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第5話 条件とは、選ばれる覚悟のことですわ
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第5話 条件とは、選ばれる覚悟のことですわ
使者が帰ってから、三日。
その短い時間のあいだに、ガルディア王国では目に見えて状況が改善していた。
患者の新規発生は激減し、重症者も回復に向かっている。
街の人々の表情には、まだ不安は残っているものの――絶望の色はない。
「……本当に、流れが変わったな」
名を名乗らぬ青年が、机の上に並べた報告書を閉じながら静かに言った。
彼の声には、驚きよりも納得が滲んでいる。
「ええ。正しい判断を、正しい順序で行えば、疫病は“制御できる災厄”ですわ」
私は羽根ペンを置き、地図に引いていた線を指でなぞった。
水源、流通路、隔離区画。
千年前から変わらない、人が集落を作るための条件――そして、病が広がる条件。
(知っていることを、実行するだけ)
それがどれほど難しいかを、私は何度も見てきた。
そして同時に、追放した側の王国が、どれほど“何もしていないか”も。
その日の夕刻。
再び、追放元の王国から使者が訪れた。
今度は、ひとりではない。
王城付きの高官三名。
かつては、王太子アレクセイの決定を「英断」と持ち上げていた面々だ。
彼らの顔に、かつての余裕はなかった。
疲労、焦燥、恐怖。
そして――明確な“敗色”。
「シェリア様」
最初に口を開いたのは、年配の文官だった。
膝を折り、深く頭を下げる。
「先日のご返答、確かに承りました」
「王国として……殿下として……」
言葉が、途中で詰まる。
私は、あえて助け舟を出さなかった。
これは交渉ではない。
立場を理解するための時間だ。
「条件を、お聞かせ願いたい」
ようやく紡がれたその言葉は、
命令でも要求でもなく――懇願だった。
「よろしいですわ」
私は、ゆっくりと立ち上がる。
視線を合わせ、逃げ場を与えない距離で告げた。
「まず、前提として」
「私は、もうそちらの国の人間ではありません」
高官たちの肩が、わずかに揺れた。
「それでもなお、私に“来てほしい”と望まれるのであれば」
「主導権は、こちらにあります」
誰も、異を唱えない。
「第一に」
私は指を一本立てた。
「現地に入った場合、すべての医療判断は、私に一任していただきます」
「王太子殿下であろうと、王族であろうと、例外は認めません」
空気が、張りつめる。
「第二に」
指をもう一本。
「聖女リリカは、現場から完全に外していただきます」
即座に、息を呑む気配。
「能力の有無ではありませんわ」
「責任を負えない方に、命の現場は任せられません」
反論が出そうになり、しかし誰も口を開かなかった。
それが、現実だったからだ。
「第三に」
私は、少しだけ声を和らげた。
「救う対象は、国民です」
「王族や貴族の延命、権威の保持が優先されるのであれば」
「その時点で、私は撤退します」
「……それは……」
高官の一人が、震える声で言いかけた。
「国の主権を、脅かすものではありません」
私は静かに続ける。
「ただし、“命の現場”に口出しされるつもりもありませんの」
沈黙。
重く、長い沈黙。
やがて、全員が深く頭を下げた。
「……条件、すべて受け入れます」
その言葉を聞いた瞬間、私は理解した。
(ようやくですわね)
この国は、今この瞬間――
選ぶ側から、選ばれる側へと降りたのだ。
夜。
ガルディア王国の静かな街並みを見下ろす宿の一室で、
名を名乗らぬ青年が口を開いた。
「行くのだな」
「ええ」
私は、迷いなく答える。
「条件が守られる限りは」
「……戻ることになるが」
「戻りませんわ」
私は、微笑んだ。
「向かうだけです」
「帰る場所は、もう決まっていますから」
彼は一瞬、驚いたように目を見開き――
すぐに、理解したように小さく頷いた。
「……無事を祈ろう」
「ありがとうございます」
窓の外には、灯りの消えない街。
人々が、明日を信じて眠る場所。
守るべき場所。
帰るべき場所。
「千年生きてきましたけれど……」
私は外套に手を伸ばし、静かに呟く。
「“選ばれる覚悟”を示した国を、見捨てるほど」
「私は、冷たくはありませんの」
同時に――
覚悟を持たなかった王太子が、何を失ったのかを思い知る日も、近い。
そのことだけは、揺るぎなく確信していた。
使者が帰ってから、三日。
その短い時間のあいだに、ガルディア王国では目に見えて状況が改善していた。
患者の新規発生は激減し、重症者も回復に向かっている。
街の人々の表情には、まだ不安は残っているものの――絶望の色はない。
「……本当に、流れが変わったな」
名を名乗らぬ青年が、机の上に並べた報告書を閉じながら静かに言った。
彼の声には、驚きよりも納得が滲んでいる。
「ええ。正しい判断を、正しい順序で行えば、疫病は“制御できる災厄”ですわ」
私は羽根ペンを置き、地図に引いていた線を指でなぞった。
水源、流通路、隔離区画。
千年前から変わらない、人が集落を作るための条件――そして、病が広がる条件。
(知っていることを、実行するだけ)
それがどれほど難しいかを、私は何度も見てきた。
そして同時に、追放した側の王国が、どれほど“何もしていないか”も。
その日の夕刻。
再び、追放元の王国から使者が訪れた。
今度は、ひとりではない。
王城付きの高官三名。
かつては、王太子アレクセイの決定を「英断」と持ち上げていた面々だ。
彼らの顔に、かつての余裕はなかった。
疲労、焦燥、恐怖。
そして――明確な“敗色”。
「シェリア様」
最初に口を開いたのは、年配の文官だった。
膝を折り、深く頭を下げる。
「先日のご返答、確かに承りました」
「王国として……殿下として……」
言葉が、途中で詰まる。
私は、あえて助け舟を出さなかった。
これは交渉ではない。
立場を理解するための時間だ。
「条件を、お聞かせ願いたい」
ようやく紡がれたその言葉は、
命令でも要求でもなく――懇願だった。
「よろしいですわ」
私は、ゆっくりと立ち上がる。
視線を合わせ、逃げ場を与えない距離で告げた。
「まず、前提として」
「私は、もうそちらの国の人間ではありません」
高官たちの肩が、わずかに揺れた。
「それでもなお、私に“来てほしい”と望まれるのであれば」
「主導権は、こちらにあります」
誰も、異を唱えない。
「第一に」
私は指を一本立てた。
「現地に入った場合、すべての医療判断は、私に一任していただきます」
「王太子殿下であろうと、王族であろうと、例外は認めません」
空気が、張りつめる。
「第二に」
指をもう一本。
「聖女リリカは、現場から完全に外していただきます」
即座に、息を呑む気配。
「能力の有無ではありませんわ」
「責任を負えない方に、命の現場は任せられません」
反論が出そうになり、しかし誰も口を開かなかった。
それが、現実だったからだ。
「第三に」
私は、少しだけ声を和らげた。
「救う対象は、国民です」
「王族や貴族の延命、権威の保持が優先されるのであれば」
「その時点で、私は撤退します」
「……それは……」
高官の一人が、震える声で言いかけた。
「国の主権を、脅かすものではありません」
私は静かに続ける。
「ただし、“命の現場”に口出しされるつもりもありませんの」
沈黙。
重く、長い沈黙。
やがて、全員が深く頭を下げた。
「……条件、すべて受け入れます」
その言葉を聞いた瞬間、私は理解した。
(ようやくですわね)
この国は、今この瞬間――
選ぶ側から、選ばれる側へと降りたのだ。
夜。
ガルディア王国の静かな街並みを見下ろす宿の一室で、
名を名乗らぬ青年が口を開いた。
「行くのだな」
「ええ」
私は、迷いなく答える。
「条件が守られる限りは」
「……戻ることになるが」
「戻りませんわ」
私は、微笑んだ。
「向かうだけです」
「帰る場所は、もう決まっていますから」
彼は一瞬、驚いたように目を見開き――
すぐに、理解したように小さく頷いた。
「……無事を祈ろう」
「ありがとうございます」
窓の外には、灯りの消えない街。
人々が、明日を信じて眠る場所。
守るべき場所。
帰るべき場所。
「千年生きてきましたけれど……」
私は外套に手を伸ばし、静かに呟く。
「“選ばれる覚悟”を示した国を、見捨てるほど」
「私は、冷たくはありませんの」
同時に――
覚悟を持たなかった王太子が、何を失ったのかを思い知る日も、近い。
そのことだけは、揺るぎなく確信していた。
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※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
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