らずに。

 ◇

 ジークハルトは、妻の寝顔を見つめていた。
 化粧で隠してはいるが、その呼吸は浅く、苦しげだ。
 違和感はずっとあった。ハンスやメイドたちの、どこか自分を避けるような視線。エリスの不自然なほどの「大丈夫」という言葉。

「……ん?」

 ふと、ベッドの下に落ちている手帳が目に入った。
 エリスがいつも熱心に書き込んでいる日記だ。
 何気なく拾い上げ、パラパラとページをめくる。

 そこに書かれていた内容に、ジークハルトの全身が凍りついた。

『X月X日。吐血。氷の粒が混じっていた。肺が痛い。でも、あの人には言えない』
『X月△日。今日はお腹が焼けるように熱かった。中和が追いつかない。意識が飛びそうになるのを必死で耐えた』
『……もし、私が出産に耐えられなかったら。ジークハルト様は自分を責めるだろうか。ごめんなさい。でも、私はこの子に会いたい。私の命と引き換えにしても』

 ページをめくる手が震える。
 そこには、彼が知らなかった「真実」が、血を吐くような筆致で記されていた。
 彼女は「大丈夫」などではなかった。
 とっくに限界を超え、命を削り、ボロボロになりながら、それでも彼の前で笑顔を作っていたのだ。

「……馬鹿な」

 ジークハルトは呻(うめ)いた。
 最愛の妻が、自分の目の前で死にかけている。
 それも、自分との子供を守るために。

(私は……何を見ていたんだ)

 彼女の笑顔に甘え、現実から目を逸らしていたのは自分ではないか。
 「魔力中和があるから大丈夫」という希望的観測にすがり、彼女の犠牲の上に胡座(あぐら)をかいていた。

「……う、ん……」

 ベッドの上でエリスが小さく寝返りを打つ。
 その口元から、ツーッと一筋の赤い血が流れた。
 眠りながらも、魔力侵食に体が悲鳴を上げているのだ。

 ジークハルトは、日記を強く握りしめた。
 革の表紙が、彼の手から放たれた冷気でパリパリと凍りつく。

 彼は決断しなければならなかった。
 愛する妻の「願い」を尊重して、彼女が死ぬのを見届けるか。
 それとも、彼女に「一生恨まれる」ことを承知で、子供を諦めるか。

「……すまない、エリス」

 彼は眠る妻の額に、祈るように口づけを落とした。
 その瞳には、深い悲しみと、冷酷なまでの決意の光が宿っていた。

「私はお前を愛している。……愛しすぎているんだ。だから、お前のいない世界など、選べるはずがない」

 彼は立ち上がった。
 窓の外では、吹雪が吹き荒れている。
 まるで、これから訪れる残酷な運命を予感させるように、風が哭(な)いていた。

 隠された日記は、パンドラの箱だった。
 開けてしまった以上、もう「知らないふり」をして幸せな夢を見ることはできない。
 
 翌朝。
 ジークハルトは、医師団とハンスを招集し、ある「最終通告」を行うことになる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。

しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」 その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。 「了承しました」 ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。 (わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの) そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。 (それに欲しいものは手に入れたわ) 壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。 (愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?) エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。 「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」 類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。 だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。 今後は自分の力で頑張ってもらおう。 ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。 ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。 カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*) 表紙絵は猫絵師さんより(⁠。⁠・⁠ω⁠・⁠。⁠)⁠ノ⁠♡

私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします

ほーみ
恋愛
 その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。  そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。  冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。  誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。  それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。  だが、彼の言葉は、決定的だった。 「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」

毒家族から逃亡、のち側妃

チャイムン
恋愛
四歳下の妹ばかり可愛がる両親に「あなたにかけるお金はないから働きなさい」 十二歳で告げられたベルナデットは、自立と家族からの脱却を夢見る。 まずは王立学院に奨学生として入学して、文官を目指す。 夢は自分で叶えなきゃ。 ところが妹への縁談話がきっかけで、バシュロ第一王子が動き出す。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

完】異端の治癒能力を持つ令嬢は婚約破棄をされ、王宮の侍女として静かに暮らす事を望んだ。なのに!王子、私は侍女ですよ!言い寄られたら困ります!

仰木 あん
恋愛
マリアはエネローワ王国のライオネル伯爵の長女である。 ある日、婚約者のハルト=リッチに呼び出され、婚約破棄を告げられる。 理由はマリアの義理の妹、ソフィアに心変わりしたからだそうだ。 ハルトとソフィアは互いに惹かれ、『真実の愛』に気付いたとのこと…。 マリアは色々な物を継母の連れ子である、ソフィアに奪われてきたが、今度は婚約者か…と、気落ちをして、実家に帰る。 自室にて、過去の母の言葉を思い出す。 マリアには、王国において、異端とされるドルイダスの異能があり、強力な治癒能力で、人を癒すことが出来る事を… しかしそれは、この国では迫害される恐れがあるため、内緒にするようにと強く言われていた。 そんな母が亡くなり、継母がソフィアを連れて屋敷に入ると、マリアの生活は一変した。 ハルトという婚約者を得て、家を折角出たのに、この始末……。 マリアは父親に願い出る。 家族に邪魔されず、一人で静かに王宮の侍女として働いて生きるため、再び家を出るのだが……… この話はフィクションです。 名前等は実際のものとなんら関係はありません。

婚約者の姉を婚約者にしろと言われたので独立します!

ユウ
恋愛
辺境伯爵次男のユーリには婚約者がいた。 侯爵令嬢の次女アイリスは才女と謡われる努力家で可愛い幼馴染であり、幼少の頃に婚約する事が決まっていた。 そんなある日、長女の婚約話が破談となり、そこで婚約者の入れ替えを命じられてしまうのだったが、婚約お披露目の場で姉との婚約破棄宣言をして、実家からも勘当され国外追放の身となる。 「国外追放となってもアイリス以外は要りません」 国王両陛下がいる中で堂々と婚約破棄宣言をして、アイリスを抱き寄せる。 両家から勘当された二人はそのまま国外追放となりながらも二人は真実の愛を貫き駆け落ちした二人だったが、その背後には意外な人物がいた

【完結】真実の愛に気付いたと言われてしまったのですが

入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済みです!!!】 かつて王国の誇りとされた名家の令嬢レティシア。王太子の婚約者として誰もが認める存在だった彼女は、ある日、突然の“婚約破棄”を言い渡される。 ――理由は、「真実の愛に気づいてしまった」。 その一言と共に、王家との長年の絆は踏みにじられ、彼女の名誉は地に落ちる。だが、沈黙の奥底に宿っていたのは、誇り高き家の決意と、彼女自身の冷ややかな覚悟だった。 動揺する貴族たち、混乱する政権。やがて、ノーグレイブ家は“ある宣言”をもって王政と決別し、秩序と理念を掲げて、新たな自治の道を歩み出す。 一方、王宮では裏切りの余波が波紋を広げ、王太子は“責任”という言葉の意味と向き合わざるを得なくなる。崩れゆく信頼と、見限られる権威。 そして、動き出したノーグレイブ家の中心には、再び立ち上がったレティシアの姿があった。 ※日常パートとシリアスパートを交互に挟む予定です。

処理中です...