婚約破棄された侯爵令嬢ですが、帝国の次席秘書官になりました ――王の隣ではなく、判断を誤らせない場所へ

ふわふわ

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第八話 それでも、彼女はいない

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第八話 それでも、彼女はいない

 王城の執務棟では、その日も会議が重ねられていた。
 だが、議題は前日とほとんど変わらない。外交の停滞、商会からの不満、軍需予算の調整。どれも解決に至らず、言葉だけが消費されていく。

「結局、どうするのだ」 「とりあえず、現状維持で……」 「それでは、事態は悪化する一方だ」

 誰もがそれを理解している。
 理解しているが、決められない。

 王太子ユースレスは、玉座の間にほど近い応接室で報告を聞いていた。
 側近たちが慎重に言葉を選びながら、問題点を並べ立てる。

「商会からは、補償を求める声が上がっています」 「軍部は、予算の追加配分を要請しています」 「貴族院では、責任の所在を巡って議論が……」

「分かった」

 ユースレスは、片手を上げて話を制した。

「だが、すべてを一度に解決する必要はない」

 彼は、どこか自信ありげに続ける。

「問題というものは、騒げば大きく見えるだけだ。時間が経てば、自然と落ち着く」

 側近の一人が、ためらいがちに口を開く。

「殿下……それは、以前の状況があってこそ、では……」

「以前?」

 ユースレスの視線が鋭くなる。

「ゼクレテァのことを言っているのか」

 室内が静まり返る。

「彼女がいなくとも、国は回る」

 そう言い切った声には、焦りよりも、意地が混じっていた。

「いや、むしろ――
 彼女がいない今こそ、私が真に国を導いている証明になる」

 その言葉に、反論する者はいなかった。
 だが、賛同する者もいない。

 ユースレスは、その沈黙を肯定と受け取った。

「これ以上、彼女の名を出すな」

「過去に縛られていては、前には進めない」

 会議は、それで終わった。

 その日の午後、王城に一通の報告が届いた。
 南部領の有力貴族が、税の一時凍結を求めているという。

「今は我慢すべき時期ではない、と」

 報告官の声は慎重だった。

「拒否すれば、協力体制に影響が出る恐れがあります」

「許可する」

 ユースレスは即答した。

「今は、国内の不満を抑えることが先だ」

 その判断は、短期的には正しかった。
 だが、それが他の領地にどう映るかまでは、考慮されていない。

 夕刻、別の報告が上がる。

「北部でも、同様の要請が出始めています」

 側近は、声を落とした。

「前例になります」

「前例?」

 ユースレスは、眉をひそめる。

「柔軟な対応だ。問題ない」

 柔軟。
 その言葉が、どれほど危ういかを、彼は知らない。

 一方、城下町の一角。
 侯爵家の屋敷で、ゼクレテァは静かに紅茶を淹れていた。

 香りが立ち上り、部屋に満ちる。
 それは、王城の緊張とは無縁の、穏やかな時間だった。

 侍女が、遠慮がちに言う。

「最近、街が少し騒がしいようです」

「そうですか」

 ゼクレテァは、それ以上尋ねなかった。

「……王城からは、何も?」

「ええ。何も」

 彼女は、少しだけ目を伏せる。

 呼ばれないということは、期待されていないということ。
 あるいは、戻ってほしくないという意思表示。

 どちらでも、同じだった。

「私は、もう関係ありませんから」

 その言葉は、誰に向けたものでもない。

 夜、ゼクレテァは机に向かい、何も書かれていない紙を前にしていた。
 かつてなら、自然と書き出していたであろう対策案や整理表は、もう浮かばない。

 正確には、浮かぶ。
 だが、書かない。

 彼女は、意識的に距離を取っていた。

 王城では、同じ夜、急ぎの使者が走っていた。
 隣国からの追加通達。文面は丁寧だが、内容は厳しい。

「現状が改善されぬ場合、貿易条件の見直しを検討する」

 それは、最後通告に近い。

 報告を受けた側近が、ユースレスに告げる。

「殿下……事態は、思ったより深刻かと」

 ユースレスは、しばらく黙り込んだ。

 そして、低く呟く。

「……それでも」

 顔を上げ、言い切る。

「それでも、彼女はいない」

 まるで、自分に言い聞かせるように。

「彼女に頼るわけにはいかない」

 その言葉は、決意のようでいて、同時に逃げでもあった。

 この夜、プリケアリアス王国は、まだ崩れていない。
 だが、問題は積み重なり、選択肢は減り続けている。

 そして何より、
 最も有効な一手が、意図的に盤上から外されたままだった。

 それでも、彼女はいない。
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