17 / 38
9-2
しおりを挟む
「説明するまでもないが、私に不穏の心はない。……どれほど努力したところで、生まれはどうにかなるものではない。そのことに鬱屈を抱くほど若くはない」
さらりと続けられた淡白な言葉に、エヴェリーナは遅れてはっとした。
――不穏の心はない。
それはつまり、叛逆の意志などはないと言っているのではないか。
むろん、言葉ではいくらでも偽ることができる。しかし、エヴェリーナには彼が嘘を言っているようには思えなかった。
生まれはどうにかなるものではない、とも言った。
簡潔な言葉に感情の湿った響きはなかった。諦め受け入れたあとの、乾いてさらさらとした感触に似ていた。
言葉にすれば短いその結論に至るまで、ジルベルトはどれだけ悩み考え、あるいは何かを乗り越えてきたのか。
「ジョナタは王太子として問題のない素質を持っている。私は面倒ごとは嫌いだ。大きな領地を一つおさめるだけで十分だ。我が父上もそのことをよくご存知だ」
さらりと言われ、エヴェリーナは息を飲む。
(不満はない……、国王陛下もそれをご存知ということ?)
第一王子でありながら王太子ではないという立場に、別に不満はない。不穏な考えもない。そのことを、国王もわかっている。――だからこそ、王はジルベルトのためにわざわざ祝勝会などを開いて表舞台に立たせたのか。
エヴェリーナの見た限り、ジルベルトとジョナタは不仲には見えなかったのも確かだった。仲が良いとも見えなかったが、貴人の兄弟としてはごく普通の範囲であったように思える。
大器を感じさせ自信に満ちあふれていながらも、王位にはさほど興味がない――ジルベルトの奇妙なねじれは、だが不思議と納得できてしまった。
それだけジルベルトは鷹揚で、ぎらぎらとした野心を感じないからかもしれない。
エヴェリーナがそんなことを考えていると、ふいに小さく笑う声があった。
「――おおむね、ジョナタは善良で根の真っ直ぐな男だが、それゆえに一つ欠点がある」
エヴェリーナは驚いてジルベルトを見た。目と目が合う。
「珍味は、正統な美食あってこそ際立つということがわからぬらしい。たまに食すからこその珍味だ。野趣に溢れた珍味も毎日口にすればいずれ飽きるし、常食には向かん」
軽く揶揄するような口調に、エヴェリーナは忙しなく瞬く。
ジョナタにわだかまりはないというようなことを言っていたのに――何を言おうとしているのだろう。
ふ、とエヴェリーナの手がまたもすくわれた。指先を引かれて、ジルベルトの吐息が触れる。
「伴侶を見る目がないな、弟は」
触れる息がかすかに笑っている。
とたん、エヴェリーナはくらりと目眩を覚えた。たちまち頬に熱がのぼる。
「ご、ご冗談を……っ」
ようやくのことでそれだけを言い、手を引く。
ひどくいたたまれず、顔を背ける。ジルベルトの笑い声が聞こえる。
(な、何を言うの……っ!)
顔が熱い。
――これまで、もっと直接的に容姿を褒められたことは何度もある。そのことにいちいち動揺などしなかった。なのに、どうしていまこれほど動揺してしまうのだろう。
ジルベルトの眼差しにも声にも、あまりに力があるからなのか。
――野趣に溢れた珍味という言葉が、たぶんマルタを指しているだろうこともようやく気づく。とたん、エヴェリーナの胸に仄暗い喜びがわいた。
貴人らしい婉曲な、だが陰湿さの感じない言葉で、マルタより自分を認めてくれたのはジルベルトだけだ。
それでも、エヴェリーナは自分を戒めた。
(……浮かれてはだめ)
こんな喜び方は、卑小に感じられる。自分に許したくない類のものだった。
マルタもジョナタももう自分には関係ない。何を言われても反応せず、遠ざけることが一番いいのだ。
――おそらくは、ジルベルトも。
さらりと続けられた淡白な言葉に、エヴェリーナは遅れてはっとした。
――不穏の心はない。
それはつまり、叛逆の意志などはないと言っているのではないか。
むろん、言葉ではいくらでも偽ることができる。しかし、エヴェリーナには彼が嘘を言っているようには思えなかった。
生まれはどうにかなるものではない、とも言った。
簡潔な言葉に感情の湿った響きはなかった。諦め受け入れたあとの、乾いてさらさらとした感触に似ていた。
言葉にすれば短いその結論に至るまで、ジルベルトはどれだけ悩み考え、あるいは何かを乗り越えてきたのか。
「ジョナタは王太子として問題のない素質を持っている。私は面倒ごとは嫌いだ。大きな領地を一つおさめるだけで十分だ。我が父上もそのことをよくご存知だ」
さらりと言われ、エヴェリーナは息を飲む。
(不満はない……、国王陛下もそれをご存知ということ?)
第一王子でありながら王太子ではないという立場に、別に不満はない。不穏な考えもない。そのことを、国王もわかっている。――だからこそ、王はジルベルトのためにわざわざ祝勝会などを開いて表舞台に立たせたのか。
エヴェリーナの見た限り、ジルベルトとジョナタは不仲には見えなかったのも確かだった。仲が良いとも見えなかったが、貴人の兄弟としてはごく普通の範囲であったように思える。
大器を感じさせ自信に満ちあふれていながらも、王位にはさほど興味がない――ジルベルトの奇妙なねじれは、だが不思議と納得できてしまった。
それだけジルベルトは鷹揚で、ぎらぎらとした野心を感じないからかもしれない。
エヴェリーナがそんなことを考えていると、ふいに小さく笑う声があった。
「――おおむね、ジョナタは善良で根の真っ直ぐな男だが、それゆえに一つ欠点がある」
エヴェリーナは驚いてジルベルトを見た。目と目が合う。
「珍味は、正統な美食あってこそ際立つということがわからぬらしい。たまに食すからこその珍味だ。野趣に溢れた珍味も毎日口にすればいずれ飽きるし、常食には向かん」
軽く揶揄するような口調に、エヴェリーナは忙しなく瞬く。
ジョナタにわだかまりはないというようなことを言っていたのに――何を言おうとしているのだろう。
ふ、とエヴェリーナの手がまたもすくわれた。指先を引かれて、ジルベルトの吐息が触れる。
「伴侶を見る目がないな、弟は」
触れる息がかすかに笑っている。
とたん、エヴェリーナはくらりと目眩を覚えた。たちまち頬に熱がのぼる。
「ご、ご冗談を……っ」
ようやくのことでそれだけを言い、手を引く。
ひどくいたたまれず、顔を背ける。ジルベルトの笑い声が聞こえる。
(な、何を言うの……っ!)
顔が熱い。
――これまで、もっと直接的に容姿を褒められたことは何度もある。そのことにいちいち動揺などしなかった。なのに、どうしていまこれほど動揺してしまうのだろう。
ジルベルトの眼差しにも声にも、あまりに力があるからなのか。
――野趣に溢れた珍味という言葉が、たぶんマルタを指しているだろうこともようやく気づく。とたん、エヴェリーナの胸に仄暗い喜びがわいた。
貴人らしい婉曲な、だが陰湿さの感じない言葉で、マルタより自分を認めてくれたのはジルベルトだけだ。
それでも、エヴェリーナは自分を戒めた。
(……浮かれてはだめ)
こんな喜び方は、卑小に感じられる。自分に許したくない類のものだった。
マルタもジョナタももう自分には関係ない。何を言われても反応せず、遠ざけることが一番いいのだ。
――おそらくは、ジルベルトも。
13
あなたにおすすめの小説
ざまぁに失敗したけど辺境伯に溺愛されています
木漏れ日
恋愛
天才魔術師セディが自分の番である『異界渡りの姫』を召喚したとき、16歳の少女奈緒はそれに巻き込まれて、壁外という身分を持たない人々が住む場所に落ちました。
少女は自分を異世界トリップに巻き込んだ『異界渡り姫』に復讐しようとして失敗。なぜかロビン辺境伯は少女も『異界渡りの姫』だと言って溺愛するのですが……
陰陽の姫シリーズ『図書館の幽霊って私のことですか?』と連動しています。
どちらからお読み頂いても話は通じます。
「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!
放浪人
恋愛
【「愛さない」と言ったのはあなたです。私はもっとハイスペックな次(夫)と幸せになりますので、どうぞお構いなく!】
侯爵令嬢リディアは、建国記念舞踏会の最中に、婚約者である王太子レオンハルトから婚約破棄を宣言される。 「君を愛することはない!」という王太子の言葉は、国中に響く『公的拒絶誓約』となってしまった。
しかし、リディアは泣かなかった。 「承知しました。私も愛しません。次いきます」 彼女は即座に撤退し、その場で慰謝料請求と名誉回復の手続きを開始する。その潔さと有能さに目をつけたのは、国の行政を牛耳る『氷の宰相』アシュ・ヴァレンシュタインだった。
「私の政治的盾になれ。条件は『恋愛感情の禁止』と『嘘がつけない契約』だ」
利害の一致した二人は、愛のない契約結婚を結ぶ。 はずだったのだが――『嘘がつけない契約』のせいで、冷徹なはずの宰相の本音が暴走! 「君を失うのは非合理だ(=大好きだ)」「君は私の光だ(=愛してる)」 隠せない溺愛と、最強の夫婦による論理的で容赦のない『ざまぁ』。
一方、リディアを捨てた王太子は「愛さない誓約」の呪いに苦しみ、自滅していく。 これは、悪役令嬢と呼ばれた女が、嘘のない真実の愛を手に入れ、国中を巻き込んで幸せになるまでの物語。
婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします
たくわん
恋愛
社交界の華と謳われた伯爵令嬢セレスティアは、王太子から「完璧すぎて息が詰まる」と婚約破棄を告げられる。傷心のまま逃げるように向かったのは、亡き祖母が遺した田舎の小さな屋敷だった。
荒れ果てた屋敷、慣れない一人暮らし、そして庭に住みついた五匹の野良猫たち。途方に暮れるセレスティアの隣には、無愛想で人嫌いな青年医師・ノアが暮らしていた。
「この猫に構うな。人間嫌いだから」
冷たく突き放すノアだが、捨て猫を保護し、傷ついた動物を治療する彼の本当の姿を知るうちに、セレスティアの心は少しずつ惹かれていく。
猫の世話を通じて近づく二人。やがて明かされるノアの過去と、王都から届く縁談の催促。「完璧な令嬢」を脱ぎ捨てた先に待つ、本当の自分と本当の恋——。
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
【完結】死に戻り8度目の伯爵令嬢は今度こそ破談を成功させたい!
雲井咲穂(くもいさほ)
恋愛
アンテリーゼ・フォン・マトヴァイユ伯爵令嬢は婚約式当日、婚約者の逢引を目撃し、動揺して婚約式の会場である螺旋階段から足を滑らせて後頭部を強打し不慮の死を遂げてしまう。
しかし、目が覚めると確かに死んだはずなのに婚約式の一週間前に時間が戻っている。混乱する中必死で記憶を蘇らせると、自分がこれまでに前回分含めて合計7回も婚約者と不貞相手が原因で死んでは生き返りを繰り返している事実を思い出す。
婚約者との結婚が「死」に直結することを知ったアンテリーゼは、今度は自分から婚約を破棄し自分を裏切った婚約者に社会的制裁を喰らわせ、婚約式というタイムリミットが迫る中、「死」を回避するために奔走する。
ーーーーーーーーー
2024/01/13 ランキング→恋愛95位 ありがとうございました!
なろうでも掲載20万PVありがとうございましたっ!
恋愛戦線からあぶれた公爵令嬢ですので、私は官僚になります~就業内容は無茶振り皇子の我儘に付き合うことでしょうか?~
めもぐあい
恋愛
公爵令嬢として皆に慕われ、平穏な学生生活を送っていたモニカ。ところが最終学年になってすぐ、親友と思っていた伯爵令嬢に裏切られ、いつの間にか悪役公爵令嬢にされ苛めに遭うようになる。
そのせいで、貴族社会で慣例となっている『女性が学園を卒業するのに合わせて男性が婚約の申し入れをする』からもあぶれてしまった。
家にも迷惑を掛けずに一人で生きていくためトップであり続けた成績を活かし官僚となって働き始めたが、仕事内容は第二皇子の無茶振りに付き合う事。社会人になりたてのモニカは日々奮闘するが――
わがままな婚約者はお嫌いらしいので婚約解消を提案してあげたのに、反応が思っていたのと違うんですが
水谷繭
恋愛
公爵令嬢のリリアーヌは、婚約者のジェラール王子を追いかけてはいつも冷たくあしらわれていた。
王子の態度に落ち込んだリリアーヌが公園を散策していると、転んで頭を打ってしまう。
数日間寝込むはめになったリリアーヌ。眠っている間に前世の記憶が流れ込み、リリアーヌは今自分がいるのは前世で読んでいたWeb漫画の世界だったことに気づく。
記憶を思い出してみると冷静になり、あれだけ執着していた王子をどうしてそこまで好きだったのかわからなくなる。
リリアーヌは王子と婚約解消して、新しい人生を歩むことを決意するが……
◆表紙はGirly Drop様からお借りしました
◇小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる