『婚約破棄された公爵令嬢は、王と交わらない道を選ぶ』

ふわふわ

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第10話 拒絶の波紋

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第10話 拒絶の波紋

 エレノア・フォン・ヴァイスが王宮を去ったその日の夕刻、
 その事実は、想像以上の速さで王宮内に広まっていった。

「……戻らなかった、のか」
「ええ。殿下とお会いにはなりましたが……助言も、復帰も、お断りになったそうです」

 文官たちの囁きは、慎重でありながらも隠しきれない動揺を含んでいた。
 王太子自らが頭を下げたという噂まで加わり、事態は一気に重みを増す。

 ――エレノアは、戻らない。

 その一文が、王宮の空気を目に見えない形で変えていった。

 王太子アルベルトは、その中心にいながら、静かに執務室に籠もっていた。
 机の上には、例によって未処理の書類が積み上がっている。
 だが、今日はそれ以上に、胸の奥に残る会話の余韻が、彼を苛んでいた。

(以前の便利さを、求めているだけ……か)

 エレノアの言葉が、何度も頭の中で反芻される。
 否定したい。
 だが、完全に否定できない。

 彼女は、感情的に責めなかった。
 怒りも、恨みも、見せなかった。
 だからこそ、その拒絶は、どんな叱責よりも重かった。

「……次は、どうする」

 独り言のように呟いた瞬間、扉が叩かれる。

「殿下。貴族院より、正式な申し入れがございます」

 差し出された書面を受け取り、アルベルトは目を通す。
 内容は簡潔だった。

――王宮の意思決定体制について、改善案の提出を求める。

 遠回しな表現だが、意味は明確だ。
 このままでは、王太子の判断に全面的には従えない、と。

「……そうか」

 書面を机に置き、アルベルトは深く息を吐いた。

(エレノアが戻らないという事実は、貴族院にも伝わっている)

 彼女がいない王宮は、もはや「一時的な混乱」では済まされない。
 それを、誰もが悟り始めている。

 その夜、非公式の集まりが、王宮の一室で開かれた。
 参加しているのは、数名の有力貴族と、高官たち。

「エレノア様は、本当にお戻りにならないのですか」

「ええ。はっきりと拒否なさったそうです」

「……それは、想定以上に深刻ですな」

 彼らの声には、責める色は少ない。
 あるのは、純粋な不安だった。

「これまで、どれほど多くの調整を、あの方が担っていたか……」

「正直、殿下が“決断するだけ”で済んでいた理由が、今になって分かりました」

 その言葉に、場が静まる。

 誰もが、口にしてはいけない真実を、すでに共有していた。

 ――王宮は、エレノア・フォン・ヴァイスを中心に回っていた。

 だが、その中心は、もう存在しない。

 翌日。
 商会連合から、さらに踏み込んだ通達が届いた。

「王宮の方針が安定するまで、新規投資は凍結する」

 それは、明確な不信の表明だった。

 アルベルトは、その報告を聞きながら、拳を強く握る。

(ここまで、来てしまったのか)

 彼は、ようやく理解し始めていた。
 エレノアを失ったことの意味を。

 彼女は、王宮を“支えて”いただけではない。
 王宮が崩れないよう、常に負荷を分散させ、歪みを外へ流していた。

 ――だから、彼女が去った瞬間、歪みが一気に表に出た。

 一方その頃、公爵家の屋敷では、エレノアが静かに朝食をとっていた。
 新聞代わりの報告書に目を通し、軽く眉を上げる。

「……もう、投資凍結ですか」

 予想より早い。
 だが、驚きはなかった。

(皆、自分の身を守るだけですもの)

 それは責めではなく、事実の受容だった。

 侍女が、控えめに声をかける。

「お嬢様……王宮からの使いが、また」

「お断りして」

 即答だった。

「今は、静かに過ごしたいのです」

 エレノアは、紅茶を一口飲む。

 心は、不思議なほど穏やかだった。
 王宮の混乱も、アルベルトの焦りも、もはや自分の問題ではない。

(拒絶は、冷酷なことではありません)

 線を引くこと。
 それは、自分の人生を守るために必要な行為だ。

 王宮では今、拒絶という事実が波紋となり、
 貴族、商人、官僚――あらゆる層に広がり始めていた。

 そしてアルベルトは、その中心で、
 初めて「誰にも支えられていない王太子」として、
 選択を迫られる立場に立たされていた。

 エレノア・フォン・ヴァイスは、戻らない。
 その現実は、もはや誰にも覆せない。

 ――ここから先、王宮がどうなるかは、
 彼女ではなく、アルベルト自身の責任だった。
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