婚約破棄された令嬢は、幸せになると決めました~追放先で出会った冷徹公爵が、なぜか溺愛してくる件~

sika

文字の大きさ
17 / 30

第17話 公爵の誓い

しおりを挟む
夜明け前の空気は張りつめていた。  
霧を含んだ風が屋敷の石壁を撫で、鳥の声すら遠くで途切れ途切れに響く。  
夜の雨は止み、地面にはまだ濡れた跡が残っている。  

その静けさの中、レオン・アルドレッドはひとり屋上の見張り台に立っていた。  
剣を手にして、昨日発見された足跡の跡を見下ろしている。  
あの靴跡は、間違いなく屋敷の者ではなかった。  

誰かが意図的にここを探っている。  
それが王都の密偵であれ、ただの盗賊であれ、領の主として見過ごすつもりはなかった。  

「動いてきたな……。」  
微かに呟く声が夜風に消えた。  

小さな足音が背後から近づく。  
「公爵様……。朝食のご用意をとリーナから伝言が。」  
振り向くと、そこにはグレイスの姿があった。  
淡い光が彼女の髪を照らし、ほのかに金の縁が差して見えた。  

「もう起きたのか。」  
「はい。なんとなく眠れなくて……。朝の空気を吸うのが好きなんです。」  
「お前まで夜警の真似事をするな。」  
「いえ、違います。公爵様がどんな顔をしているのか気になっただけです。」  

その言葉に、ほんの僅かに表情が緩む。  
「気になるとは、大きな口を叩くな。」  
「だって、焦燥や怒りよりずっと、疲れた顔をしていらしたから。」  

彼の目が大きく動いた。  
グレイスは慌てて視線を逸らす。  
「……すみません。出過ぎた真似をしました。」  
「いいや、その通りだ。俺は疲れている。」  
「どうか、少しお休みを。民も文官も、公爵様が倒れたら皆困ります。」  
「そう簡単には倒れん。」  

だが言葉の端に、彼女には確かにかすかな迷いが感じ取れた。  

彼が何も言わないまま、夜明けの薄明の光の中で背を向ける。  
その寂しげな後ろ姿を見て、胸に疼くものがあった。  

***  

午前。  
屋敷に一通の書状が届いた。  
封蝋には見覚えのある印――王都の印章。だが、正式な使者のものではなかった。  

文官が運んできて震えながら言う。  
「公爵様……。領の商会宛に届いたものですが、不審な内容が。」  
「開けろ。」  

封を切ると、中には短い一文だけが書かれていた。  
“彼女を王都に差し出せ。さもなくば、この領に再び剣が振るわれるだろう。”  

「……また王都の者か。」  
レオンの冷たい声が響いた。  
文官たちは息を呑む。  

「この手の脅しは無視して構わん。だが今夜から見張りを倍にしろ。」  
「は、はい!」  

彼が視線を落とした先、グレイスの名を連想させる“彼女”の文字がかすかに滲んでいた。  
濡れた指で触れると、書かれている墨の上から新しい滴が落ちる。  
――誰かが手に汗をかきながら、慌てて書いたもの。  
明確に感情のこもった脅迫だった。  

***  

午後、グレイスは温室で花の世話をしている子どもたちを見つめていた。  
その顔は穏やかだったが、心の奥では小さな不安が波打っていた。  
公爵の表情に走った影が、忘れられない。  
何かが起ころうとしている。そんな予感が止まらなかった。  

リーナが来て小声で告げた。  
「お嬢様、公爵様がお呼びです。執務室へ……。」  
「わかりました。」  

彼女は花の水差しを置き、静かに立ち上がる。  

執務室の扉を開くと、レオンが地図を広げていた。  
机の上には地形を示すいくつかの赤い印。  
その横に、剣と封書が置いてある。  

「来たか。」  
「お呼びでしょうか。」  
「この地図を見ろ。ここだ。」  

指さしたのは、王都へ続く街道の分岐。  
「昨夜、不審な影をここで見た者がいる。たぶん、先に来た偵察だ。」  

「偵察……? まさか侵攻が?」  
「それはまだわからん。だが、警戒するに越したことはない。」  

彼は真っ直ぐにこちらを見据えた。  
その瞳の底には、冷たい光と同時に燃えるような決意が宿っている。  

「グレイス。もし、俺に何かあったら――」  
「そんなこと言わないでください。」  
思わず声が震えた。  

「もし、だ。もしもの話だ。」  
レオンは続ける。  
「その時は、屋敷の者たちをまとめて避難させろ。領主代理として命を握るのはお前だ。」  
「そんなこと……わたしにできるはずが……」  
「できる。お前だからこそ頼んでいる。」  

その強い声が心を貫く。  
彼がどれほど真剣に彼女を信じているのか、痛いほど伝わった。  
グレイスの唇が震えた。  

「……公爵様は、どうしてそんなに無茶ばかり。」  
「あの日、お前が凍えるような雪道で立っていた時、俺は初めて人を救いたいと思った。」  
レオンの言葉が静かに室内に落ちる。  

「戦場では命を奪うことしか知らなかった。だが、お前に出会って、生きることを学んだ。」  
「……」  
「だからこそ、俺はこの地を守り抜く。  
たとえ、王都が牙を剥こうと――この領だけは、穢させはしない。」  

その言葉は鋼のようでありながら、どこか祈りにも似ていた。  
グレイスは胸の奥が締めつけられ、気づけば彼の手を取っていた。  

「……わたしも、守ります。この場所を。あなたの誓いの半分は、わたしの誓いでもあるから。」  

レオンが驚いたように彼女を見る。  
次の瞬間、穏やかな微笑が浮かんだ。  
「それでいい。一人より、二人で戦う方が強い。」  

静かに視線を交わした。  
言葉はそれ以上いらなかった。  
屋敷の時計が時を打ち、その音が二人の誓いの証のように響いた。  

***  

夜。  
屋敷の周囲に松明の灯が増え、警備兵たちが配置につく。  
森の向こうでは、風に乗って土と金属の匂いがかすかに混じった。  

グレイスは窓のそばで祈るように手を組む。  
誰も傷つかなければいい――そう願うことしかできない。  

そのとき、扉が静かに開いた。  
レオンが立っていた。  
外套を羽織り、背に剣を背負っている。  

「行く。」  
「……どこへ?」  
「街道の見張り塔だ。自ら確かめる。」  
「危険です!」  
「俺が行かなければ、誰が行く。」  

グレイスは口を噤んだ。  
無理をしても止められないとわかっている。  
だから代わりに、彼の肩にそっと手を置いた。  

「どうか、必ず戻ってきてください。」  
「約束しよう。」  

その言葉に嘘はなかった。  
レオンは彼女の手を取ると、一瞬だけ強く握りしめた。  

「俺は誓う。何があっても、この屋敷を、この地を、お前を守る。」  

短い言葉に込められた確かな重み。  
それは剣よりも堅い誓約だった。  

彼が扉を閉めると、夜風が吹き込み、燭火が揺れた。  
グレイスはその光の中で、そっと胸に手を当てる。  

鼓動が早い。押さえようとしても、止められなかった。  

「……信じてます、公爵様。」  

その声は、彼の背を追うように夜の中へと溶けていった。  
遠くで雷鳴が轟く。  
それは、嵐の幕開けを告げる音だった。  

(第17話 公爵の誓い 了)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました

鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」 そう言ったのは、王太子アレス。 そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。 外交も財政も軍備も―― すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。 けれど功績はすべて王太子のもの。 感謝も敬意も、ただの一度もない。 そして迎えた舞踏会の夜。 「便利だったが、飾りには向かん」 公開婚約破棄。 それならば、とレイナは微笑む。 「では業務も終了でよろしいですね?」 王太子が望んだ通り、 彼女は“確認”をやめた。 保証を外し、責任を返し、 そして最後に―― 「ご確認を」と差し出した書類に、 彼は何も読まずに署名した。 国は契約で成り立っている。 確認しない者に、王の資格はない。 働きたくない公爵令嬢と、 責任を理解しなかった王太子。 静かな契約ざまぁ劇、開幕。 ---

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

【完結】追放された大聖女は黒狼王子の『運命の番』だったようです

星名柚花
恋愛
聖女アンジェリカは平民ながら聖王国の王妃候補に選ばれた。 しかし他の王妃候補の妨害工作に遭い、冤罪で国外追放されてしまう。 契約精霊と共に向かった亜人の国で、過去に自分を助けてくれたシャノンと再会を果たすアンジェリカ。 亜人は人間に迫害されているためアンジェリカを快く思わない者もいたが、アンジェリカは少しずつ彼らの心を開いていく。 たとえ問題が起きても解決します! だって私、四大精霊を従える大聖女なので! 気づけばアンジェリカは亜人たちに愛され始める。 そしてアンジェリカはシャノンの『運命の番』であることが発覚し――?

地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです

有賀冬馬
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」 そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。 社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。 そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。 過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。 そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。 「君が隣にいない宮廷は退屈だ」 これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。

貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました

ゆっこ
恋愛
 ――あの日、私は確かに笑われた。 「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」  王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。  その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。  ――婚約破棄。

【完結済】破棄とか面倒じゃないですか、ですので婚約拒否でお願いします

恋愛
水不足に喘ぐ貧困侯爵家の次女エリルシアは、父親からの手紙で王都に向かう。 王子の婚約者選定に関して、白羽の矢が立ったのだが、どうやらその王子には恋人がいる…らしい? つまりエリルシアが悪役令嬢ポジなのか!? そんな役どころなんて御免被りたいが、王サマからの提案が魅力的過ぎて、王宮滞在を了承してしまう。 報酬に目が眩んだエリルシアだが、無事王宮を脱出出来るのか。 王子サマと恋人(もしかしてヒロイン?)の未来はどうなるのか。 2025年10月06日、初HOTランキング入りです! 本当にありがとうございます!!(2位だなんて……いやいや、ありえないと言うか…本気で夢でも見ているのではないでしょーか……) ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ※小説家になろう様にも掲載させていただいています。 ※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。 ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。 ※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。 ※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。 ※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。 ※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。 ※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。 ※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。

辺境は独自路線で進みます! ~見下され搾取され続けるのは御免なので~

紫月 由良
恋愛
 辺境に領地を持つマリエ・オリオール伯爵令嬢は、貴族学院の食堂で婚約者であるジョルジュ・ミラボーから婚約破棄をつきつけられた。二人の仲は険悪で修復不可能だったこともあり、マリエは快諾すると学院を早退して婚約者の家に向かい、その日のうちに婚約が破棄された。辺境=田舎者という風潮によって居心地が悪くなっていたため、これを機に学院を退学して領地に引き籠ることにした。  魔法契約によりオリオール伯爵家やフォートレル辺境伯家は国から離反できないが、関わり合いを最低限にして独自路線を歩むことに――。   ※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています

「役立たず」と婚約破棄されたけれど、私の価値に気づいたのは国中であなた一人だけでしたね?

ゆっこ
恋愛
「――リリアーヌ、お前との婚約は今日限りで破棄する」  王城の謁見の間。高い天井に声が響いた。  そう告げたのは、私の婚約者である第二王子アレクシス殿下だった。  周囲の貴族たちがくすくすと笑うのが聞こえる。彼らは、殿下の隣に寄り添う美しい茶髪の令嬢――伯爵令嬢ミリアが勝ち誇ったように微笑んでいるのを見て、もうすべてを察していた。 「理由は……何でしょうか?」  私は静かに問う。

処理中です...