【完結】一生に一度だけでいいから、好きなひとに抱かれてみたい。

村松砂音(抹茶砂糖)

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19 名前で呼んで

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「今度はハルネス隊長の番ですよ。ちゃんとリュカに謝ってください」
「あ、ああ……キルシュバウム、本当にすまなかった」
「もう大丈夫ですよ。ニコラのためなのは、わかっていますから」
「しかしだな……」

 根はやさしいひとなのだろう。先ほどまでの冷たい態度が嘘のように困りきった顔を見せるハルネスがおかしくて笑ってしまった。

「では、今度ケーキをごちそうしてください。ニコラと三人で食べましょう」
「ああ、もちろんだ」

 ほっとしたように表情を緩め、ハルネスが笑う。サイファートは彼が隊長として優秀だと言っていたし、面倒見のいいひとなのだとわかった。きっと部下にも慕われているのだろう。

 そんなことを考えていたとき、ふいにハルネスが表情を引き締めた。

「お詫び、というわけではないんだが……キルシュバウム、おまえにひとつ忠告しておきたいことがある。ウィルフリッド第二王子殿下のことだ」
「……え?」

 予想もしなかった名前が飛び出して、リュカの心臓が跳ね上がる。

「実は、おまえの店に行ったのは殿下に頼まれたからなんだ。噂の高級男娼を見てきてほしいと。あの店は一見客だと入れないから、わざわざ伝手まで用意してくださってな。まあ、一国の王子が男娼を買うわけにもいかないから代理を頼むのは理解できる。――おまえ、殿下と知り合いなのか?」
「いえ……それはいつのことですか?」

 リュカは第二王子の顔さえ知らない。でも、もしかしてとは思っていた。もしかして、以前王城で出会った少年が、第二王子なのではないか、と。

「一年くらい前だな。まあ、店に通いはじめてすぐにはおまえを買えなかったから何ヶ月かは通う羽目になったが」

 王子がハルネスに指示したのは、リュカが男娼として働きはじめてすぐのころだ。

「おまえに会うまでに何人もの男娼を買って、ようやくおまえに会えたよ。そのあと殿下におまえの様子を伝えたら、わざわざかかった金を支払ってくださってな。ただ礼を言われて労われて、それきりだ。口止めはされていたが、友人であるサイファートに頼まず、どうして俺に頼んだのかとずっと気にかかっていたんだ。単純に、あいつが男を抱けないから、男色だと知られている俺に頼んだだけなのかもしれないが……」

 男を抱けない。そのことばがどうして引っかかるのか。

「殿下には魔力欠乏体質の人間を探しているという噂がある。おまえが父親に命令されたことも案外上手くいくかもしれないぞ。まあ、殿下は直接おまえを見ているわけじゃないから、おまえと件の高級男娼が同一人物だとは知らないだろうがな」
「ちょっと、ハルネス隊長……」

 むすっとした顔で、ニコラがハルネスの上着の袖をぐいぐいと引っ張る。

「なんだ、ニコラ?」
「サイファート隊長のことは余計ですよ」
「ん? ……あ、そうか」

 ハルネスはリュカの顔を見て、申し訳なさそうな顔になった。

「……何人もの男娼を買って、ねえ……ふうん」
「あ、いや、それは殿下に頼まれてしかたなくだ。もう、俺はニコラだけだよ」
「ロアン……」

 ハルネスのことばを聞いて、ニコラが熱を帯びた瞳でハルネスを見つめる。袖を掴んでいたニコラの指がするりと下りて、ハルネスの手の甲に重なった。
 声をかける機会を逸してリュカが口を噤んでいると、我に返ったニコラがあわててハルネスから距離を取った。

「……ごめん、リュカ」
「いえ。俺、そろそろ自分の部屋に帰ります。いろいろとありがとうございました、ニコラ」
「お礼を言うのは僕のほうだよ。きっとサイファート隊長がきみを守ってくれるだろうけど……僕も力になるから、なにかあったらいつでも来てね」
「はい。ハルネス隊長も、殿下のことを教えてくださってありがとうございました」
「ああ、なにかあれば相談しろよ、キルシュバウム。サイファートには言えないこともあるだろうからな。ケーキも用意しておく」
「はい、ケーキ楽しみにしてます。……あの、さっきから気になっていたんですが、家名では呼びづらくないですか?」

 先ほどから、ハルネスはリュカのことを名前ではなく家名で呼んでいた。もしかしてニコラのために名前で呼ぶのをやめたのかと思ったが、意外な答えが返ってきた。

「あれはわざとだったからな。おまえを名前で呼ぶと、サイファートが不機嫌になるんだ」
「え、そうなんですか?」
「そうなんだよ。おまえ、あれの側仕えは苦労するぞ……」
「俺にはやさしいですよ、すごく」
「嘘だろ……」

 信じられないと大げさに顔を顰めたハルネスがおかしくて、ニコラと顔を合わせて笑ってしまった。

 ふたりに見送られて部屋を出た途端、ドアのそばに立っていた人物と視線が合って息を飲んだ。そこにいたのはサイファートだった。

「サイファート隊長……もしかして、待っていてくださったんですか?」
「遅くなったら部屋に乗り込むと言っておいたよな」
「はい、言ってましたね」

 どうやら心配をかけてしまったらしい。リュカが笑うと、サイファートは短いため息を吐き出した。
 無言で自室のドアを開けるサイファートに続き、リュカも部屋の中に入った。まだ二日しか過ごしていないのに、この部屋に戻るとなんだか落ち着く気がする。それはきっと、この部屋にサイファートがいるからだ。

「その緩んだ顔を見るに、どうやら悩みごとは解決したようだな」
「はい、サイファート隊長のおかげです」

 そう言うと、サイファートは怪訝そうな顔になった。

「オレはなにもしていないが?」
「サイファート隊長にそのつもりがなくても、俺はあなたのおかげだと思っています」

 リュカがハルネスを説得しようと思えたのは、サイファートに背中を押してもらえたからだ。サイファートに勇気をもらえたからだ。

「そういえば、ハルネス隊長にいいことを教えてもらったんです」

 にこにこしながらリュカが言うと、サイファートはあからさまに顔を顰めた。

「……悪い予感しかしないが、言ってみろ」
「ハルネス隊長が俺のことを名前で呼ぶと、サイファート隊長が不機嫌になるって」

 予想していたが、サイファートからの返事はなかった。代わりに、それ見たことかと嘆息が聞こえてくる。

「俺のこと、名前で呼んでくれませんか?」

 名前で呼び合うニコラとハルネスがうらやましかった。

「わかった」

 短いけれど確かな了承の返事をもらえて、うれしくなる。

「俺も、隊長を名前で呼んでもいいですか?」
「好きにしろ」
「はい、アレックス隊長」

 たとえ一年という短い期間だとしても、この騎士団での生活を前向きに過ごしたい。側仕えとして、アレックスの役に立ちたい。もっとアレックスに近づきたい。もっとアレックスのことが知りたい。
 呼び名を変えただけなのに、ほんの少しアレックスに近づけたような気がしてうれしい。
 リュカの緩んだ口元は、なかなか戻らなかった。
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