15 / 39
第15話 要求は、交渉ではない
しおりを挟む
第15話 要求は、交渉ではない
その書簡は、朝一番で公爵邸に届いた。
装飾は控えめ。
封蝋も、形式通り。
だが、差出人を見た瞬間、執務室の空気がわずかに張り詰める。
「……王国から、ですか」
セラフィナは、机の向かいに立つ使者を一瞥し、淡々と言った。
「あくまで“要請”とのことですが」
使者の声には、どこか含みがあった。
カルヴァスは書簡を受け取り、無言で封を切る。
中身に目を通した、その次の瞬間。
――彼の表情が、完全に冷えた。
「……ふむ」
短い一言。
それだけで、内容の重さが伝わる。
カルヴァスは書簡を机に置き、セラフィナへ視線を向けた。
「読むか」
「ええ」
彼女は、静かに頷いた。
文章は、丁寧に整えられていた。
言葉遣いも、礼を失してはいない。
――だが。
『シュタインベルク公国におかれては、王国経由の交易再開を速やかに検討されたい。
加えて、貴国の政策立案に関与する人材の一部を、王国へ一時的に派遣することを要請する』
セラフィナは、そこで視線を止めた。
「……人材の派遣、ですか」
「ああ」
カルヴァスの声は低い。
「名は出ていないが、対象は明白だ」
セラフィナは、苦笑に近い微笑を浮かべた。
「私、ですわね」
否定の余地はない。
王国は、ようやく気づいたのだ。
失ったものの“正体”に。
だが、その気づきは――遅すぎた。
「これは、交渉ではありません」
セラフィナは、静かに言った。
「“要求”です」
「同意する」
カルヴァスは、即答した。
「立場を理解していない。
こちらが、すでに選択を終えたという事実を」
王国は、まだ“対等”だと思っている。
あるいは――
“上位”であると。
「返答は、どうなさいますか」
セラフィナの問いに、カルヴァスは一瞬も迷わなかった。
「拒否だ」
「理由は?」
「不要だ」
だが、セラフィナは首を振る。
「いいえ。理由は、必要です」
彼女は、机上の書簡に指を置いた。
「王国は、“拒否された理由”を理解できていません。
ここで曖昧にすれば、次は“命令”になります」
カルヴァスは、彼女を見つめた。
「……書けるか」
「ええ」
セラフィナは、即座に筆を取った。
文章は、冷静で、正確で、徹底的に礼儀正しい。
『貴国の要請について検討した結果、現時点での交易再開および人材派遣はいずれも見送る判断となりました。
本件は、貴国の要請内容が“協議”ではなく“前提条件の提示”である以上、両国の利益に資する形での合意形成が困難であるためです』
さらに、こう続けた。
『なお、当該人材は現在、当公国の政策運営に不可欠な役割を担っており、代替は存在しません』
――完全な拒否。
だが、感情は一切混じっていない。
カルヴァスは、その文面を読み、静かに頷いた。
「送れ」
その日の午後。
王城では、再び会議が開かれていた。
書簡を手にしたアルノルトは、顔色を変えずに読み終え――
次の瞬間、机を強く叩いた。
「……馬鹿にしているのか!」
「殿下!」
重臣たちが慌てて声を上げる。
「“代替は存在しない”だと?
人は、いくらでもいる!」
「殿下」
宰相が、低い声で言った。
「それが、間違いなのです」
アルノルトは、言葉を失う。
「彼女は、“人材”ではありません。
“仕組み”そのものだったのです」
その指摘に、会議室が静まり返る。
王国は、ようやく理解し始めていた。
――取り返しがつかない、と。
その頃。
シュタインベルク公国では、セラフィナが執務を終え、廊下を歩いていた。
「……王国は、諦めませんわね」
隣を歩くカルヴァスに、彼女は小さく言う。
「当然だ。
自分たちの失策を、認められない」
「では、次は?」
カルヴァスは、足を止め、彼女を見た。
「次は、“条件のない懇願”か、
“責任転嫁”だ」
セラフィナは、静かに息を吐いた。
「どちらにしても、こちらの選択は変わりません」
「ああ」
カルヴァスは、はっきりと言った。
「君は、ここにいる」
その言葉は、確認だった。
命令でも、束縛でもない。
セラフィナは、一瞬だけ迷い――
そして、頷いた。
「ええ。
私は、ここにいます」
白い結婚。
合理的な関係。
その前提は、まだ崩れていない。
だが、王国が突きつけた“要求”は、
皮肉にも、ひとつの事実を明確にした。
――彼女は、もう“返してもらえる存在”ではない。
それに気づいたとき、
王国が失ったものは、もはや数字では測れないものになっていた。
-
その書簡は、朝一番で公爵邸に届いた。
装飾は控えめ。
封蝋も、形式通り。
だが、差出人を見た瞬間、執務室の空気がわずかに張り詰める。
「……王国から、ですか」
セラフィナは、机の向かいに立つ使者を一瞥し、淡々と言った。
「あくまで“要請”とのことですが」
使者の声には、どこか含みがあった。
カルヴァスは書簡を受け取り、無言で封を切る。
中身に目を通した、その次の瞬間。
――彼の表情が、完全に冷えた。
「……ふむ」
短い一言。
それだけで、内容の重さが伝わる。
カルヴァスは書簡を机に置き、セラフィナへ視線を向けた。
「読むか」
「ええ」
彼女は、静かに頷いた。
文章は、丁寧に整えられていた。
言葉遣いも、礼を失してはいない。
――だが。
『シュタインベルク公国におかれては、王国経由の交易再開を速やかに検討されたい。
加えて、貴国の政策立案に関与する人材の一部を、王国へ一時的に派遣することを要請する』
セラフィナは、そこで視線を止めた。
「……人材の派遣、ですか」
「ああ」
カルヴァスの声は低い。
「名は出ていないが、対象は明白だ」
セラフィナは、苦笑に近い微笑を浮かべた。
「私、ですわね」
否定の余地はない。
王国は、ようやく気づいたのだ。
失ったものの“正体”に。
だが、その気づきは――遅すぎた。
「これは、交渉ではありません」
セラフィナは、静かに言った。
「“要求”です」
「同意する」
カルヴァスは、即答した。
「立場を理解していない。
こちらが、すでに選択を終えたという事実を」
王国は、まだ“対等”だと思っている。
あるいは――
“上位”であると。
「返答は、どうなさいますか」
セラフィナの問いに、カルヴァスは一瞬も迷わなかった。
「拒否だ」
「理由は?」
「不要だ」
だが、セラフィナは首を振る。
「いいえ。理由は、必要です」
彼女は、机上の書簡に指を置いた。
「王国は、“拒否された理由”を理解できていません。
ここで曖昧にすれば、次は“命令”になります」
カルヴァスは、彼女を見つめた。
「……書けるか」
「ええ」
セラフィナは、即座に筆を取った。
文章は、冷静で、正確で、徹底的に礼儀正しい。
『貴国の要請について検討した結果、現時点での交易再開および人材派遣はいずれも見送る判断となりました。
本件は、貴国の要請内容が“協議”ではなく“前提条件の提示”である以上、両国の利益に資する形での合意形成が困難であるためです』
さらに、こう続けた。
『なお、当該人材は現在、当公国の政策運営に不可欠な役割を担っており、代替は存在しません』
――完全な拒否。
だが、感情は一切混じっていない。
カルヴァスは、その文面を読み、静かに頷いた。
「送れ」
その日の午後。
王城では、再び会議が開かれていた。
書簡を手にしたアルノルトは、顔色を変えずに読み終え――
次の瞬間、机を強く叩いた。
「……馬鹿にしているのか!」
「殿下!」
重臣たちが慌てて声を上げる。
「“代替は存在しない”だと?
人は、いくらでもいる!」
「殿下」
宰相が、低い声で言った。
「それが、間違いなのです」
アルノルトは、言葉を失う。
「彼女は、“人材”ではありません。
“仕組み”そのものだったのです」
その指摘に、会議室が静まり返る。
王国は、ようやく理解し始めていた。
――取り返しがつかない、と。
その頃。
シュタインベルク公国では、セラフィナが執務を終え、廊下を歩いていた。
「……王国は、諦めませんわね」
隣を歩くカルヴァスに、彼女は小さく言う。
「当然だ。
自分たちの失策を、認められない」
「では、次は?」
カルヴァスは、足を止め、彼女を見た。
「次は、“条件のない懇願”か、
“責任転嫁”だ」
セラフィナは、静かに息を吐いた。
「どちらにしても、こちらの選択は変わりません」
「ああ」
カルヴァスは、はっきりと言った。
「君は、ここにいる」
その言葉は、確認だった。
命令でも、束縛でもない。
セラフィナは、一瞬だけ迷い――
そして、頷いた。
「ええ。
私は、ここにいます」
白い結婚。
合理的な関係。
その前提は、まだ崩れていない。
だが、王国が突きつけた“要求”は、
皮肉にも、ひとつの事実を明確にした。
――彼女は、もう“返してもらえる存在”ではない。
それに気づいたとき、
王国が失ったものは、もはや数字では測れないものになっていた。
-
0
あなたにおすすめの小説
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
【完結】恋は、終わったのです
楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。
今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。
『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』
身長を追い越してしまった時からだろうか。
それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。
あるいは――あの子に出会った時からだろうか。
――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵令息から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる