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第二十六話 教えるという仕事と、残す味
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第二十六話 教えるという仕事と、残す味
工房に、新しい朝が来る。
いつものように火を入れ、温度を確かめ、粉の状態を指で感じる。
だが、その動きの横に、見慣れない視線があった。
「……近い」
シオンが低く言う。
「すみません!」
慌てて一歩下がったのは、若い職人志望の青年だった。
「距離は、これくらい」
シオンは、指先で示す。
「見えるが、邪魔にならない位置」
「はい……!」
工房に、新しく入った見習いは二人。
どちらも、商業評議会の紹介ではあるが、形式だけの人材ではない。
「条件は、最初に言った通りですわ」
初日の朝、リリカは淡々と告げていた。
「量産のための人材ではありません。ここは、学ぶ場所です」
「……厳しそうだな」
評議会の担当者は、苦笑した。
「厳しいです」
即答だった。
「ですが、無理はさせません」
その言葉通り、初日は“焼かせない”。
計量、温度管理、道具の手入れ。
菓子を作る前の、当たり前を徹底する。
「……地味ですね」
見習いの一人が、ぽつりと漏らす。
「地味だ」
シオンは、即座に肯定した。
「だから、続く」
彼は、作業台に並ぶ道具を指す。
「味は、派手に誤魔化せる。でも――」
手入れの行き届いた型を軽く叩く。
「基礎は、誤魔化せない」
見習いたちは、黙って頷いた。
昼過ぎ。
休憩中、シオンはふと気づく。
「……俺、教えてるな」
「ええ」
リリカは、書類に目を落としたまま答える。
「自覚、今ですの?」
「……柄じゃない」
「知っています」
彼女は、少しだけ微笑んだ。
「ですが、向いています」
「どこが」
「余計なことを言わないところです」
シオンは、苦笑する。
「褒めてるのか、それ」
「最大級に」
翌日から、工程の一部を任せ始める。
「ここで、止める」
「え?」
「焼き色を見るな。匂いを見ろ」
「……匂い?」
「甘さが立ちすぎたら、もう遅い」
見習いは戸惑いながらも、真剣に鼻を動かす。
「……少し、違います」
「そうだ」
シオンは頷く。
「その違いを、覚えろ」
失敗も出る。
だが、叱責はない。
「捨てる」
「……え?」
「商品にはしない」
それだけだ。
「理由は?」
「客に出す味じゃない」
シンプルな基準。
だが、それが一番厳しい。
数日後。
「……売り場から、問い合わせが」
帳簿を見ていたリリカが、顔を上げる。
「“少し、味が変わった?”と」
工房に、緊張が走る。
「……俺の責任だ」
シオンが、即座に言う。
「新人を、入れた」
「ええ」
リリカは、否定しない。
「ですが」
彼女は続ける。
「“悪くなった”とは、書いていません」
シオンは、眉を寄せる。
「……どういう意味だ」
「“やや、柔らかくなった”と」
彼は、少し考え込み、やがて頷いた。
「……焼成の判断を、早めたな」
「調整、できますか」
「できる」
その日のうちに、工程を微調整する。
「……戻りました」
翌日の報告は、短かった。
「ええ」
リリカは、静かに言う。
「それでいいのです」
夜。
工房の片隅で、シオンは一人、型を磨いていた。
「……なあ」
「はい」
リリカは、近くで帳簿を閉じる。
「味を、残すって……こういうことか」
「ええ」
彼女は、頷く。
「あなた一人の手で守る味は、いずれ途切れます」
「……分かってる」
「ですが」
リリカは、静かに続ける。
「考え方を残せば、続きます」
シオンは、型を磨く手を止め、息を吐いた。
「……面倒な仕事だな」
「ええ」
彼女は、微笑んだ。
「ですが、誇れる仕事です」
工房の外では、夜風が静かに吹いている。
新しい人が入り、
味が揺れ、
また整えられる。
それは、衰えではない。
継承という、次の段階だ。
シオンは、型を棚に戻し、立ち上がった。
「……明日も、早いな」
「ええ」
リリカは、灯りを落とす。
「“続く味”は、手間がかかりますから」
工房は、今日も眠りにつく。
だが、その中には、
確かに“残す”という意思が、息づいていた。
工房に、新しい朝が来る。
いつものように火を入れ、温度を確かめ、粉の状態を指で感じる。
だが、その動きの横に、見慣れない視線があった。
「……近い」
シオンが低く言う。
「すみません!」
慌てて一歩下がったのは、若い職人志望の青年だった。
「距離は、これくらい」
シオンは、指先で示す。
「見えるが、邪魔にならない位置」
「はい……!」
工房に、新しく入った見習いは二人。
どちらも、商業評議会の紹介ではあるが、形式だけの人材ではない。
「条件は、最初に言った通りですわ」
初日の朝、リリカは淡々と告げていた。
「量産のための人材ではありません。ここは、学ぶ場所です」
「……厳しそうだな」
評議会の担当者は、苦笑した。
「厳しいです」
即答だった。
「ですが、無理はさせません」
その言葉通り、初日は“焼かせない”。
計量、温度管理、道具の手入れ。
菓子を作る前の、当たり前を徹底する。
「……地味ですね」
見習いの一人が、ぽつりと漏らす。
「地味だ」
シオンは、即座に肯定した。
「だから、続く」
彼は、作業台に並ぶ道具を指す。
「味は、派手に誤魔化せる。でも――」
手入れの行き届いた型を軽く叩く。
「基礎は、誤魔化せない」
見習いたちは、黙って頷いた。
昼過ぎ。
休憩中、シオンはふと気づく。
「……俺、教えてるな」
「ええ」
リリカは、書類に目を落としたまま答える。
「自覚、今ですの?」
「……柄じゃない」
「知っています」
彼女は、少しだけ微笑んだ。
「ですが、向いています」
「どこが」
「余計なことを言わないところです」
シオンは、苦笑する。
「褒めてるのか、それ」
「最大級に」
翌日から、工程の一部を任せ始める。
「ここで、止める」
「え?」
「焼き色を見るな。匂いを見ろ」
「……匂い?」
「甘さが立ちすぎたら、もう遅い」
見習いは戸惑いながらも、真剣に鼻を動かす。
「……少し、違います」
「そうだ」
シオンは頷く。
「その違いを、覚えろ」
失敗も出る。
だが、叱責はない。
「捨てる」
「……え?」
「商品にはしない」
それだけだ。
「理由は?」
「客に出す味じゃない」
シンプルな基準。
だが、それが一番厳しい。
数日後。
「……売り場から、問い合わせが」
帳簿を見ていたリリカが、顔を上げる。
「“少し、味が変わった?”と」
工房に、緊張が走る。
「……俺の責任だ」
シオンが、即座に言う。
「新人を、入れた」
「ええ」
リリカは、否定しない。
「ですが」
彼女は続ける。
「“悪くなった”とは、書いていません」
シオンは、眉を寄せる。
「……どういう意味だ」
「“やや、柔らかくなった”と」
彼は、少し考え込み、やがて頷いた。
「……焼成の判断を、早めたな」
「調整、できますか」
「できる」
その日のうちに、工程を微調整する。
「……戻りました」
翌日の報告は、短かった。
「ええ」
リリカは、静かに言う。
「それでいいのです」
夜。
工房の片隅で、シオンは一人、型を磨いていた。
「……なあ」
「はい」
リリカは、近くで帳簿を閉じる。
「味を、残すって……こういうことか」
「ええ」
彼女は、頷く。
「あなた一人の手で守る味は、いずれ途切れます」
「……分かってる」
「ですが」
リリカは、静かに続ける。
「考え方を残せば、続きます」
シオンは、型を磨く手を止め、息を吐いた。
「……面倒な仕事だな」
「ええ」
彼女は、微笑んだ。
「ですが、誇れる仕事です」
工房の外では、夜風が静かに吹いている。
新しい人が入り、
味が揺れ、
また整えられる。
それは、衰えではない。
継承という、次の段階だ。
シオンは、型を棚に戻し、立ち上がった。
「……明日も、早いな」
「ええ」
リリカは、灯りを落とす。
「“続く味”は、手間がかかりますから」
工房は、今日も眠りにつく。
だが、その中には、
確かに“残す”という意思が、息づいていた。
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