『婚約破棄されましたが、孤児院を作ったら国が変わりました』

ふわふわ

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第1話 婚約破棄は、家の案件ですので

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第1話 婚約破棄は、家の案件ですので

王城の夜会は、過剰なほど整えられていた。
燭台の光は床に反射し、楽団の音色は一分の乱れもなく続いている。
笑顔も、挨拶も、立ち位置さえも――すべてが決められた通りだ。

ノエリア・アルヴェインは、その中心に立っていた。
王太子クラウス・エルディオンの婚約者として。

(長いですね……)

内心ではそう思いながらも、表情は変えない。
政略結婚とはそういうものだ。
感情を持ち込む場所ではなく、役割を果たす場。

やがて楽団の演奏が止み、空気が変わる。
クラウスが一歩前に出た。

「皆に、報告がある」

その声に、微かな高揚が混じっていることを、ノエリアは聞き逃さなかった。

「本日をもって、
ノエリア・アルヴェインとの婚約を破棄する」

夜会の空気が、一瞬で凍りつく。

視線が集まる。
驚き、同情、好奇、計算。
だが――当の本人は、何一つ動揺しなかった。

「理由は簡単だ」

クラウスは続ける。

「彼女は完璧すぎる。
常に正しく、隙がない」

ざわめきが広がる。

「王妃には、もう少し可愛げが必要だ。
女性は、少し愚かな方が男を立てる」

そこで、ノエリアは初めて口を開いた。

「――婚約破棄、ですか?」

声は静かで、感情は乗っていない。

「その決定に、間違いはありませんね?」

クラウスは眉をひそめる。

「婚約破棄だぞ。
分かっているのか?」

「ええ。理解しています」

ノエリアは淡々と答えた。

「政略結婚ですもの。
これは家と家の問題です」

一歩も引かず、続ける。

「私に宣言する必要もありませんし、
私の了承を得る必要もありません」

周囲が息を呑む。

「正式な書面としてまとめ、
当家アルヴェイン家当主までお届けください」

クラウスは言葉を失った。

「他にご用がなければ、これで失礼いたします」

一礼。

「午後から、王女殿下とのお茶会のお約束がありますので」

ノエリアは踵を返し、
一度も振り返らずに夜会を後にした。


---

馬車の中で、ノエリアは小さく息を吐いた。

(これで一つ、役目が終わりました)

怒りはない。
悲しみもない。
この婚約に、最初から感情を期待していなかった。

政略結婚とは、
家の都合で始まり、家の都合で終わるもの。

――それ以外の人生は、自分のものだ。

屋敷に戻ったノエリアは、庭を歩いていた。
夜会の喧騒が嘘のように、静かな空気が流れている。

そのとき、足元からか細い鳴き声がした。

植え込みの影で、
泥に汚れた小さな猫が震えている。

「……汚い」

後ろに控えていたメイドが、思わずそう口にした。

ノエリアは立ち止まり、しゃがみ込む。

「汚い?」

問い返し、猫を見る。

「洗えばいいだけでしょう」

それだけ言って、迷いなく抱き上げた。

猫は抵抗もせず、
小さく身じろぎしただけだった。


---

屋敷に入ると、ノエリアはそのまま浴室へ向かった。
桶にぬるま湯を張り、石鹸を用意する。

「お嬢様、私がやります」

慌ててメイドが声を上げる。

「そのようなことまで、お手を煩わせる必要は――」

ノエリアは振り返らず、静かに首を横に振った。

「いいえ」

短く、それだけ。

猫をそっと桶の縁に下ろし、
ゆっくりと湯をかける。

「私が勝手に拾ってきたのですから」

泡立てた石鹸で、泥を落としながら続ける。

「自分で面倒を見ます」

猫は少し身じろぎしたが、逃げようとはしない。

「……最後まで面倒を見るのが、
飼い主の責任でしょう」

その言葉に、メイドは何も言えなくなった。

洗い終えた猫を布で包み、そっと拭く。
濁っていた毛並みは、次第に本来の色を取り戻していく。

「ほら」

ノエリアは淡々と言った。

「きれいになった」

猫は、返事の代わりに小さく喉を鳴らした。

ノエリアはそれを聞きながら、手を拭く。

拾ったのは、気まぐれではない。
責任から逃げないと決めただけ。

婚約が破棄されても、
彼女の判断基準は何一つ変わらない。

役目は果たす。
だが、選んだことの責任は、自分で引き受ける。

それが、
ノエリア・アルヴェインという人間だった。

――そしてこの日常が、
静かに世界を変えていくことを、
まだ誰も知らない。


---
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