婚約破棄されました(効率の悪い労働でした) ― 働いてない? 舞踏会は、充分重労働ですわ! ―

ふわふわ

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第27話 何もしない女が、基準になってしまいましたわ

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第27話 何もしない女が、基準になってしまいましたわ

 その変化は、とても静かだった。
 だからこそ、最初に気づいたのは――数字だった。

 朝の報告で、執事が一瞬だけ言葉を選ぶ。

「……王都の商会が、
 取引条件の基準を、
 我が領地に合わせ始めています」

 ルナ・ルクスは、紅茶を口に含み、ゆっくりと嚥下した。

「合わせる、とは?」

「納期、価格、契約期間……
 いずれも、
 “ルクス公爵領と同程度でなければ、
 取引しない”
 という姿勢です」

 ――あら。

 それは、想定より少し早い。

 ルナは、カップを置いて静かに言った。

「基準が、できてしまいましたのね」

 誰かが宣言したわけではない。
 法律が変わったわけでもない。
 王命が出たわけでもない。

 ただ、
 一番安定している場所が、
 自然と物差しになった。

 午前中、王都からの非公式な報告が続く。

「最近、“あの公爵領ではどうしているか”
 という言い回しが、
 会議で増えています」

 ルナは、少しだけ眉を上げた。

「比較、ですか」

 危険な兆候だ。
 比較が始まると、
 模倣と、嫉妬と、
 責任転嫁が始まる。

 ――でも。

 それを止める必要はない。

 彼女は、何も主張していない。
 正しさを叫んでもいない。

 ただ、
 淡々と、
 同じやり方を続けているだけだ。

 午後、ある官僚がこんな言葉を残したという。

「彼女は、
 何もしていないのに、
 なぜうまくいっているのだ?」

 ルナは、その報告を聞き、微かに笑った。

「いいえ」

 声に出して、訂正する。

「何もしていないから、
 うまくいっているのですわ」

 余計な会議をしない。
 方針を頻繁に変えない。
 感情で動かない。

 それは、
 派手な改革よりも、
 はるかに難しい。

 夕方、領内の市場を遠くから眺める。
 人の流れは穏やかで、
 焦りがない。

 ――基準とは、
 安心できること。

 速さでも、
 声の大きさでもない。

 誰かが倒れないこと。
 誰かが突然切られないこと。
 明日も、同じ条件で働けること。

 それだけで、
 人は集まる。

 夜、書斎でノートを開く。

 ・基準は宣言しない
 ・比較されても、主張しない
 ・続ける

 前世では、
 “基準を作れ”
 と言われ続けた。

 だが、
 作ろうとした基準ほど、
 壊れやすかった。

 今は違う。

 作っていない。
 押し付けていない。

 それでも、
 人が勝手に、
 基準にしてしまう。

 ルナ・ルクスは、
 静かに理解した。

 何もしない女は、
 管理できない。
 だが――
 比較される。

 そして、
 比較される場所は、
 いつの間にか、
 世界の中心になる。

 彼女は、
 中心に立つつもりはない。

 だが、
 離れるつもりもない。

 ただ、
 同じ場所で、
 同じやり方を、
 続けるだけ。

 それだけで、
 基準は、
 勝手に出来上がっていく。

 ルナ・ルクスは、
 紅茶の最後の一口を飲み干し、
 小さく呟いた。

「……本当に。
 貴族社会とは、
 厄介ですわね」

 だが、
 その厄介さの中で、
 何もしないという選択が、
 いつの間にか、
 最も重い影響力を持ってしまった。

 それが、
 第27話の時点での、
 静かな現実だった。
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