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第二十五話 次の一手と、表に出る名前
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第二十五話 次の一手と、表に出る名前
監査結果が正式に公表されてから、三日。
工房の空気は、驚くほど落ち着いていた。
「……忙しくはなったが」
シオンは、仕込みを終えた生地を並べながら呟く。
「慌ただしくは、ないな」
「ええ」
リリカは、帳簿に目を落としたまま答える。
「“騒ぎの後”は、意外と静かなものです」
取引再開の連絡は出揃い、数も内容も安定してきている。
だが、以前と決定的に違う点があった。
「……断った契約、結構あるな」
「ええ」
リリカは、迷いなく頷いた。
「条件が合わないもの、無理な数量を要求するもの、こちらの工程を理解しないもの」
「全部、切ったのか」
「はい」
その口調には、一切のためらいがない。
「……強気だな」
「違いますわ」
彼女は顔を上げ、静かに言った。
「適正です」
工房は、すでに“守られる側”ではなくなっている。
必要とされる場所になったからこそ、選別ができる。
午前中、工房に一通の書簡が届いた。
「……これは」
シオンが封を切り、中を確認する。
「商業評議会からの、正式な要請?」
「ええ」
リリカは、内容を把握した上で頷いた。
「“優良工房事例としての登録”です」
「……つまり」
「見本にしたい、ということです」
シオンは、眉を寄せる。
「面倒なやつじゃないか?」
「ええ」
即答だった。
「ですが、断りません」
「なんでだ」
「立場を、固定するためです」
リリカは、静かに説明する。
「曖昧な存在でいるほど、揺さぶられやすい。なら、明確な位置に立つ方がいい」
午後。
商業評議会の担当者が訪れ、形式的な説明が行われた。
「王女殿下が、前面に出る必要はありません」
「ええ」
リリカは、淡々と答える。
「前に立つのは、この工房の責任者です」
その言葉に、全員の視線がシオンに集まる。
「……俺?」
「ええ」
リリカは、当然のように頷いた。
「技術と現場の代表ですから」
「……無理だ」
即座に拒否した。
「人前に出るのは、得意じゃない」
「知っています」
「なら――」
「ですが」
リリカは、言葉を遮る。
「出るのは、“人前”ではありません」
彼女は、静かに続けた。
「“現場の代表”としてです」
担当者が補足する。
「発言は最低限で構いません。工程や考え方を説明していただければ」
シオンは、しばらく黙り込んだ。
「……菓子の話だけなら」
「それで十分です」
その日の夕方。
「……俺の名前、どんどん前に出てるな」
工房の看板を見上げながら、シオンが言う。
「ええ」
リリカは隣に立つ。
「逃げ道は、残しています」
「……どこが」
「私が、後ろにいます」
その言葉に、シオンは小さく息を吐いた。
「……ずるいな」
「戦略です」
翌日から、工房の扱いが少し変わった。
「……“シオン菓子工房”って、名前が出てる」
「王女の名前じゃないのが、いいって」
市井の声は、意外なほど素直だった。
「職人の工房、って感じがする」
「分かる気がする」
それは、狙い通りだった。
夜。
工房の片付けを終えた後、二人は静かに話す。
「……次は、何を考えてる」
シオンが、低く尋ねる。
「二つあります」
リリカは、指を二本立てる。
「一つは、地方です」
「地方?」
「ええ。王都だけでは、影響が偏ります」
「もう一つは?」
彼女は、一瞬だけ間を置いた。
「人です」
「……職人か」
「ええ」
リリカは頷く。
「あなた一人では、限界が来ます。ですが――」
視線を、彼に向ける。
「あなたの味を、次につなげることはできます」
シオンは、しばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……逃げられないな」
「逃がしません」
その言葉には、冗談めかした響きと、確かな本気が混じっていた。
工房の灯りが落ちる。
静かな夜。
だが、その裏で、次の段階への準備は、すでに始まっている。
守るだけの時間は、終わった。
これからは――
広げる時間だ。
看板に刻まれた名前が、
その意味を、本当の意味で持ち始めていた。
監査結果が正式に公表されてから、三日。
工房の空気は、驚くほど落ち着いていた。
「……忙しくはなったが」
シオンは、仕込みを終えた生地を並べながら呟く。
「慌ただしくは、ないな」
「ええ」
リリカは、帳簿に目を落としたまま答える。
「“騒ぎの後”は、意外と静かなものです」
取引再開の連絡は出揃い、数も内容も安定してきている。
だが、以前と決定的に違う点があった。
「……断った契約、結構あるな」
「ええ」
リリカは、迷いなく頷いた。
「条件が合わないもの、無理な数量を要求するもの、こちらの工程を理解しないもの」
「全部、切ったのか」
「はい」
その口調には、一切のためらいがない。
「……強気だな」
「違いますわ」
彼女は顔を上げ、静かに言った。
「適正です」
工房は、すでに“守られる側”ではなくなっている。
必要とされる場所になったからこそ、選別ができる。
午前中、工房に一通の書簡が届いた。
「……これは」
シオンが封を切り、中を確認する。
「商業評議会からの、正式な要請?」
「ええ」
リリカは、内容を把握した上で頷いた。
「“優良工房事例としての登録”です」
「……つまり」
「見本にしたい、ということです」
シオンは、眉を寄せる。
「面倒なやつじゃないか?」
「ええ」
即答だった。
「ですが、断りません」
「なんでだ」
「立場を、固定するためです」
リリカは、静かに説明する。
「曖昧な存在でいるほど、揺さぶられやすい。なら、明確な位置に立つ方がいい」
午後。
商業評議会の担当者が訪れ、形式的な説明が行われた。
「王女殿下が、前面に出る必要はありません」
「ええ」
リリカは、淡々と答える。
「前に立つのは、この工房の責任者です」
その言葉に、全員の視線がシオンに集まる。
「……俺?」
「ええ」
リリカは、当然のように頷いた。
「技術と現場の代表ですから」
「……無理だ」
即座に拒否した。
「人前に出るのは、得意じゃない」
「知っています」
「なら――」
「ですが」
リリカは、言葉を遮る。
「出るのは、“人前”ではありません」
彼女は、静かに続けた。
「“現場の代表”としてです」
担当者が補足する。
「発言は最低限で構いません。工程や考え方を説明していただければ」
シオンは、しばらく黙り込んだ。
「……菓子の話だけなら」
「それで十分です」
その日の夕方。
「……俺の名前、どんどん前に出てるな」
工房の看板を見上げながら、シオンが言う。
「ええ」
リリカは隣に立つ。
「逃げ道は、残しています」
「……どこが」
「私が、後ろにいます」
その言葉に、シオンは小さく息を吐いた。
「……ずるいな」
「戦略です」
翌日から、工房の扱いが少し変わった。
「……“シオン菓子工房”って、名前が出てる」
「王女の名前じゃないのが、いいって」
市井の声は、意外なほど素直だった。
「職人の工房、って感じがする」
「分かる気がする」
それは、狙い通りだった。
夜。
工房の片付けを終えた後、二人は静かに話す。
「……次は、何を考えてる」
シオンが、低く尋ねる。
「二つあります」
リリカは、指を二本立てる。
「一つは、地方です」
「地方?」
「ええ。王都だけでは、影響が偏ります」
「もう一つは?」
彼女は、一瞬だけ間を置いた。
「人です」
「……職人か」
「ええ」
リリカは頷く。
「あなた一人では、限界が来ます。ですが――」
視線を、彼に向ける。
「あなたの味を、次につなげることはできます」
シオンは、しばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……逃げられないな」
「逃がしません」
その言葉には、冗談めかした響きと、確かな本気が混じっていた。
工房の灯りが落ちる。
静かな夜。
だが、その裏で、次の段階への準備は、すでに始まっている。
守るだけの時間は、終わった。
これからは――
広げる時間だ。
看板に刻まれた名前が、
その意味を、本当の意味で持ち始めていた。
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