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4 犬になった
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「頭が痛い」
『大丈夫? 寝不足?』
テーブルに突っ伏して力無く呻くダリス殿下。その足元をうろうろする俺であったが、「頭痛の元凶は黙っておいてくれないか」との冷たい声が降ってきた。頭痛の元凶ってなに。まさか俺のことか?
『こんなに可愛い俺を見て頭痛がするとか正気か?』
可愛い生き物を目にすれば、多少なりとも楽しい気持ちになるはずだ。頭でもぶつけたんか? 心配になる俺をよそに、ダリス殿下は深々と息を吐いた。
「どこから湧いてくるんだ、その自信は」
自信も何も。今の俺が可愛いのは紛れもない事実である。だって白くてふわふわの小さい犬だ。可愛いだろうがよ。
現に聖女ソフィアは、「かわいいー! ふわふわ!」と先程からテンション高めに俺のことを撫でまくっている。だが遠慮を知らない彼女である。撫で方がすごく雑。頭を勢いよく撫でるものだから、俺の首がぐらぐら揺れる。なんか頭が持っていかれそうな勢いだ。
聖女いわく、これは呪いの一種らしい。条件をクリアすれば呪いは解ける。だが、その条件が厄介だった。
「好きな人とキスをすれば元に戻ります!」
ドヤ顔で宣言する聖女とは対照的に、ダリス殿下は絶望顔になってしまう。
「え、つまりそれは。ウィルは一生このままというわけでしょうか」
「いやですから。好きな人とキスすれば戻ります!」
「ということは、今後ずっと犬姿?」
「ダリス殿下? 言葉通じてます?」
ついには聖女が怪訝な顔をした。
俺にはわかる。ダリス殿下は、俺に好きな人なんてできるわけがないとかクソ失礼なことを考えている。殿下は、俺の中には愛情とか好意とか。そういった人間的な感情が存在しないと昔から決めつけているのだ。失礼にも程がある。俺のことを感情のない人形か何かと勘違いしているのだ。
しかし好きな人とのキスで元に戻るなど。お伽話好きな聖女らしい条件である。巻き込まれるこっちはたまったもんじゃないけど。
「一応訊くが、ウィル」
『なんでしょうか、殿下』
「相手に心当たりは?」
ふむ。
好きな人ねぇ。そう言われて俺の頭をよぎったのは、細身でお淑やかな見た目に反して、意外と積極的な女の美しい顔。
『殿下の婚約者であるカルロッタ嬢とか。キスすれば人間に戻れそうな気がする』
「今すぐその口を閉じろ。二度目はないと言ったぞ」
『こっわ。訊かれたことに答えただけなのに。なんて横暴な殿下だ。この国の未来が思いやられるな』
「思いやられるのはおまえの未来だ、馬鹿ウィル」
名前の前に余計なひと言を足すんじゃない。
深々と息を吐くダリス殿下とは対照的に、聖女は呑気に俺を愛でている。「かわいい。ウィルはこっちの方が可愛くていいよ」とかなんとか。このまま聖女に連れ去られてしまいそうな勢いである。その横では、フロイドが「ディック様になんて説明すれば……!」とひとりで絶望している。
「ウィル! 君を私のペットにしてあげよう。聖女様のペットだよ。嬉しいでしょ」
『絶対に嫌だ』
「そんなこと言わないで! 私が飼う!」
聖女様のご乱心はいつものことだ。
俺に縋り付いて来る聖女を一瞥して、ダリス殿下は遠い目をする。
「これ、どうすれば」
王太子殿下らしからぬ慌てようである。ディック兄上にも見せてあげたい。この堅物殿下が取り乱す姿は珍しい。だが、さすがは殿下。すぐに咳払いで気を取り直すと、「ウィル」と鋭い声を発した。
『なんだよ』
「おまえは早急に人間に戻れ。いいか! この件は他言無用だぞ!」
『はーい』
周囲に控えていた騎士や神官たちにも鋭く口止めした殿下に、室内の空気が一瞬だけピリッとする。
『俺は犬、俺は犬。は!』
犬になれるなんて滅多にできる経験ではない。ひとりうきうきと室内を駆けまわっていた俺は、とんでもないことを思いついてしまった。
『この姿であれば、女の子にモテモテなのでは!?』
この姿であれば、女の子にペタペタ触っても許されるかもしれない。完全犬のふりをしておけば、女の子とイチャイチャしても怒られないかもしれない。
素敵な未来にふるふると震える俺であったが、首根っこをガシッと掴まれて身を硬くする。冷たい目をしたダリス殿下が、俺のことをフロイドに押し付けている。
「おい、フロイド」
「はい!」
「こいつをよく見張っておけよ」
「承知しました!」
承知すんな、ボケ。
フロイドの腕の中、俺は舌を出して半眼になる。「なんだその顔は」とダリス殿下が絡みにくる。非常に面倒くさい。
『ま、俺は可愛い犬生活を満喫しようかな』
「元に戻る努力をしろよ。なんでそんな他人事なんだ」
『だってぇ、カルロッタ嬢とキスしたらダメって殿下が言うから』
「まだ言うか!」
途端に不機嫌になったダリス殿下は、荒々しく髪を掻き上げる。フロイドが、俺を抱えたまま頭を下げている。
そんなに心配しなくても、そのうち人間に戻れるだろう。最悪、横から俺の頭を撫でてくる聖女に頭を下げればどうにかなる。
ふわぁっと小さく欠伸をすれば、聖女が「かわいい!」と喜んでいる。普通に生きているだけですごく褒められる。こんなに幸せなことってある?
『大丈夫? 寝不足?』
テーブルに突っ伏して力無く呻くダリス殿下。その足元をうろうろする俺であったが、「頭痛の元凶は黙っておいてくれないか」との冷たい声が降ってきた。頭痛の元凶ってなに。まさか俺のことか?
『こんなに可愛い俺を見て頭痛がするとか正気か?』
可愛い生き物を目にすれば、多少なりとも楽しい気持ちになるはずだ。頭でもぶつけたんか? 心配になる俺をよそに、ダリス殿下は深々と息を吐いた。
「どこから湧いてくるんだ、その自信は」
自信も何も。今の俺が可愛いのは紛れもない事実である。だって白くてふわふわの小さい犬だ。可愛いだろうがよ。
現に聖女ソフィアは、「かわいいー! ふわふわ!」と先程からテンション高めに俺のことを撫でまくっている。だが遠慮を知らない彼女である。撫で方がすごく雑。頭を勢いよく撫でるものだから、俺の首がぐらぐら揺れる。なんか頭が持っていかれそうな勢いだ。
聖女いわく、これは呪いの一種らしい。条件をクリアすれば呪いは解ける。だが、その条件が厄介だった。
「好きな人とキスをすれば元に戻ります!」
ドヤ顔で宣言する聖女とは対照的に、ダリス殿下は絶望顔になってしまう。
「え、つまりそれは。ウィルは一生このままというわけでしょうか」
「いやですから。好きな人とキスすれば戻ります!」
「ということは、今後ずっと犬姿?」
「ダリス殿下? 言葉通じてます?」
ついには聖女が怪訝な顔をした。
俺にはわかる。ダリス殿下は、俺に好きな人なんてできるわけがないとかクソ失礼なことを考えている。殿下は、俺の中には愛情とか好意とか。そういった人間的な感情が存在しないと昔から決めつけているのだ。失礼にも程がある。俺のことを感情のない人形か何かと勘違いしているのだ。
しかし好きな人とのキスで元に戻るなど。お伽話好きな聖女らしい条件である。巻き込まれるこっちはたまったもんじゃないけど。
「一応訊くが、ウィル」
『なんでしょうか、殿下』
「相手に心当たりは?」
ふむ。
好きな人ねぇ。そう言われて俺の頭をよぎったのは、細身でお淑やかな見た目に反して、意外と積極的な女の美しい顔。
『殿下の婚約者であるカルロッタ嬢とか。キスすれば人間に戻れそうな気がする』
「今すぐその口を閉じろ。二度目はないと言ったぞ」
『こっわ。訊かれたことに答えただけなのに。なんて横暴な殿下だ。この国の未来が思いやられるな』
「思いやられるのはおまえの未来だ、馬鹿ウィル」
名前の前に余計なひと言を足すんじゃない。
深々と息を吐くダリス殿下とは対照的に、聖女は呑気に俺を愛でている。「かわいい。ウィルはこっちの方が可愛くていいよ」とかなんとか。このまま聖女に連れ去られてしまいそうな勢いである。その横では、フロイドが「ディック様になんて説明すれば……!」とひとりで絶望している。
「ウィル! 君を私のペットにしてあげよう。聖女様のペットだよ。嬉しいでしょ」
『絶対に嫌だ』
「そんなこと言わないで! 私が飼う!」
聖女様のご乱心はいつものことだ。
俺に縋り付いて来る聖女を一瞥して、ダリス殿下は遠い目をする。
「これ、どうすれば」
王太子殿下らしからぬ慌てようである。ディック兄上にも見せてあげたい。この堅物殿下が取り乱す姿は珍しい。だが、さすがは殿下。すぐに咳払いで気を取り直すと、「ウィル」と鋭い声を発した。
『なんだよ』
「おまえは早急に人間に戻れ。いいか! この件は他言無用だぞ!」
『はーい』
周囲に控えていた騎士や神官たちにも鋭く口止めした殿下に、室内の空気が一瞬だけピリッとする。
『俺は犬、俺は犬。は!』
犬になれるなんて滅多にできる経験ではない。ひとりうきうきと室内を駆けまわっていた俺は、とんでもないことを思いついてしまった。
『この姿であれば、女の子にモテモテなのでは!?』
この姿であれば、女の子にペタペタ触っても許されるかもしれない。完全犬のふりをしておけば、女の子とイチャイチャしても怒られないかもしれない。
素敵な未来にふるふると震える俺であったが、首根っこをガシッと掴まれて身を硬くする。冷たい目をしたダリス殿下が、俺のことをフロイドに押し付けている。
「おい、フロイド」
「はい!」
「こいつをよく見張っておけよ」
「承知しました!」
承知すんな、ボケ。
フロイドの腕の中、俺は舌を出して半眼になる。「なんだその顔は」とダリス殿下が絡みにくる。非常に面倒くさい。
『ま、俺は可愛い犬生活を満喫しようかな』
「元に戻る努力をしろよ。なんでそんな他人事なんだ」
『だってぇ、カルロッタ嬢とキスしたらダメって殿下が言うから』
「まだ言うか!」
途端に不機嫌になったダリス殿下は、荒々しく髪を掻き上げる。フロイドが、俺を抱えたまま頭を下げている。
そんなに心配しなくても、そのうち人間に戻れるだろう。最悪、横から俺の頭を撫でてくる聖女に頭を下げればどうにかなる。
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