婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ

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第14話 白い結婚に、ひびが入る音

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第14話 白い結婚に、ひびが入る音

 夜のシュタインベルク公国は、ひどく静かだった。

 執務棟の灯りが落ち、城内に残る音は、遠くの衛兵の足音と、風に揺れる旗の擦れる音だけ。
 その静寂の中で、セラフィナは自室の窓辺に立っていた。

(……少し、疲れましたわね)

 身体ではなく、思考が。

 最近、判断の連続だった。
 交易、物流、外交の再編。
 すべて順調で、成果も出ている。

 だからこそ――
 気づかないふりをしていた違和感が、浮き上がってくる。

 コン、コン。

 控えめなノック音。

「……はい」

 扉を開けたのは、カルヴァスだった。

 いつもの冷静な表情。
 だが、どこか迷いを含んだ視線。

「今、少し時間はあるか」

「ええ。どうぞ」

 彼は部屋に入り、扉を閉める。
 その距離が、いつもより近く感じられた。

「今日の会議だが……」

「南方港の件でしたら、問題なく進行しています」

「それではない」

 カルヴァスは、短く否定する。

 しばしの沈黙。

 彼は、言葉を選んでいるようだった。

「……君が、無理をしていないか、それを確認したかった」

 予想外の言葉に、セラフィナは一瞬、言葉を失う。

「私は、大丈夫ですわ」

「そうは見えない」

 即答だった。

「君は、常に“大丈夫だ”と言う」

 それは、責める口調ではない。
 ただの事実確認。

「それが、君の強さだということも、理解している。
 だが――」

 カルヴァスは、そこで言葉を切った。

「……それに甘えているのではないか、とも思う」

 セラフィナは、静かに息を吸った。

(ああ……)

 見抜かれている。

「白い結婚ですもの」

 彼女は、穏やかな声で言った。

「互いに干渉しない。
 それが、最初の約束でした」

「覚えている」

 カルヴァスは頷く。

「だが、それは“無関心”という意味ではないはずだ」

 その言葉が、胸に落ちる。

 セラフィナは、視線を逸らした。

「……カルヴァス様」

「呼び捨てでいい」

 一瞬、彼女は言葉に詰まる。

「……カルヴァス」

「それでいい」

 その距離が、また一歩近づいた気がした。

「私は、あなたに感謝しています」

 セラフィナは、正直に言った。

「ここでは、能力を正当に評価される。
 判断を否定されない。
 それだけで、十分でした」

「“でした”?」

 カルヴァスの声が、わずかに低くなる。

 セラフィナは、意を決したように顔を上げた。

「……十分だった、はずです」

 沈黙。

 白い結婚は、安全だった。
 期待も、失望もない。

 けれど。

「最近、あなたが私を“協力者”以上として扱っていることに、気づいています」

 カルヴァスは、否定しなかった。

「それが、揺らぎです」

 セラフィナは、淡々と続ける。

「白い結婚という前提に、ひびが入っている」

「……それを、どう思う」

 問いは、重かった。

 答え次第で、何かが変わる。

 セラフィナは、しばらく考え――
 正直に答えた。

「怖いですわ」

 その言葉に、カルヴァスはわずかに目を見開く。

「でも」

 彼女は続ける。

「不快では、ありません」

 それは、拒絶ではない。

 カルヴァスは、深く息を吐いた。

「……踏み込むつもりはない」

「え?」

「少なくとも、今は」

 彼は、静かに言った。

「君が望まない限り、白い結婚は白いままだ」

 その言葉に、安堵と――
 なぜか、わずかな寂しさが混じる。

「ただし」

 カルヴァスは、視線を逸らさずに続ける。

「“距離を保つ努力”は、やめる」

 それは、宣言だった。

 近づくことを、否定しない。
 遠ざかることを、選ばない。

「……ずるいですわね」

 セラフィナは、思わず苦笑した。

「そうかもしれない」

 彼は、珍しく自嘲気味に答える。

 二人の間に、静かな沈黙が落ちる。

 だが、それは居心地が悪くない。

「今夜は、休め」

 カルヴァスは、部屋を出る前に言った。

「明日は、君でなければならない仕事はない」

 それは、命令ではない。
 配慮だった。

 扉が閉まったあと、セラフィナはその場に立ち尽くす。

(……ひび、ですか)

 白い結婚は、まだ白い。

 けれど、その表面に、確かに入った小さなひびは――
 もう、なかったことにはできない。

 それが壊れる兆しなのか、
 別の色が入り込む前触れなのか。

 答えは、まだ先だ。

 だが一つだけ、はっきりしている。

 この関係はもう、
 最初に定義した言葉だけでは、収まらなくなっている。


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