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第9話 不潔で無秩序で、許しがたい街ですわ
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第9話 不潔で無秩序で、許しがたい街ですわ
馬車の窓を打つ振動が、いつもより荒れている。
石畳の継ぎ目が乱れ、車輪が跳ねるたび、シグネア・ヴァレンティスは小さく眉を寄せた。
「……なんですの、この不快な揺れは」
扇子で口元を隠しながら、冷ややかに問う。
向かいに座るテイクアは、すでに察していたのか、慎重に答えた。
「この辺りは……いわゆる、スラム街です」
「スラム?」
シグネアは、窓の外へ視線を向ける。
視界に映るのは、歪んだ家屋――いや、家屋と呼ぶのも躊躇われるような小屋の群れだった。
木材は腐り、布切れが壁代わりに張られ、路地には排水の流れた痕がそのまま残っている。
人の気配はあるが、秩序はない。
「……不潔ですわね」
率直な感想だった。
「おまけに、臭い」
テイクアは、否定しない。
「低所得層の人々が流れ込み、無許可で家を建て続けた結果です。
行政が介入する前に、街が広がってしまいました」
「無秩序、無計画」
シグネアは、淡々と告げる。
「都市として、最悪ですわ」
馬車が止まった。
御者が、恐る恐る声をかける。
「……これ以上進むと危険かと」
「構いません」
即答だった。
「降りますわ」
「お、お嬢様!?」
テイクアが慌てて立ち上がる。
「治安が――」
「治安が悪いのは、街が悪いからではありません」
扉が開く。
「放置されているからですわ」
◇
地面に足を下ろした瞬間、空気が変わった。
湿った臭気、生活排水、焚き火の煙。
人々の視線が、一斉に集まる。
豪奢なドレスに身を包んだ若い女侯爵。
この場所では、あまりにも異質だった。
「……誰だ?」
「貴族だぞ……」
ざわめきが広がる。
シグネアは、周囲を見回した。
壊れかけの小屋、傾いた壁、崩れかけの屋根。
そして、その中で暮らす人々。
「……」
彼女は、扇子を閉じる。
「テイクア」
「は、はい」
「この街は、私の領地ですわね?」
「……その、書類上は、はい」
「書類上、ではありません」
静かな声。
「実際に存在している以上、私の領地です」
視線が、さらに冷たくなる。
「そして――」
きっぱりと言い切った。
「こんな街が存在すること自体、許しがたい」
周囲が、凍りついた。
「……叩き壊しなさい」
一瞬、時間が止まる。
「お、お嬢様!?」
テイクアが、思わず声を上げる。
「人が住んでおります!」
「だから、ですわ」
シグネアは、淡々と続ける。
「無許可建築、違法占拠、不衛生。
この条件が揃っている以上、撤去は合法です」
「ですが……彼らは……」
「不法滞在者ですわ」
感情は、一切込められていない。
「このまま放置すれば、疫病が出ます。
犯罪も増えます。
結果、被害を受けるのは――」
扇子で地面を指す。
「この人々自身です」
◇
その日のうちに、動きは始まった。
兵ではない。
役人と技術者、医療班、食糧班。
スラム街の住人は、順次、安全な仮設収容施設へ移送された。
「強制収容だ……!」
怒号が上がる。
だが、そこには食事があった。
清潔な寝床があった。
医師もいた。
「……飯が、出る……?」
「子どもが、洗われてる……」
戸惑いが、ざわめきへ変わる。
そして――。
数日後。
スラム街は、更地になっていた。
◇
「……すべて、壊しました」
報告を受け、テイクアは少し緊張していた。
だが、シグネアは頷くだけ。
「予定通りですわ」
「ですが……これから、どうなさるおつもりで?」
シグネアは、地図を広げた。
そこには、綿密に引かれた区画線。
「都市計画です」
「……最初から、そのつもりで?」
「当然ですわ」
淡々と答える。
「壊すだけなら、誰でもできます」
指先が、図面をなぞる。
「大切なのは、その後です」
◇
数か月後。
そこには、整然とした街があった。
排水は整備され、道は広く、家屋は丈夫。
そして――。
建設に携わったのは、元スラム街の住人たちだった。
「働くことを条件に、住宅を無償提供」
テイクアが、確認する。
「ええ」
シグネアは頷く。
「仕事と住居を同時に与えなければ、人は立ち直れません」
「……慈善、ではありませんね」
「慈善?」
シグネアは、鼻で笑った。
「統治ですわ」
冷酷なまでに合理的。
「働く者が増え、税が生まれ、治安が良くなる。
それだけの話です」
◇
その頃、サロンでは。
「聞きました?」
ルーマー・イグザジェレイションが、楽しげに囁く。
「スラム街を、力づくで壊したそうですわ」
「まあ……!」
「人が住んでいたのに?」
ルーマーは、肩をすくめる。
「冷酷な女侯爵、ですわね」
誰かが、同情するように呟く。
「でも……貴族としては、正しいのかしら……」
ルーマーは、微笑んだ。
「さあ?」
だが、その目は計算している。
(噂は、感情を刺激した方が広がる)
「“スラムを壊した女侯爵”」
その言葉が、王都に広がるのに、時間はかからなかった。
一方。
完成した街を見下ろしながら、シグネアは静かに呟いた。
「……これで、少しはまともになりますわね」
テイクアは、小さく頭を下げる。
「お嬢様は……恐れられます」
「結構ですわ」
シグネアは、優雅に微笑んだ。
「恐れられる方が、統治は楽ですもの」
悪役令嬢の名は、
また一つ、確かな実績とともに刻まれた。
馬車の窓を打つ振動が、いつもより荒れている。
石畳の継ぎ目が乱れ、車輪が跳ねるたび、シグネア・ヴァレンティスは小さく眉を寄せた。
「……なんですの、この不快な揺れは」
扇子で口元を隠しながら、冷ややかに問う。
向かいに座るテイクアは、すでに察していたのか、慎重に答えた。
「この辺りは……いわゆる、スラム街です」
「スラム?」
シグネアは、窓の外へ視線を向ける。
視界に映るのは、歪んだ家屋――いや、家屋と呼ぶのも躊躇われるような小屋の群れだった。
木材は腐り、布切れが壁代わりに張られ、路地には排水の流れた痕がそのまま残っている。
人の気配はあるが、秩序はない。
「……不潔ですわね」
率直な感想だった。
「おまけに、臭い」
テイクアは、否定しない。
「低所得層の人々が流れ込み、無許可で家を建て続けた結果です。
行政が介入する前に、街が広がってしまいました」
「無秩序、無計画」
シグネアは、淡々と告げる。
「都市として、最悪ですわ」
馬車が止まった。
御者が、恐る恐る声をかける。
「……これ以上進むと危険かと」
「構いません」
即答だった。
「降りますわ」
「お、お嬢様!?」
テイクアが慌てて立ち上がる。
「治安が――」
「治安が悪いのは、街が悪いからではありません」
扉が開く。
「放置されているからですわ」
◇
地面に足を下ろした瞬間、空気が変わった。
湿った臭気、生活排水、焚き火の煙。
人々の視線が、一斉に集まる。
豪奢なドレスに身を包んだ若い女侯爵。
この場所では、あまりにも異質だった。
「……誰だ?」
「貴族だぞ……」
ざわめきが広がる。
シグネアは、周囲を見回した。
壊れかけの小屋、傾いた壁、崩れかけの屋根。
そして、その中で暮らす人々。
「……」
彼女は、扇子を閉じる。
「テイクア」
「は、はい」
「この街は、私の領地ですわね?」
「……その、書類上は、はい」
「書類上、ではありません」
静かな声。
「実際に存在している以上、私の領地です」
視線が、さらに冷たくなる。
「そして――」
きっぱりと言い切った。
「こんな街が存在すること自体、許しがたい」
周囲が、凍りついた。
「……叩き壊しなさい」
一瞬、時間が止まる。
「お、お嬢様!?」
テイクアが、思わず声を上げる。
「人が住んでおります!」
「だから、ですわ」
シグネアは、淡々と続ける。
「無許可建築、違法占拠、不衛生。
この条件が揃っている以上、撤去は合法です」
「ですが……彼らは……」
「不法滞在者ですわ」
感情は、一切込められていない。
「このまま放置すれば、疫病が出ます。
犯罪も増えます。
結果、被害を受けるのは――」
扇子で地面を指す。
「この人々自身です」
◇
その日のうちに、動きは始まった。
兵ではない。
役人と技術者、医療班、食糧班。
スラム街の住人は、順次、安全な仮設収容施設へ移送された。
「強制収容だ……!」
怒号が上がる。
だが、そこには食事があった。
清潔な寝床があった。
医師もいた。
「……飯が、出る……?」
「子どもが、洗われてる……」
戸惑いが、ざわめきへ変わる。
そして――。
数日後。
スラム街は、更地になっていた。
◇
「……すべて、壊しました」
報告を受け、テイクアは少し緊張していた。
だが、シグネアは頷くだけ。
「予定通りですわ」
「ですが……これから、どうなさるおつもりで?」
シグネアは、地図を広げた。
そこには、綿密に引かれた区画線。
「都市計画です」
「……最初から、そのつもりで?」
「当然ですわ」
淡々と答える。
「壊すだけなら、誰でもできます」
指先が、図面をなぞる。
「大切なのは、その後です」
◇
数か月後。
そこには、整然とした街があった。
排水は整備され、道は広く、家屋は丈夫。
そして――。
建設に携わったのは、元スラム街の住人たちだった。
「働くことを条件に、住宅を無償提供」
テイクアが、確認する。
「ええ」
シグネアは頷く。
「仕事と住居を同時に与えなければ、人は立ち直れません」
「……慈善、ではありませんね」
「慈善?」
シグネアは、鼻で笑った。
「統治ですわ」
冷酷なまでに合理的。
「働く者が増え、税が生まれ、治安が良くなる。
それだけの話です」
◇
その頃、サロンでは。
「聞きました?」
ルーマー・イグザジェレイションが、楽しげに囁く。
「スラム街を、力づくで壊したそうですわ」
「まあ……!」
「人が住んでいたのに?」
ルーマーは、肩をすくめる。
「冷酷な女侯爵、ですわね」
誰かが、同情するように呟く。
「でも……貴族としては、正しいのかしら……」
ルーマーは、微笑んだ。
「さあ?」
だが、その目は計算している。
(噂は、感情を刺激した方が広がる)
「“スラムを壊した女侯爵”」
その言葉が、王都に広がるのに、時間はかからなかった。
一方。
完成した街を見下ろしながら、シグネアは静かに呟いた。
「……これで、少しはまともになりますわね」
テイクアは、小さく頭を下げる。
「お嬢様は……恐れられます」
「結構ですわ」
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