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第二話 愛しているのは別の女性だ
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第二話 愛しているのは別の女性だ
舞踏会の夜は、いつも同じ匂いがした。
香水と花、磨き上げられた床、絹と宝石が混ざり合った、王城特有の甘く重たい空気。
ネフェリアは、その中心に立っていた。
王太子の隣。
王国の未来を象徴する場所。
視線が集まるのは慣れている。
羨望、嫉妬、探るような目――それらを受け流す術も、彼女はすでに身につけていた。
今夜も、何事もなく終わるはずだった。
そう、思っていた。
「――皆に、伝えたいことがある」
音楽が止み、王太子の声が広間に響く。
ざわめきが一瞬で静まり返り、視線が彼へ集中した。
ネフェリアは、わずかに眉を動かした。
予定にはない進行だったからだ。
だが、表情は変えない。
王太子妃候補として、隣に立つ者として、感情を表に出すことは許されない。
「本来なら、もっと早く話すべきだった」
王太子は一歩前に出る。
その声音には、奇妙な高揚が混じっていた。
「私は――愛している」
その言葉が発せられた瞬間、会場に微かな動揺が走る。
だが、誰もまだ理解していなかった。
その“愛”が、誰に向けられたものなのかを。
「愛しているのは、ネフェリアではない」
静寂が、落ちた。
一拍遅れて、空気がひび割れるようなざわめきが広がる。
誰かが息を呑み、誰かが声を上げ、誰かが慌てて口元を押さえた。
ネフェリアは――動かなかった。
視線も、姿勢も、呼吸さえも。
完璧なまでに、王太子妃候補のままだった。
「私が共に生きたいのは、彼女だ」
王太子が示した先にいたのは、一人の少女だった。
淡い色のドレスに身を包み、怯えたように立ち尽くす、平民出身の少女。
場違いなほど素朴で、しかし庇護欲をかき立てる存在。
――なるほど。
ネフェリアは、内心で静かに理解した。
だから、最近、決裁が遅れ、会議を欠席し、予定を把握していなかったのか。
だから、視線が合わなくなり、会話が減っていったのか。
すべてが、一本の線で繋がる。
「よって、ここに宣言する」
王太子は、はっきりと言い切った。
「ネフェリア・フォン・クロイツベルクとの婚約は、破棄する」
その言葉は、宣告だった。
相談でも、交渉でもない。
広間の視線が、一斉にネフェリアへ向けられる。
同情、驚愕、好奇――そして、わずかな期待。
泣くのか。
取り乱すのか。
縋るのか。
誰もが、そう思っていた。
ネフェリアは、静かに一歩前に出た。
「……承知いたしました」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
王太子が、わずかに目を見開く。
想定していた反応ではなかったのだろう。
「婚約破棄の手続きにつきましては、後日、正式な書面をもって対応いたします」
淡々と告げる。
まるで、日程変更を確認するかのように。
「異論はございません」
ざわめきが、さらに大きくなる。
悲鳴にも似た声が、あちこちから漏れた。
王太子は、言葉を失ったように口を開け、閉じた。
そこにあったのは、安堵ではない。
困惑と、予想外の違和感だった。
「……いいのか?」
思わず漏れたその言葉に、ネフェリアは小さく首を傾げる。
「王太子殿下がお決めになったことです。
わたくしが、口を挟む立場ではございません」
完璧な答えだった。
あまりにも、完璧すぎるほどに。
ネフェリアは一礼し、静かにその場を下がる。
誰も、彼女を引き止めなかった。
控え室へ向かう廊下で、ようやく、胸の奥がひどく静かなことに気づく。
怒りも、悲しみも、湧き上がらない。
ただ――一つだけ、確かな感覚があった。
これで、自分の役割は終わったのだという、実感。
長年続けてきた仕事が、突然、不要になった。
それだけのこと。
ネフェリアは、窓の外に広がる夜空を一瞬だけ見上げる。
「……そうですか」
誰にも聞かれない小さな声で、そう呟いた。
このとき、王太子も、王国も、まだ知らなかった。
彼女が担っていた“役割”の重さを。
そして、
それを失ったとき、何が起こるのかを。
舞踏会の夜は、いつも同じ匂いがした。
香水と花、磨き上げられた床、絹と宝石が混ざり合った、王城特有の甘く重たい空気。
ネフェリアは、その中心に立っていた。
王太子の隣。
王国の未来を象徴する場所。
視線が集まるのは慣れている。
羨望、嫉妬、探るような目――それらを受け流す術も、彼女はすでに身につけていた。
今夜も、何事もなく終わるはずだった。
そう、思っていた。
「――皆に、伝えたいことがある」
音楽が止み、王太子の声が広間に響く。
ざわめきが一瞬で静まり返り、視線が彼へ集中した。
ネフェリアは、わずかに眉を動かした。
予定にはない進行だったからだ。
だが、表情は変えない。
王太子妃候補として、隣に立つ者として、感情を表に出すことは許されない。
「本来なら、もっと早く話すべきだった」
王太子は一歩前に出る。
その声音には、奇妙な高揚が混じっていた。
「私は――愛している」
その言葉が発せられた瞬間、会場に微かな動揺が走る。
だが、誰もまだ理解していなかった。
その“愛”が、誰に向けられたものなのかを。
「愛しているのは、ネフェリアではない」
静寂が、落ちた。
一拍遅れて、空気がひび割れるようなざわめきが広がる。
誰かが息を呑み、誰かが声を上げ、誰かが慌てて口元を押さえた。
ネフェリアは――動かなかった。
視線も、姿勢も、呼吸さえも。
完璧なまでに、王太子妃候補のままだった。
「私が共に生きたいのは、彼女だ」
王太子が示した先にいたのは、一人の少女だった。
淡い色のドレスに身を包み、怯えたように立ち尽くす、平民出身の少女。
場違いなほど素朴で、しかし庇護欲をかき立てる存在。
――なるほど。
ネフェリアは、内心で静かに理解した。
だから、最近、決裁が遅れ、会議を欠席し、予定を把握していなかったのか。
だから、視線が合わなくなり、会話が減っていったのか。
すべてが、一本の線で繋がる。
「よって、ここに宣言する」
王太子は、はっきりと言い切った。
「ネフェリア・フォン・クロイツベルクとの婚約は、破棄する」
その言葉は、宣告だった。
相談でも、交渉でもない。
広間の視線が、一斉にネフェリアへ向けられる。
同情、驚愕、好奇――そして、わずかな期待。
泣くのか。
取り乱すのか。
縋るのか。
誰もが、そう思っていた。
ネフェリアは、静かに一歩前に出た。
「……承知いたしました」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
王太子が、わずかに目を見開く。
想定していた反応ではなかったのだろう。
「婚約破棄の手続きにつきましては、後日、正式な書面をもって対応いたします」
淡々と告げる。
まるで、日程変更を確認するかのように。
「異論はございません」
ざわめきが、さらに大きくなる。
悲鳴にも似た声が、あちこちから漏れた。
王太子は、言葉を失ったように口を開け、閉じた。
そこにあったのは、安堵ではない。
困惑と、予想外の違和感だった。
「……いいのか?」
思わず漏れたその言葉に、ネフェリアは小さく首を傾げる。
「王太子殿下がお決めになったことです。
わたくしが、口を挟む立場ではございません」
完璧な答えだった。
あまりにも、完璧すぎるほどに。
ネフェリアは一礼し、静かにその場を下がる。
誰も、彼女を引き止めなかった。
控え室へ向かう廊下で、ようやく、胸の奥がひどく静かなことに気づく。
怒りも、悲しみも、湧き上がらない。
ただ――一つだけ、確かな感覚があった。
これで、自分の役割は終わったのだという、実感。
長年続けてきた仕事が、突然、不要になった。
それだけのこと。
ネフェリアは、窓の外に広がる夜空を一瞬だけ見上げる。
「……そうですか」
誰にも聞かれない小さな声で、そう呟いた。
このとき、王太子も、王国も、まだ知らなかった。
彼女が担っていた“役割”の重さを。
そして、
それを失ったとき、何が起こるのかを。
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