婚約破棄された侯爵令嬢ですが、帝国の次席秘書官になりました ――王の隣ではなく、判断を誤らせない場所へ

ふわふわ

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第二十三話 次席秘書官

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第二十三話 次席秘書官

 アンピール帝国の朝は、静かに始まる。

 鐘の音も、号令もない。
 あるのは、予定通りに動き出す人の流れだけだった。

 ゼクレテァは、帝国中枢区画の回廊を歩いていた。
 石造りの床は磨き上げられ、足音が必要以上に響かない。

 誰も、彼女を特別扱いしない。
 だが、誰も彼女を軽んじもしない。

 それが、帝国の空気だった。

「こちらが、次席秘書官用の執務室です」

 案内役の官僚が、淡々と扉を開ける。

 部屋は広くない。
 だが、窓の位置、机の配置、書棚の高さ――
 すべてが、仕事をするためだけに最適化されていた。

「必要な資料は、すでに揃えています」

 机の上には、いくつかの書類束。
 属国管理、財政調整、官庁間連絡――
 見覚えのある内容ばかりだった。

(……結局、やることは同じですね)

 ゼクレテァは、心の中でそう呟く。

 違うのは、立場だ。

 王国では、
 婚約者という曖昧な位置で、
 責任だけを背負わされていた。

 だが、今は違う。

「ゼクレテァ・セクレタリー次席秘書官」

 官僚が、正式な呼称で呼ぶ。

「本日より、
 貴女は皇帝陛下の判断補佐に直接関与します」

 それは、
 単なる事務職ではない。

 皇帝の判断に影響を与える席だ。

「まずは、これを」

 渡されたのは、
 複数の属国から上がってきた要望書。

 どれも、
 “今すぐ決断を下すほどではないが、
 放置すれば問題になる”案件。

「本日は、
 首席秘書官が不在です」

 その一言に、
 ゼクレテァは顔を上げた。

「不在、ですか?」

「はい。
 ……いつものことですが」

 含みのある言い方だった。

 官僚は、それ以上説明しない。

 ゼクレテァは、机に向かい、
 静かに書類を開いた。

 内容を読み、
 流れを整理し、
 判断材料を抜き出す。

 手は止まらない。

 周囲の官僚たちが、
 それとなく視線を向ける。

 新任の次席秘書官。
 元は属国の侯爵令嬢。
 しかも、問題の王国の中心人物。

 だが――
 彼女の手元に、迷いはなかった。

「……この案件ですが」

 ゼクレテァが、静かに口を開く。

「このまま保留すると、
 三か月後に軍需予算へ影響が出ます」

 官僚が、即座に反応する。

「具体的には?」

「隣接属国との物流調整が滞ります。
 今のうちに、帝国側から調整案を提示すべきです」

 一瞬の沈黙。

 そして、頷き。

「……合理的です」

 そのやり取りを、
 遠くから見ていた人物がいた。

 皇帝カイザーだ。

 執務室の扉越しに、
 彼は一部始終を把握していた。

「……すでに、次席で回っているな」

 独り言のように呟く。

 彼が求めていたのは、
 忠誠ではない。
 感情でもない。

 判断を誤らせない存在だ。

 一方、ゼクレテァは、
 淡々と業務を進めていた。

 特別な意識はない。

 ただ、
 「必要なことを、必要な形で整えている」だけ。

(私は――)

 一瞬、思う。

(ここで、役に立てる)

 それだけで、十分だった。

 王の隣に立つ必要はない。
 称賛も、名声も、いらない。

 判断が歪まない場所にいられるなら、
 それでいい。

 夕刻。

 机の上の書類は、
 すでに整理され、
 決裁用の束になっていた。

 官僚が、小さく息を吐く。

「……仕事が、早いですね」

 ゼクレテァは、顔を上げる。

「普通です」

 それは、偽りのない言葉だった。

 ただ一つ、違うのは。

 ここでは――
 普通が、正しく評価される。

 その事実を、
 彼女は、初めて実感していた。

 次席秘書官ゼクレテァ。

 その席は、
 まだ“補佐”の位置にある。

 だが、帝国中枢は、
 すでに気づき始めていた。

 この席に座っているのが、
 単なる次席ではないことを。

 静かに、
 だが確実に。

 立場の逆転は、
 もう始まっていた。
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