婚約破棄されたので、戻らない選択をしました

ふわふわ

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第11話 広がる波紋

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第11話 広がる波紋

 領政補佐として正式に迎えられてから、ミディア・バイエルンの日々は、さらに忙しさを増していた。

 朝は早い。夜明け前に起き、簡単な食事を済ませると、前日の報告と当日の予定を確認する。誰かに急かされるわけではないが、仕事が待っているという事実が、自然と身体を動かした。

「……次は、南側の街道ですね」

 机の上に広げられた地図を見つめ、ミディアは独り言のように呟く。北側の物流改善が形になり始めた今、次に目を向けるべきは、街道の維持と治安だった。

 扉をノックする音がする。

「どうぞ」

 入ってきたのは、財務担当の男だった。以前よりも、表情が柔らいでいる。

「ミディア様、こちらが今月分の中間報告です」

「ありがとうございます」

 書類を受け取り、素早く目を通す。数字の並びに、大きな異常はない。むしろ、わずかながら改善が見られる。

「……支出が抑えられていますね」

「はい。共同備蓄の影響で、輸送にかかる余分な費用が減りました」

 財務担当は、少し誇らしげに答えた。

「現場が理解してくれた証拠です」

 ミディアは、頷いた。

「数字は、結果を正直に示します。皆さんの努力ですね」

 その言葉に、男は一瞬驚いたような顔をした後、深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」

 彼が部屋を出た後、ミディアは椅子に背を預けた。

 ――評価されるのは、私だけではいけない。

 王宮での経験が、そう教えてくれていた。誰か一人が持ち上げられれば、必ず歪みが生まれる。ここで同じことを繰り返すつもりはない。

 昼前、アイロス・アルツハイムが執務室を訪れた。

「忙しそうですね」

「おかげさまで」

 ミディアは顔を上げ、微かに笑った。

「南側街道の件、動き出そうと思っています」

「聞かせてください」

 彼は、椅子に腰を下ろし、腕を組んだ。命令でも、指示でもない。ただ、話を聞く姿勢だ。

「街道沿いの集落で、軽犯罪が増えています。直接の原因は、物流の滞りと、仕事不足です」

「……治安だけの問題ではない、ということですね」

「はい。巡回を増やすだけでは、根本的な解決にはなりません」

 ミディアは、資料を差し出した。

「街道整備を兼ねた雇用を、短期的に作れないかと考えています」

 アイロスは、資料に目を通しながら、静かに頷いた。

「金はかかるが……」

「何もしないより、安く済みます」

 はっきりと言い切る。

 彼は、しばらく考えた後、短く答えた。

「進めましょう」

 即断だった。

「詳細は、あなたに任せます」

 ミディアは、一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに頷いた。

「承知しました」

 ――信頼されている。

 その事実が、じわりと胸に広がる。

 午後、政庁を訪れた商人たちとの面談があった。以前なら、領主代理か、上級職員が対応していたはずの場だ。

「ミディア・バイエルンと申します。本日は、お時間をいただきありがとうございます」

 名乗ると、商人たちは一瞬、互いに顔を見合わせた。

「……あの、王都の……?」

 戸惑いを含んだ声。

「はい。ですが、今はアルツハイム領の仕事をしています」

 それだけで、余計な説明はしなかった。

 商人たちは、次第に本題に入っていく。通行税、街道の状態、盗難の不安。どれも、現実的な話だ。

 ミディアは、遮らず、否定せず、ただ聞いた。必要なところでだけ、短く質問する。

「……話しやすい方ですね」

 面談の終わり、年配の商人がぽつりと呟いた。

「そう言っていただけるなら、嬉しいです」

 それは、社交辞令ではなかった。

 その日の夕方、職員の一人が、噂話のように言った。

「最近、村の方々が『ミディア様に相談すれば、話を聞いてもらえる』と……」

 ミディアは、手を止めた。

「……困りますね」

「え?」

「私一人に集中してしまうと、現場が回らなくなります」

 彼女は、静かに続けた。

「相談窓口を整理しましょう。私でなくても、対応できる形に」

 職員は、感心したように頷いた。

 夜、宿舎に戻ると、窓の外に小さな灯りが点々と見えた。村々の灯だ。

 ミディアは、机に向かいながら、ふと考える。

 ――私の名前が、独り歩きし始めている。

 それは、喜ぶべきことでもあり、慎重になるべきことでもあった。

 王宮では、名は重荷だった。
 だが、ここでは、仕事の結果に紐づいている。

「……大丈夫」

 小さく呟く。

 ここには、独断を止めてくれる人がいる。
 そして、共に考える人たちがいる。

 広がり始めた波紋は、まだ穏やかだ。
 だが確実に、この辺境を変えつつある。

 ミディア・バイエルンという名は、静かに、だが確実に、現実の中で評価され始めていた。
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