婚約破棄された侯爵令嬢ですが、帝国の次席秘書官になりました ――王の隣ではなく、判断を誤らせない場所へ

ふわふわ

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第三十一話 逆転の兆し

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第三十一話 逆転の兆し

 帝都の執務棟では、朝と夜の境目が曖昧だ。
 陽が昇る前から灯りが入り、陽が落ちても机の上の書類は減らない。

 それでも、ゼクレテァはこの場所の空気に、すでに慣れていた。

 次席秘書官として迎えられてから数週間。
 彼女の机の上には、常に「一次確認済み」と記された書類が積まれている。

 それは偶然ではない。

 判断が速い。
 余計な修正が要らない。
 そして何より――後戻りしない。

 帝国官僚たちは、言葉にこそしないが、すでに理解し始めていた。
 この次席は、単なる補佐ではない、と。

 昼前、執務室の扉が音もなく開いた。

「失礼。少し、時間をもらえるかな」

 オッド・ペキュリア侯爵だった。
 いつものように、気まぐれな笑みを浮かべている。

「急ぎの案件でしょうか」

「いや、雑談だ。だからこそ急ぐ」

 彼はそう言って、勝手に椅子に腰を下ろす。

「最近、君の机に回ってくる書類が増えたと思わないかい?」

「把握しています。各省が、私の判断を前提に回している」

「だろう?」

 オッドは楽しそうに指を鳴らす。

「皇帝陛下が直接見る前に、
 『一度、次席に通しておこう』
 そういう流れができ始めている」

 ゼクレテァは、眉一つ動かさない。

「効率化の結果です」

「君は、そう言うと思った」

 オッドは肩をすくめた。

「だがね、効率だけなら私でも作れる。
 それでも、流れが君に寄っているのは――」

 彼は、少しだけ声を落とす。

「君の判断が、皇帝の判断と衝突しないからだ」

 ゼクレテァは、ペンを置いた。

「私は、陛下の意志を推測しているだけです」

「それができる人間は、そう多くない」

 オッドは即答した。

 沈黙が落ちる。

 窓の外では、帝都の鐘が昼を告げていた。

「……ねえ、ゼクレテァ」

 オッドは、ふと表情を変える。

「これは、近いうちに立場が逆転する」

 彼の声には、冗談めいた響きがあった。

「あなたが首席、私が次席、ですか」

 ゼクレテァは、淡々と返す。

「そう。
 それが一番、面白い」

 オッドは楽しそうに笑った。

「私は暴走役に向いている。
 君は止める役に向いている」

「役割論ですね」

「帝国は、役割で回る」

 彼は立ち上がり、扉に向かう。

「安心するといい。
 私は、椅子に執着しない」

 そして、振り返って付け加えた。

「むしろ――
 君が前に出たほうが、
 私もやりたい放題できる」

 扉が閉まる。

 ゼクレテァは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 立場の逆転。

 かつての王国では、
 そんな言葉は、恐怖や陰謀と結びついていた。

 だが、ここでは違う。

 それは、
 最適化の結果でしかない。

 彼女は、再び書類に目を落とす。

 自分が前に出るかどうかは、問題ではない。

 必要とされる場所に、
 必要な人間が立つ。

 それだけだ。

 しかし――
 その「必要」が、
 静かに彼女へ向かっていることを、

 ゼクレテァ自身も、
 もう否定できなくなっていた。
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