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【第3章】 氷の公爵家の奇跡、そして永遠の春へ
第33話 凍てつくゆりかごと、新米パパの苦悩
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出産から三日が経過した。
王都を覆う分厚い雪雲は依然として晴れず、公爵邸の内部は、まるで極寒の氷の城のようになっていた。
「さ、寒いです……。暖炉の火を絶やすな! 薪(まき)をもっと持ってこい!」
「お湯が! 運んでいる途中で凍ってしまいます!」
「若様がお目覚めだぞ! 全員、防寒魔法を最大展開しろ!!」
廊下を行き交う使用人たちは、真冬用のコートを着込み、マフラーをぐるぐる巻きにして走り回っている。
彼らが恐れているのは、屋敷に侵入した魔物ではない。
たった一人の、愛らしくも恐ろしい「新生児」だった。
◇
主寝室のベビーベッドの前で、ジークハルト様は腕組みをして仁王立ちしていた。
その眉間には、魔獣討伐の最前線にいる時よりも深い皺(しわ)が刻まれている。
「……難敵だ」
彼の視線の先にいるのは、ふかふかのクッションに埋もれた我が子だ。
銀色の髪に、宝石のような青い瞳。
天使のように愛くるしい外見だが、その周囲には半径一メートルの「絶対零度領域」が展開されていた。
「あー、うー」
赤ちゃんが機嫌よく手足をバタつかせるたびに、ピキピキと空気が凍り、キラキラした氷の結晶が舞う。
メイドたちがミルクやオムツを持って近づこうとするが、領域に入った瞬間、持っているものがカチンコチンに凍りついてしまい、撤退を余儀なくされていた。
「旦那様……もう限界です。若様のお世話ができるのは、氷の魔力に耐性がある旦那様しかおりません」
「……分かっている」
ジークハルト様は覚悟を決めたように頷いた。
彼は上着を脱ぎ捨て、シャツの袖をまくり上げた。
「エリスは出産で消耗している。今は別室で眠っている彼女を起こすわけにはいかん。……この私が、父親の威厳を見せてやる」
彼は気合を入れると、右手に新しいオムツ、左手に魔法で温めたおしり拭きを持ち、決死の形相でベビーベッドへ踏み込んだ。
「いいか、暴れるなよ。……パパだぞ。怖くないぞ」
彼は普段の冷徹な声とは似ても似つかない、裏返ったような猫撫で声で話しかけた。
赤ちゃんは、ジークハルト様の顔を見ると、ニパッと無邪気に笑った。
可愛い。
その笑顔に、ジークハルト様の頬が緩んだ隙だった。
――ブリュッ。
無慈悲な音が響いた。
生理現象だ。こればかりは公爵令息だろうと関係ない。
「なっ……! い、今か!?」
「ふぇ……ふえぇぇぇ……!!」
不快感を覚えた赤ちゃんが、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
――オギャアアアアアアッ!!
泣き声と共に、強烈な魔力の波動が放たれた。
ドォォォォンッ!!
ベビーベッドを中心に、冷気の爆風が巻き起こる。
「うおぉっ!? ま、待て! 泣くな! 今きれいにしてやるから……ぐっ、凍る! 指が動かん!」
ジークハルト様は必死にオムツを替えようとするが、赤ちゃんの涙が瞬時に氷の粒弾(つぶだん)となって降り注ぎ、彼の手元を凍らせていく。
さらに、赤ちゃんが足をバタつかせるたびに、カミソリのような冷風が彼の頬を切り裂く。
「つ、強い……! なんだこの魔力は……! 私の結界を中和するだと!?」
「旦那様ーッ! 頑張ってくださいーッ!」
遠巻きに見守るハンスさんたちが声援を送るが、誰も助けには来られない。
世界最強の魔導師が、たった一人の赤子に翻弄され、みるみるうちに氷像のように白くなっていく。
「くそっ……負けてたまるか……! 私は……父親だぞ……ッ!」
彼が震える手で最後のボタンを留めようとした、その時。
「――はいはい、そこまで」
凛とした声と共に、温かい光が部屋に満ちた。
「エリス!?」
扉の前に立っていたのは、ガウンを羽織った私だった。
まだ体は重いが、騒ぎを聞きつけてじっとしていられなかったのだ。
「もう、廊下まで泣き声が聞こえていましたよ。……ジークハルト様、交代です」
私は苦笑しながら近づき、凍りついたジークハルト様の背中をポンと叩いた。
ジュワッ。
私の手から溢れた「魔力中和」の光が、彼を覆っていた氷を一瞬で溶かした。
「エリス……すまない。起こしてしまったか」
「いいえ。……ほら、泣かないの。ママが来ましたよ」
私はそのままベビーベッドへ手を伸ばし、ギャン泣きしている赤ちゃんを抱き上げた。
瞬間、猛吹雪のようだった冷気が、ピタリと止む。
私の体から溢れる金色の光が、赤ちゃんの青い魔力を優しく包み込み、中和していくのだ。
「よしよし……気持ち悪かったね。パパが下手っぴでごめんね」
「うう……面目ない」
私が赤ちゃんをあやすと、彼はすぐに泣き止み、私の胸に顔を埋めて「きゅぅ」と甘えた声を上げた。
その変わり身の早さに、ジークハルト様はがっくりと肩を落とした。
「……信じられん。私があれほど苦戦した絶対零度の結界を、素手で無効化するとは」
「ふふ。……魔力中和だけじゃありません。これは『ママの愛』です」
私は手際よくオムツを整え、新しい産着に着替えさせた。
すっきりした赤ちゃんはご機嫌になり、キャッキャと笑いながら私の指を握って遊んでいる。
「……完敗だ」
ジークハルト様は、霜で濡れた髪をかき上げ、感服したようにため息をついた。
「やはり、母は強しだな。……私には、魔獣の群れを相手にする方がまだ楽かもしれん」
「何をおっしゃいますか。これから毎日こうなんですよ? パパも特訓あるのみです」
「う……善処する」
情けない声を出す公爵様がおかしくて、私はクスッと笑った。
大変だけれど、幸せだ。
こんなドタバタな日常が、私たちの新しい生活なのだ。
◇
落ち着いたところで、私たちはベッドサイドに腰掛け、ミルクを飲む我が子を見つめた。
「……名前、決めましたか?」
「ああ。ずっと考えていた」
ジークハルト様は、赤ちゃんの小さな手を指先で突っつきながら、静かに言った。
「『レオン』。……古語で『獅子』を意味する。強く、気高く、そしてお前のように優しい心を持った男になってほしい」
「レオン……。レオンハルト公爵家にも繋がる、素敵な響きです」
私は赤ちゃんの頬を撫でた。
「こんにちは、レオン。……あなたの名前よ」
レオンは、名前を気に入ったのか、ミルクを飲みながらニッコリと微笑んだ。
その瞬間、窓の外の雪が一瞬だけ止み、雲の切れ間から太陽の光が差し込んだ。
「……すごい。天候まで操るのか」
「ふふ、お天気屋さんの王子様ですね」
私たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
レオン。
この子がもたらすのは、破壊的な冬だけではない。きっと、私たちに見たことのない新しい景色を見せてくれるはずだ。
――だが。
その「新しい景色」を見る前に、私たちはまず、面倒な現実と向き合わなければならなかった。
翌日。
屋敷の門前に、王家の紋章が入った馬車と、教会の聖印を掲げた一団が押し寄せてきたのだ。
「公爵に告ぐ! 王都を凍らせる災厄の元凶について、査問を行う!」
「その赤子は魔物である! 直ちに教会へ引き渡せ!」
先頭に立っていたのは、あの忌々しい叔父、ヴィルヘルムだった。
彼は勝ち誇ったような顔で、「異端審問官」たちを引き連れていた。
幸せな育児生活は、早くも中断の危機を迎えていた。
私たちの愛しいレオンを守るため、今度は「社会」という敵との戦いが始まろうとしていた。
王都を覆う分厚い雪雲は依然として晴れず、公爵邸の内部は、まるで極寒の氷の城のようになっていた。
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「若様がお目覚めだぞ! 全員、防寒魔法を最大展開しろ!!」
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彼らが恐れているのは、屋敷に侵入した魔物ではない。
たった一人の、愛らしくも恐ろしい「新生児」だった。
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主寝室のベビーベッドの前で、ジークハルト様は腕組みをして仁王立ちしていた。
その眉間には、魔獣討伐の最前線にいる時よりも深い皺(しわ)が刻まれている。
「……難敵だ」
彼の視線の先にいるのは、ふかふかのクッションに埋もれた我が子だ。
銀色の髪に、宝石のような青い瞳。
天使のように愛くるしい外見だが、その周囲には半径一メートルの「絶対零度領域」が展開されていた。
「あー、うー」
赤ちゃんが機嫌よく手足をバタつかせるたびに、ピキピキと空気が凍り、キラキラした氷の結晶が舞う。
メイドたちがミルクやオムツを持って近づこうとするが、領域に入った瞬間、持っているものがカチンコチンに凍りついてしまい、撤退を余儀なくされていた。
「旦那様……もう限界です。若様のお世話ができるのは、氷の魔力に耐性がある旦那様しかおりません」
「……分かっている」
ジークハルト様は覚悟を決めたように頷いた。
彼は上着を脱ぎ捨て、シャツの袖をまくり上げた。
「エリスは出産で消耗している。今は別室で眠っている彼女を起こすわけにはいかん。……この私が、父親の威厳を見せてやる」
彼は気合を入れると、右手に新しいオムツ、左手に魔法で温めたおしり拭きを持ち、決死の形相でベビーベッドへ踏み込んだ。
「いいか、暴れるなよ。……パパだぞ。怖くないぞ」
彼は普段の冷徹な声とは似ても似つかない、裏返ったような猫撫で声で話しかけた。
赤ちゃんは、ジークハルト様の顔を見ると、ニパッと無邪気に笑った。
可愛い。
その笑顔に、ジークハルト様の頬が緩んだ隙だった。
――ブリュッ。
無慈悲な音が響いた。
生理現象だ。こればかりは公爵令息だろうと関係ない。
「なっ……! い、今か!?」
「ふぇ……ふえぇぇぇ……!!」
不快感を覚えた赤ちゃんが、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
――オギャアアアアアアッ!!
泣き声と共に、強烈な魔力の波動が放たれた。
ドォォォォンッ!!
ベビーベッドを中心に、冷気の爆風が巻き起こる。
「うおぉっ!? ま、待て! 泣くな! 今きれいにしてやるから……ぐっ、凍る! 指が動かん!」
ジークハルト様は必死にオムツを替えようとするが、赤ちゃんの涙が瞬時に氷の粒弾(つぶだん)となって降り注ぎ、彼の手元を凍らせていく。
さらに、赤ちゃんが足をバタつかせるたびに、カミソリのような冷風が彼の頬を切り裂く。
「つ、強い……! なんだこの魔力は……! 私の結界を中和するだと!?」
「旦那様ーッ! 頑張ってくださいーッ!」
遠巻きに見守るハンスさんたちが声援を送るが、誰も助けには来られない。
世界最強の魔導師が、たった一人の赤子に翻弄され、みるみるうちに氷像のように白くなっていく。
「くそっ……負けてたまるか……! 私は……父親だぞ……ッ!」
彼が震える手で最後のボタンを留めようとした、その時。
「――はいはい、そこまで」
凛とした声と共に、温かい光が部屋に満ちた。
「エリス!?」
扉の前に立っていたのは、ガウンを羽織った私だった。
まだ体は重いが、騒ぎを聞きつけてじっとしていられなかったのだ。
「もう、廊下まで泣き声が聞こえていましたよ。……ジークハルト様、交代です」
私は苦笑しながら近づき、凍りついたジークハルト様の背中をポンと叩いた。
ジュワッ。
私の手から溢れた「魔力中和」の光が、彼を覆っていた氷を一瞬で溶かした。
「エリス……すまない。起こしてしまったか」
「いいえ。……ほら、泣かないの。ママが来ましたよ」
私はそのままベビーベッドへ手を伸ばし、ギャン泣きしている赤ちゃんを抱き上げた。
瞬間、猛吹雪のようだった冷気が、ピタリと止む。
私の体から溢れる金色の光が、赤ちゃんの青い魔力を優しく包み込み、中和していくのだ。
「よしよし……気持ち悪かったね。パパが下手っぴでごめんね」
「うう……面目ない」
私が赤ちゃんをあやすと、彼はすぐに泣き止み、私の胸に顔を埋めて「きゅぅ」と甘えた声を上げた。
その変わり身の早さに、ジークハルト様はがっくりと肩を落とした。
「……信じられん。私があれほど苦戦した絶対零度の結界を、素手で無効化するとは」
「ふふ。……魔力中和だけじゃありません。これは『ママの愛』です」
私は手際よくオムツを整え、新しい産着に着替えさせた。
すっきりした赤ちゃんはご機嫌になり、キャッキャと笑いながら私の指を握って遊んでいる。
「……完敗だ」
ジークハルト様は、霜で濡れた髪をかき上げ、感服したようにため息をついた。
「やはり、母は強しだな。……私には、魔獣の群れを相手にする方がまだ楽かもしれん」
「何をおっしゃいますか。これから毎日こうなんですよ? パパも特訓あるのみです」
「う……善処する」
情けない声を出す公爵様がおかしくて、私はクスッと笑った。
大変だけれど、幸せだ。
こんなドタバタな日常が、私たちの新しい生活なのだ。
◇
落ち着いたところで、私たちはベッドサイドに腰掛け、ミルクを飲む我が子を見つめた。
「……名前、決めましたか?」
「ああ。ずっと考えていた」
ジークハルト様は、赤ちゃんの小さな手を指先で突っつきながら、静かに言った。
「『レオン』。……古語で『獅子』を意味する。強く、気高く、そしてお前のように優しい心を持った男になってほしい」
「レオン……。レオンハルト公爵家にも繋がる、素敵な響きです」
私は赤ちゃんの頬を撫でた。
「こんにちは、レオン。……あなたの名前よ」
レオンは、名前を気に入ったのか、ミルクを飲みながらニッコリと微笑んだ。
その瞬間、窓の外の雪が一瞬だけ止み、雲の切れ間から太陽の光が差し込んだ。
「……すごい。天候まで操るのか」
「ふふ、お天気屋さんの王子様ですね」
私たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
レオン。
この子がもたらすのは、破壊的な冬だけではない。きっと、私たちに見たことのない新しい景色を見せてくれるはずだ。
――だが。
その「新しい景色」を見る前に、私たちはまず、面倒な現実と向き合わなければならなかった。
翌日。
屋敷の門前に、王家の紋章が入った馬車と、教会の聖印を掲げた一団が押し寄せてきたのだ。
「公爵に告ぐ! 王都を凍らせる災厄の元凶について、査問を行う!」
「その赤子は魔物である! 直ちに教会へ引き渡せ!」
先頭に立っていたのは、あの忌々しい叔父、ヴィルヘルムだった。
彼は勝ち誇ったような顔で、「異端審問官」たちを引き連れていた。
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