婚約破棄されたその後は、何も起きない日々でした

ふわふわ

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30話 当たり前になる日

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30話 当たり前になる日

 信頼が積み上がり、基準が共有され、判断が揃ったとき――
 それは拍手で迎えられるわけでも、祝祭で飾られるわけでもない。

 ただ、当たり前になる。

 王宮では、その変化が静かに、しかし確実に進行していた。

「殿下、本日の定例報告です」

 側近の声には、かつてあった緊張がない。
 油断ではない。むしろ逆だ。緊張を特別に意識する必要がなくなった。

「問題は?」

「ありません。全件、基準内で処理されています」

「例外は?」

「ありません」

「なら、続けてください」

 それで会話は終わる。
 誰も息を呑まない。誰も顔色を窺わない。

 以前なら、この静けさは不安を呼んだ。
 何か見落としているのではないか。嵐の前触れではないか。

 だが今は違う。
 何も起きないことが、最良の結果だと、誰もが理解していた。

 昼の会合でも、空気は穏やかだった。
 議題は改革ではなく、次期の通常計画。

「この部分、現場裁量を半歩広げられます」 「基準は?」

「逸脱しません」

「では、認めます」

 判断は早い。
 議論は短い。
 全員が、同じ地図を見ている。

 “任せる”という言葉が、自然に使われるようになった。
 それは信頼の証であり、同時に責任の移譲でもある。

 一方、フォーマルハウト領。
 朝の巡回で、私はいつもと同じ光景を目にしていた。

 市場は開き、荷は滞りなく流れ、子どもたちは道を駆けていく。
 特別な活気も、沈んだ空気もない。

「最近は、指示が減りました」

 執事の言葉に、私は頷いた。

「判断が共有されているからです」

 それは支配ではない。
 自立だ。

 午後、集会所で若い役人が報告を終える。

「全件、基準通りに処理しました」

「分かりました」

 称賛も、叱責もない。
 できていることが、特別ではなくなったからだ。

 同じ頃、王宮では小さな出来事が一つあった。
 新任の官僚が、上司の確認を仰がずに判断を下したのだ。

「……問題は?」 「ありません。結果も適切です」

「なら、それでいい」

 誰も、その名を記録に残さない。
 だが、それでいい。

 英雄はいらない。
 当たり前に判断できる人間がいれば、それで十分だ。

 夜。
 レオンハルトは執務室で帳票を閉じ、窓の外を見た。王都の灯りは、以前と変わらず瞬いている。

(当たり前になる日)

 それは、到達点ではない。
 終わりでもない。

 ただ、続けられるようになったという合図だ。

 一方、フォーマルハウト領の夜も静かだった。
 私は日誌を閉じ、灯りを落とす。風が木々を揺らし、遠くで夜番の足音が一定の間隔で響く。

(当たり前は、放っておくと崩れる)

 だから、守る。
 声高に誇らず、淡々と。

 距離は、変わらない。
 だが、その距離の上で、王宮と領地はそれぞれに――
 同じ「当たり前」を、日々更新し続けていた。

 それは退屈で、地味で、
 けれど何よりも強い。

 当たり前になる日。
 それこそが、改革が本当に根付いた証だった。
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