婚約破棄されたので、戻らない選択をしました

ふわふわ

文字の大きさ
16 / 39

第16話 静かな圧力

しおりを挟む
第16話 静かな圧力

 変化は、音もなく忍び寄る。

 アルツハイム辺境伯領の朝は、いつも通り忙しかった。街道工事の進捗確認、商会からの問い合わせ対応、集落代表との打ち合わせ。机の上の書類は減るどころか、日を追うごとに整然と積み上がっていく。

 ――順調だ。

 ミディア・バイエルンは、そう判断していた。
 少なくとも、現場は。

 だが、王都は違う。

「ミディア様」

 昼前、事務官がいつもより慎重な足取りで執務室に入ってきた。

「王都から、正式文書が届いています」

 差し出された封書には、個人名ではなく、王国評議会の名が記されていた。

「……ついに来ましたか」

 ミディアは、表情を変えずに受け取る。

 封を切り、中身に目を通す。
 そこに書かれていたのは、強制力を持たない、しかし明確な“要請”だった。

 ――辺境領における施策が、王国全体の経済秩序に影響を与えている可能性がある。
 ――ついては、経緯と判断根拠について、説明を求める。

「説明、ですか」

 声に出すと、事務官が固唾を呑んだ。

「圧力、でしょうか……」

「圧力ですね」

 ミディアは、はっきりと言った。

「ですが、攻撃ではありません」

 事務官は、首を傾げる。

「違いは……?」

「向こうが、まだ“止める理由”を見つけられていない、ということです」

 書簡を机に置き、ミディアは静かに息を吐く。

 問題があるなら、命令が下る。
 そうでない以上、彼らは探っている。

「この件、アイロス様には?」

「すでに共有しています」

 事務官は、少し安堵したように頷いた。

 午後、アイロス・アルツハイムとの打ち合わせが行われた。
 会議室には、二人だけ。

「評議会からの文書ですね」

「ええ」

 ミディアは、内容を簡潔に伝える。

「説明を求めています。施策の意図と、判断基準を」

 アイロスは、腕を組んだまま、少し考えた。

「……こちらに非は?」

「ありません」

 即答だった。

「数字も、手続きも、すべて正当です」

「なら、説明すればいい」

 それだけの答え。

「ですが」

 ミディアは、視線を上げる。

「これは、前例になります」

「何の?」

「辺境が、王都に“説明させる側”に回る前例です」

 アイロスは、その言葉の意味を、すぐに理解した。

「……なるほど」

 王都が辺境を管理する、という構図。
 それが、対等な“確認”に変わる。

「どうしますか」

 ミディアの問いに、彼は迷わなかった。

「正面から、丁寧に返しましょう」

「感情は?」

「不要です」

 短く、だが明確だった。

 その日の夜、ミディアは執務室に残り、返答案をまとめていた。
 言い訳は書かない。反論もしない。

 事実だけを、順序立てて記す。

 ――なぜ、物流改善が必要だったか。
 ――どのような選択肢があり、なぜ現案を選んだか。
――現時点での成果と、未解決の課題。

 読み返しても、揺るぎはない。

「……これで十分ですね」

 ペンを置いた瞬間、肩の力が抜けた。

 王宮にいた頃なら、言葉の一つひとつに、誰かの顔色が浮かんだだろう。
 だが今は違う。

 この文章は、誰かを守るためではなく、現実を説明するためのものだ。

 翌朝、返書は正式に送付された。

 同時に、政庁内にも変化があった。
 職員たちが、いつもより静かに、しかし確実に仕事を進めている。

「……王都が動いたと聞きました」

 若い職員が、恐る恐る声をかけてくる。

「ええ」

 ミディアは、手を止めずに答えた。

「ですが、皆さんの仕事が変わることはありません」

「……本当に?」

「はい」

 視線を上げ、はっきりと言う。

「むしろ、これまで以上に、正確さが求められます」

 それだけで、十分だった。

 不安は、誤魔化さず、現実に置き換える。
 それが、ミディアのやり方だ。

 夜、宿舎の窓から外を見下ろす。
 工事の灯りは、今日も消えていない。

 王都の圧力は、確かに存在する。
 だが、それはまだ、静かなものだ。

 ――耐えられる。

 いや、違う。

 耐える必要すら、ない。

 こちらは、ただ“正しい仕事”を続けるだけなのだから。

 ミディア・バイエルンは、静かに確信していた。
 この圧力は、恐れるべきものではない。

 これは、辺境が“無視できない存在”になった証なのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

私を利用するための婚約だと気付いたので、別れるまでチクチク攻撃することにしました

柚木ゆず
恋愛
※22日、本編は完結となりました。明日(23日)より、番外編を投稿させていただきます。 そちらでは、レオが太っちょレオを捨てるお話と、もう一つ別のお話を描く予定となっております。  婚約者であるエリックの卑劣な罠を知った、令嬢・リナ。  リナはエリックと別れる日まで、何も知らないフリをしてチクチク攻撃することにしたのでした。

【完結】陛下、花園のために私と離縁なさるのですね?

ファンタジー
ルスダン王国の王、ギルバートは今日も執務を妻である王妃に押し付け後宮へと足繁く通う。ご自慢の後宮には3人の側室がいてギルバートは美しくて愛らしい彼女たちにのめり込んでいった。 世継ぎとなる子供たちも生まれ、あとは彼女たちと後宮でのんびり過ごそう。だがある日うるさい妻は後宮を取り壊すと言い出した。ならばいっそ、お前がいなくなれば……。 ざまぁ必須、微ファンタジーです。

【完結】貴方の後悔など、聞きたくありません。

なか
恋愛
学園に特待生として入学したリディアであったが、平民である彼女は貴族家の者には目障りだった。 追い出すようなイジメを受けていた彼女を救ってくれたのはグレアルフという伯爵家の青年。 優しく、明るいグレアルフは屈託のない笑顔でリディアと接する。 誰にも明かさずに会う内に恋仲となった二人であったが、 リディアは知ってしまう、グレアルフの本性を……。 全てを知り、死を考えた彼女であったが、 とある出会いにより自分の価値を知った時、再び立ち上がる事を選択する。 後悔の言葉など全て無視する決意と共に、生きていく。

冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判

七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。 「では開廷いたします」 家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。

婚約破棄されたのでファンシーショップ始めました。 ― 元婚約者が、お人形さんを側室にしようとして大恥をかきました ―

鷹 綾
恋愛
隣国の王子から「政略的にも個人的にも魅力を感じない」と婚約破棄された、ファンタジア王国第三女王タナー。 泣きも怒りもせず、彼女が考えたのは――「いつか王宮の庇護がなくなっても困らない生き方」だった。 まだ八歳。 それでも先を見据え、タナーは王都の片隅で小さなファンシーショップを開くことを決意する。 並ぶのは、かわいい雑貨。 そして、かわいい魔法の雑貨。 お茶を淹れてくれるクマのぬいぐるみ店員《テイデイ・バトラー》、 冷めないティーカップ、 時間になると小鳥が飛び出すアンティーク時計――。 静かに広がる評判の裏で、 かつての元婚約者は「お人形さんを側室にしようとして」赤っ恥をかくことに。 ざまぁは控えめ、日常はやさしく。 かわいいものに囲まれながら、女王は今日も穏やかにお店を開けています。 --- この文面は ✔ アルファポリス向け文字数 ✔ 女子読者に刺さるワード配置 ✔ ネタバレしすぎない ✔ ほのぼの感キープ を全部満たしています。 次は 👉 タグ案 👉 ランキング用超短縮あらすじ(100字) どちらにしますか?

婚約者が選んだのは私から魔力を盗んだ妹でした

今川幸乃
恋愛
バートン伯爵家のミアの婚約者、パーシーはいつも「魔法が使える人がいい」とばかり言っていた。 実はミアは幼いころに水の精霊と親しくなり、魔法も得意だった。 妹のリリーが怪我した時に母親に「リリーが可哀想だから魔法ぐらい譲ってあげなさい」と言われ、精霊を譲っていたのだった。 リリーはとっくに怪我が治っているというのにずっと仮病を使っていて一向に精霊を返すつもりはない。 それでもミアはずっと我慢していたが、ある日パーシーとリリーが仲良くしているのを見かける。 パーシーによると「怪我しているのに頑張っていてすごい」ということらしく、リリーも満更ではなさそうだった。 そのためミアはついに彼女から精霊を取り戻すことを決意する。

処理中です...