婚約破棄された侯爵令嬢ですが、帝国の次席秘書官になりました ――王の隣ではなく、判断を誤らせない場所へ

ふわふわ

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第九話 気づくには遅すぎた

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第九話 気づくには遅すぎた

 プリケアリアス王国の朝は、以前よりも騒がしくなっていた。
 城門の前には商人が集まり、執務棟の回廊では使者が行き交い、玉座の間へ続く通路には、順番を待つ貴族たちが並んでいる。

 それでも――
 誰もが、どこか落ち着かない。

 理由は単純だった。
 問題が「解決されない」からではない。
 問題が「整理されない」からだ。

 税制、貿易、軍需、外交。
 すべてが同時に揺らぎ、すべてが互いに影響し合っている。
 だが、それらを一つの図として把握し、順序を付ける者がいない。

「……これは、どこから手を付けるべきだ?」

 年配の貴族が、思わず口にする。

「税の問題が先か?」 「いや、外交を立て直さねば商会が持たん」 「軍部の不満も無視できない」

 議論は始まる。
 だが、いつも同じところで止まる。

 誰かが、ふと気づいてしまった。

「……以前は」

 その一言で、場の空気が変わる。

「以前は、こういう時、必ず“順番”が示されていた」 「誰が、というより……」 「自然と、決まっていた」

 そこまで言って、全員が沈黙する。

 名前を出さなくても、分かってしまったからだ。

 ゼクレテァ・セクレタリー侯爵令嬢。

 彼女がいた頃、会議は荒れなかった。
 意見が割れても、必ず着地点があった。
 決断が拙速になりそうな時は、いつの間にか別案が提示されていた。

 それは、奇跡でも偶然でもない。
 ただ、彼女が「見ていた」だけだ。

 だが、その事実を、誰も正面から認めようとしなかった。

「……いや、彼女一人の問題ではない」 「国の体制そのものが、たまたま不運なだけだ」

 そう言い訳をする声が上がる。

 だが、否定できない現実がある。

 王城の判断は、明らかに遅れていた。

 昼過ぎ、商務官から緊急の報告が入る。

「港湾都市で、取引停止の動きが広がっています」 「噂が先行し、商人たちが自主的に取引を控え始めています」

 続けて、軍部からの使者。

「補給計画に遅れが出ています」 「予算の再配分が決まらないため、手配を止めざるを得ません」

 それらは、すでに個別の問題ではなかった。

 玉座の間で報告を受けたユースレスは、表情を硬くする。

「なぜ、こんなことになる」

 声には、苛立ちよりも困惑が混じっていた。

「私は、判断を誤っていないはずだ」

 側近たちは、答えられない。

 誤っていない判断が、
 最悪の順番で積み重なった結果だと、説明できる者はいなかった。

 沈黙の中で、誰かが、勇気を振り絞る。

「殿下……
 もしかすると……調整役が……」

「言うな」

 ユースレスは、即座に遮った。

「彼女の話は、もう終わった」

 だが、その声には、以前の自信がなかった。

 夜、王城の一室で、複数の高官が非公式に集まっていた。
 公式の会議では言えない話をするためだ。

「このままでは、まずい」 「誰か、全体を見られる者はいないのか」 「……正直に言おう」

 一人が、深く息を吸う。

「ゼクレテァが、いなくなってからだ」 「すべてが、噛み合わなくなったのは」

 誰も否定しなかった。

 否定できなかった。

 それは、誰の目にも明らかだったからだ。

 だが同時に、全員が理解している。
 今さら、彼女を戻せば済む話ではない。

 彼女は、切り捨てられた。
 それも、公の場で。

「……気づくのが、遅すぎたな」

 誰かが呟いた。

 その言葉は、重く、静かに落ちた。

 一方、その頃。
 ゼクレテァは、屋敷の書斎で一冊の帳簿を閉じていた。

 内容は、王国のものではない。
 侯爵家の資産管理に関する、私的な記録だ。

 彼女は、すでに視線を、王城の外へ向け始めていた。

 王国が自分を必要としなくなった以上、
 自分もまた、この国を中心に生きる理由はない。

 窓の外では、夜風が木々を揺らしている。

 その音を聞きながら、彼女は静かに思った。

「……今さら、でしょう」

 王国は、ようやく気づいた。
 だが、その気づきは、解決にはつながらない。

 プリケアリアス王国は、この日、はっきりと理解してしまった。

 失ったのは、婚約者ではない。
 失ったのは、
 国家を一つに束ねる視点そのものだった。

 そして、それを取り戻すには、
 すでに、あまりにも多くのものを失いすぎていた。
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