11 / 40
第十一話 揺らぐ聖女
しおりを挟む
第十一話 揺らぐ聖女
王宮の礼拝堂には、かつての熱気がなかった。
聖女エマが祈りを捧げる時間だというのに、集まっている人の数はまばらだ。
以前であれば、奇跡を一目見ようと貴族や民衆が詰めかけ、立錐の余地もなかったというのに。
「……どうして、今日はこんなに少ないの?」
エマは祈りの姿勢を保ったまま、かすかに眉をひそめた。
祈りを終え、顔を上げても、期待していたような視線は向けられない。
ざわめきも、感嘆の声もない。
「聖女様」
控えていた神官の一人が、遠慮がちに近づいてくる。
「本日の祈祷は、これで終了となります」
「え? でも、まだ……」
「最近は、簡素な形で十分だという判断がありまして」
その言葉に、エマの胸がざわりと揺れた。
「……誰の判断?」
「それは……教会と王宮の協議の結果です」
神官はそれ以上を語らず、一礼して離れていく。
エマはその場に立ち尽くした。
――おかしい。
――少し前まで、私は“選ばれた存在”だったはず。
王太子ロイドの隣に立ち、祝福され、持ち上げられ、何を言っても肯定された。
それが当然だと思っていた。
だが今、周囲の態度は明らかに変わっている。
同じ頃、王宮の別室では、重臣と教会関係者が顔を揃えていた。
「……聖女エマの奇跡について、再検証が必要だと考えます」
切り出したのは、年配の大神官だった。
「最近、再現性が低すぎる。祈祷の成果も安定しない」
「偶然ではないのか?」
そう言ったのは、ロイド・ヴァルシュタインだ。
だが、その声には以前の勢いがない。
「偶然にしては、説明がつかぬ事例が増えております」
大神官は淡々と資料を差し出す。
「過去の“奇跡”とされる事象を精査した結果、自然発生の範囲内で説明可能なものが大半でした」
室内に、重い沈黙が落ちる。
「……つまり」
ロイドが低く呟く。
「聖女では、ないと?」
「断定はいたしません。ただし――」
大神官は言葉を区切った。
「少なくとも、前例にある“本物の聖女”とは、性質が異なります」
その言葉に、誰も反論できなかった。
――前例にある聖女。
脳裏に浮かぶのは、マルグリット・フォン・ルーヴェンの姿だ。
彼女は奇跡を起こしたわけではない。
だが、王宮と教会の調整役として、祈祷と政治を破綻させなかった。
その役割が、いかに重要だったかを、今になって皆が思い知らされている。
一方、辺境公爵領では。
「教会が、聖女エマの再検証に動き出したそうです」
報告を受けたフェリクス・フォン・グランツは、短く頷いた。
「当然だな」
「……ご存じでしたか」
「兆候はあった。奇跡が“安定しない”というのは、致命的だ」
彼は視線を資料から外し、マルグリットを見る。
「あなたは、どう思う」
突然の問いに、マルグリットは一瞬だけ考えた。
「……聖女であるかどうか以前に、支える体制が崩れています」
「体制?」
「はい。奇跡が本物であれ、そうでなかれ、それを扱う側が未熟でした」
フェリクスは、わずかに口角を上げた。
「なるほど。責任は、担ぐ者にあると」
「奇跡だけを見て、人を見なかった。その結果です」
それは、王宮への直接的な批判でもあった。
だが、感情はこもっていない。ただの事実だ。
王宮では、その夜。
エマは一人、与えられた部屋で震えていた。
「……どうして」
最近、ロイドは以前ほど会いに来ない。
会話も短く、どこか上の空だ。
教会の神官たちも、視線を合わせようとしない。
「私は、選ばれたはずなのに……」
その言葉は、誰にも届かない。
“選ばれた”という立場は、
支えがなくなった瞬間、驚くほど脆い。
同じ夜、マルグリットは執務を終え、静かに書類を閉じた。
辺境公爵領では、街道補修が順調に進み、物流の改善が数字として現れ始めている。
成果は、確実だった。
「……噂は、いずれここにも届くでしょうね」
王宮で起きている変化を、彼女は正確に理解していた。
だが、そこに戻るつもりはない。
揺らいでいるのは、聖女だけではない。
王宮そのものが、支えを失い、均衡を崩し始めている。
それは、誰かが仕組んだ復讐ではない。
ただ、“本来あるべき形”に戻ろうとしているだけだ。
マルグリット・フォン・ルーヴェンは、窓の外を見つめながら思う。
――揺らぐ者ほど、大きな声を上げる。
――だが、真に価値のあるものは、静かに残る。
そして今、
残る側と、崩れる側の差は、誰の目にも明らかになりつつあった。
王宮の礼拝堂には、かつての熱気がなかった。
聖女エマが祈りを捧げる時間だというのに、集まっている人の数はまばらだ。
以前であれば、奇跡を一目見ようと貴族や民衆が詰めかけ、立錐の余地もなかったというのに。
「……どうして、今日はこんなに少ないの?」
エマは祈りの姿勢を保ったまま、かすかに眉をひそめた。
祈りを終え、顔を上げても、期待していたような視線は向けられない。
ざわめきも、感嘆の声もない。
「聖女様」
控えていた神官の一人が、遠慮がちに近づいてくる。
「本日の祈祷は、これで終了となります」
「え? でも、まだ……」
「最近は、簡素な形で十分だという判断がありまして」
その言葉に、エマの胸がざわりと揺れた。
「……誰の判断?」
「それは……教会と王宮の協議の結果です」
神官はそれ以上を語らず、一礼して離れていく。
エマはその場に立ち尽くした。
――おかしい。
――少し前まで、私は“選ばれた存在”だったはず。
王太子ロイドの隣に立ち、祝福され、持ち上げられ、何を言っても肯定された。
それが当然だと思っていた。
だが今、周囲の態度は明らかに変わっている。
同じ頃、王宮の別室では、重臣と教会関係者が顔を揃えていた。
「……聖女エマの奇跡について、再検証が必要だと考えます」
切り出したのは、年配の大神官だった。
「最近、再現性が低すぎる。祈祷の成果も安定しない」
「偶然ではないのか?」
そう言ったのは、ロイド・ヴァルシュタインだ。
だが、その声には以前の勢いがない。
「偶然にしては、説明がつかぬ事例が増えております」
大神官は淡々と資料を差し出す。
「過去の“奇跡”とされる事象を精査した結果、自然発生の範囲内で説明可能なものが大半でした」
室内に、重い沈黙が落ちる。
「……つまり」
ロイドが低く呟く。
「聖女では、ないと?」
「断定はいたしません。ただし――」
大神官は言葉を区切った。
「少なくとも、前例にある“本物の聖女”とは、性質が異なります」
その言葉に、誰も反論できなかった。
――前例にある聖女。
脳裏に浮かぶのは、マルグリット・フォン・ルーヴェンの姿だ。
彼女は奇跡を起こしたわけではない。
だが、王宮と教会の調整役として、祈祷と政治を破綻させなかった。
その役割が、いかに重要だったかを、今になって皆が思い知らされている。
一方、辺境公爵領では。
「教会が、聖女エマの再検証に動き出したそうです」
報告を受けたフェリクス・フォン・グランツは、短く頷いた。
「当然だな」
「……ご存じでしたか」
「兆候はあった。奇跡が“安定しない”というのは、致命的だ」
彼は視線を資料から外し、マルグリットを見る。
「あなたは、どう思う」
突然の問いに、マルグリットは一瞬だけ考えた。
「……聖女であるかどうか以前に、支える体制が崩れています」
「体制?」
「はい。奇跡が本物であれ、そうでなかれ、それを扱う側が未熟でした」
フェリクスは、わずかに口角を上げた。
「なるほど。責任は、担ぐ者にあると」
「奇跡だけを見て、人を見なかった。その結果です」
それは、王宮への直接的な批判でもあった。
だが、感情はこもっていない。ただの事実だ。
王宮では、その夜。
エマは一人、与えられた部屋で震えていた。
「……どうして」
最近、ロイドは以前ほど会いに来ない。
会話も短く、どこか上の空だ。
教会の神官たちも、視線を合わせようとしない。
「私は、選ばれたはずなのに……」
その言葉は、誰にも届かない。
“選ばれた”という立場は、
支えがなくなった瞬間、驚くほど脆い。
同じ夜、マルグリットは執務を終え、静かに書類を閉じた。
辺境公爵領では、街道補修が順調に進み、物流の改善が数字として現れ始めている。
成果は、確実だった。
「……噂は、いずれここにも届くでしょうね」
王宮で起きている変化を、彼女は正確に理解していた。
だが、そこに戻るつもりはない。
揺らいでいるのは、聖女だけではない。
王宮そのものが、支えを失い、均衡を崩し始めている。
それは、誰かが仕組んだ復讐ではない。
ただ、“本来あるべき形”に戻ろうとしているだけだ。
マルグリット・フォン・ルーヴェンは、窓の外を見つめながら思う。
――揺らぐ者ほど、大きな声を上げる。
――だが、真に価値のあるものは、静かに残る。
そして今、
残る側と、崩れる側の差は、誰の目にも明らかになりつつあった。
39
あなたにおすすめの小説
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
私は……何も知らなかった……それだけなのに……
#Daki-Makura
ファンタジー
第2王子が獣人の婚約者へ婚約破棄を叩きつけた。
しかし、彼女の婚約者は、4歳年下の弟だった。
そう。第2王子は……何も知らなかった……知ろうとしなかっただけだった……
※ゆるい設定です。ゆるく読んでください。
※AI校正を使わせてもらっています。
【完結】陛下、花園のために私と離縁なさるのですね?
紺
ファンタジー
ルスダン王国の王、ギルバートは今日も執務を妻である王妃に押し付け後宮へと足繁く通う。ご自慢の後宮には3人の側室がいてギルバートは美しくて愛らしい彼女たちにのめり込んでいった。
世継ぎとなる子供たちも生まれ、あとは彼女たちと後宮でのんびり過ごそう。だがある日うるさい妻は後宮を取り壊すと言い出した。ならばいっそ、お前がいなくなれば……。
ざまぁ必須、微ファンタジーです。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】婚約を解消して進路変更を希望いたします
宇水涼麻
ファンタジー
三ヶ月後に卒業を迎える学園の食堂では卒業後の進路についての話題がそここで繰り広げられている。
しかし、一つのテーブルそんなものは関係ないとばかりに四人の生徒が戯れていた。
そこへ美しく気品ある三人の女子生徒が近付いた。
彼女たちの卒業後の進路はどうなるのだろうか?
中世ヨーロッパ風のお話です。
HOTにランクインしました。ありがとうございます!
ファンタジーの週間人気部門で1位になりました。みなさまのおかげです!
ありがとうございます!
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
魔法使いとして頑張りますわ!
まるねこ
恋愛
母が亡くなってすぐに伯爵家へと来た愛人とその娘。
そこからは家族ごっこの毎日。
私が継ぐはずだった伯爵家。
花畑の住人の義妹が私の婚約者と仲良くなってしまったし、もういいよね?
これからは母方の方で養女となり、魔法使いとなるよう頑張っていきますわ。
2025年に改編しました。
いつも通り、ふんわり設定です。
ブックマークに入れて頂けると私のテンションが成層圏を超えて月まで行ける気がします。m(._.)m
Copyright©︎2020-まるねこ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる