『婚約破棄された公爵令嬢は、王と交わらない道を選ぶ』

ふわふわ

文字の大きさ
14 / 40

第14話 名を持たぬ秩序

しおりを挟む
第14話 名を持たぬ秩序

 王都の朝は、奇妙な静けさに包まれていた。
 諮問会は相変わらず結論を出せず、王宮の決裁は滞っている――はずなのに、街の商いは回っている。港の入出庫は整い、相場は荒れず、契約は大きな揉め事もなく進んでいる。

「……説明しろ」

 アルベルトは、財務官から差し出された報告書を机に置いた。
 数字は、嘘をつかない。投資は全面凍結ではない。条件付きで再開され、しかも失敗が少ない。

「はい。商会連合が主導して、契約条件を統一しております。責任の所在を明確にし、段階的な履行に……」

「誰の判断だ」

 短い問いに、財務官は一瞬ためらった。

「……名は、出ておりません」

 アルベルトは、目を閉じた。
 名を持たぬ判断。名を持たぬ秩序。

(彼女だ)

 確信は、もはや疑念ではなかった。

 同じ頃、貴族院でも同様の空気が流れていた。

「不思議な話だな」
「王宮の指示がないのに、衝突が減っている」
「“最悪の誤解”を先に潰す文言が、どの契約にも入っている」

 老侯爵が、低く唸る。

「……あのやり方だ」

 名は出さない。
 出せば、責任の矢印がそこに向くからだ。

 王宮では、ついに一つの事件が起きた。
 隣国から届いた抗議文――本来なら外交問題に発展してもおかしくない文面が、商会経由の非公式ルートで“修正提案”として返ってきたのだ。

「抗議文の論点を三つに分け、二つは即時是正、一つは協議継続……?」

 外務官が、目を見開く。

「相手の“怒りの芯”だけを抜いています」

 アルベルトは、静かに言った。

「王宮を通さずに、だな」

「……はい」

 それは、屈辱でもあり、救いでもあった。
 王宮は守られた。だが、守ったのは王宮ではない。

 夕刻、アルベルトは一人、回廊を歩いた。
 足は、自然と小さな応接室へ向かう。第九話の再会で使われた、あの部屋だ。

(名を持たぬ秩序……)

 名を持てば、責任が生まれる。
 Resultを出し、矢面に立つ。
 それを彼女は、拒んだ。

(拒んだのに、整えている)

 それが、彼女の“線”なのだ。

 一方、公爵家。
 エレノアは、書斎で静かに書類を整理していた。返書は短い。原則だけを書き、決断は相手に委ねる。

――条件付き合意。
――段階履行。
――想定される誤解を先に列挙し、否定する。

 ペンを置き、窓を開ける。
 風が、紙の端を揺らした。

(名を持たないことは、逃げではありません)

 名を持てば、利用される。
 名を持てば、責任を押し付けられる。
 そして、同じ過ちが繰り返される。

 だから、名を持たない。
 秩序だけを残す。

 夜、王宮で非公式の会合が開かれた。
 集まったのは、アルベルトと数名の高官、そして貴族院の代表者。

「現実を直視しましょう」

 老侯爵が、静かに切り出す。

「外側で秩序が生まれている。王宮は、それを否定するか、取り込むかだ」

「取り込めば、名を与えることになる」

 別の伯爵が言う。

「名を与えれば、線を越える。越えれば、彼女は引くでしょうな」

 アルベルトは、しばらく沈黙した後、口を開いた。

「……ならば、第三の道は?」

「“連結”です」

 老侯爵が答えた。

「王宮は原則を示す。外側の秩序は、その原則に沿って動く。名は与えない。責任は、王宮が負う」

 重い提案だった。
 王宮が、外の成果の責任を引き受ける――つまり、矢面に立つ。

 アルベルトは、頷いた。

「それが、王太子の役目だ」

 翌日。
 王宮は、短い声明を出した。

――王宮は、民と商いの安定を最優先とする。
――迅速な判断を可能とするため、条件付き合意と段階履行を公式原則として採用する。

 名は、出ない。
 だが、原則は“彼女のやり方”だった。

 エレノアは、報告を受け取り、静かに微笑んだ。

(理解した、ということですわね)

 名を持たぬ秩序は、王宮と“連結”された。
 それでいい。

 彼女は、カーテンを閉じる。

 王宮は、ようやく自分の足で立ち始めた。
 遅かった。だが、遅すぎるとは限らない。

 名を持たぬ秩序は、今日も静かに働く。
 そしてアルベルトは、初めて理解した。

 力とは、名ではない。
 流れを読み、責任を引き受ける覚悟――それこそが、王の資質なのだと。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

完結 私は何を見せられているのでしょう?

音爽(ネソウ)
恋愛
「あり得ない」最初に出た言葉がそれだった

病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します

佐藤 美奈
恋愛
セフィーナ・グラディウスという貴族の娘が、婚約者であるアルディン・オルステリア伯爵令息との関係に苦悩し、彼の優しさが他の女性に向けられることに心を痛める。 セフィーナは、アルディンが幼馴染のリーシャ・ランスロット男爵令嬢に特別な優しさを注ぐ姿を見て、自らの立場に苦しみながらも、理想的な婚約者を演じ続ける日々を送っていた。 婚約して十年間、心の中で自分を演じ続けてきたが、それももう耐えられなくなっていた。

婚約者から妾になれと言われた私は、婚約を破棄することにしました

天宮有
恋愛
公爵令嬢の私エミリーは、婚約者のアシェル王子に「妾になれ」と言われてしまう。 アシェルは子爵令嬢のキアラを好きになったようで、妾になる原因を私のせいにしたいようだ。 もうアシェルと関わりたくない私は、妾にならず婚約破棄しようと決意していた。

〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?

ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」 その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。 「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

婚約破棄を伝えられて居るのは帝国の皇女様ですが…国は大丈夫でしょうか【完結】

恋愛
卒業式の最中、王子が隣国皇帝陛下の娘で有る皇女に婚約破棄を突き付けると言う、前代未聞の所業が行われ阿鼻叫喚の事態に陥り、卒業式どころでは無くなる事から物語は始まる。 果たして王子の国は無事に国を維持できるのか?

【完結済】結婚式の翌日、私はこの結婚が白い結婚であることを知りました。

鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
 共に伯爵家の令嬢と令息であるアミカとミッチェルは幸せな結婚式を挙げた。ところがその夜ミッチェルの体調が悪くなり、二人は別々の寝室で休むことに。  その翌日、アミカは偶然街でミッチェルと自分の友人であるポーラの不貞の事実を知ってしまう。激しく落胆するアミカだったが、侯爵令息のマキシミリアーノの助けを借りながら二人の不貞の証拠を押さえ、こちらの有責にされないように離婚にこぎつけようとする。  ところが、これは白い結婚だと不貞の相手であるポーラに言っていたはずなのに、日が経つごとにミッチェルの様子が徐々におかしくなってきて───

処理中です...