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第百七十九話
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ギリリと拳が握られる。
その怒りは不気味な会話を繰り広げる二人だけではない、己自身へも向かっていた。
初め出会ったときは、どこか二人と似た雰囲気を持つ少女だと思っていた。
しかし今日隣で笑う人物が、明日には物言わぬ屍となっている世界、それが探索者という、自由を得た代償として背後で死神が肩に手を掛ける仕事。
死にに行くようなことを止めることあっても、一から十まで一人一人全ての面倒を見ることなどできない。
死ぬか、或いは相応の恐怖を受け探索者なぞやっていられないと逃げるか。
剛力はどちらにせよ長くはもたないと考えていた。
冷酷に思われるかもしれない、だが探索者になるということはそういう事だ。
特殊な技術や経験なく就くことが出来、誰しも大金を手にする機会が与えられるには、相応の危険と犠牲が求められる。
ただそれだけの事。
しかし少女は当初の予想を覆し、長らく探索者を続けることとなる。
どうやら孤児院から出てきて以降住む家もなく、ネットカフェで寝泊まりをしているらしいと聞いたとき、鍵一が彼女を保護したらどうかと切り出して来たのには驚いた。
わずか数日で彼女と対話を終え、前日まで拒絶されていたにも拘らず、次の日には知人程度の関係を築いたとのこと。
一見すると極度の人見知りだが、接してみればひどく素直であり、恐らく元来の物である人懐っこさが顔を覗かせる。
はっきり言って歪な精神構造は、きっと時として彼女が零す複雑な家庭状況によって作り上げられたものだろう。
六年前父親が消え、母親の性格が豹変した。
憎々しげに語る内容は剛力にとって苗字からしても思い当たることがあり、だが切り出すことは今日まで出来ずにいる。
そして先日遂に、長らく抱いていた疑問が真実へと変わった。
ついアリアの名前を出してしまった剛力へ、彼女は『自分の母』だと頷いたのだ。
これでも多様な経験を経て、滅多なことでは動揺しないと自負している。
しかし今しがた突き付けられた真実には、久しく感じていなかった感情を掻き立てられた。
突如として姿を消した奏、彼はどうやら剛力へ何かの真実を隠すため、目の前の二人によって口封じをされてしまったらしい。
詳しい理由は未だに不明なところが多く、疑問点は尽きることなく噴出する。
だがしかし、少なくとも己が奏やアリアを巻き込まなければ、あの少女はまだ幸せな道を歩めたのではないか。
わざわざ探索者になるという過酷な道を歩む必要もなく、少女が少女として振舞うことの出来る平穏な日々を暮らすことが出来ただろう。
知る必要のない真実を押し付け、重要な仕事を押し付け、更には彼女の両親が消えた遠因すらも己が理由だったとは。
彼女には謝るべきことがまた一つ出来てしまった。師匠というにはあまりに情けない現状へ剛力は自重げに笑い、メモ帳へ書き込む手を止めカメラを仕舞った。
先ほどまでの物騒な話とは一転して、二人はたわいのない日常事を交わしている。
人気の少ない夜の港、加えて異世界の言語故他者に知られる恐れもないと気を抜いているのだろう、ここで全てを聞いている剛力がいることには欠片も気付いていない。
剣崎へ手渡す物的証拠は揃った。
相手にも悟られていない現状は大きなアドバンテージ、先だって情報の収集と攻勢を掛けることが出来れば、例え相手の裏に巨大な影が蠢いていようと手段はある。
――しかしもしすべてを話せば、フォリアには嫌われてしまうだろうか。
剛力の心に訪れる一抹の寂寥感。
誰しも他者から好んで嫌われたいものなどいない。剛力も当然人の子であり、師として慕ってくる少女から憎まれてしまうことが心地いい訳もない。
しかし全ては己の行動から導かれた現状。むしろ真実を知った彼女が怒り、探索者を辞め剛力の下から去ればそれはそれで良いことなのかもしれない。
子供が命を懸けて戦う世界なぞ碌なものではない、親元で笑っているのが一番だ……なんて、Dランク以下とはいえ、ダンジョン崩壊の処理を押し付けている自分が言うことではないか。
情けない己へ呆れながら立ち上がり周囲を見渡す。
儚く命を落とす協力者たち、何の情報もつかむことの出来なかった数年――しかし無力感に呻き諦観に支配される日々は終わった。
戦いだ。
真の戦いは今から始まる。何も知ることなく世界から消えて行った人々、欲からダカールの手に掛けられた者、全ての無念を果たす為、自分の些細な感情へ構っている暇はない。
「クレスト様、後ろへ!」
誰かが息を呑んだ。
突然叫んだクラリスの声に驚き、コンテナの後ろから小さな影が転がり出る。
少年だ。
メガネをかけた、まだ中学生にも至らないであろう少年がコンテナの影に隠れ、二人の話を聞いていたらしい。
意味も分からず、しかし不穏な雰囲気を察したらしく、慌てて背を向け逃げ出そうとする彼。
しかしクラリスがどこからか取り出した巨大な杖で地面を突くと、コンクリートから巨大な根が這い出して、あっという間に彼の全身を絡め縛ってしまった。
「子供だよ。こんな夜遅くに、きっと塾からの帰宅なのだろうね」
「通りすがるならまだしも、じっと話を聞いていたなんて……何があるか分かりません、消しましょう」
目の前で繰り広げられる奇怪な言語での対話。
未だに彼は何が起こったのか分からず目を白黒させ、両手を縛り付ける何かを外そうともがいている。
しかし会話の内容を理解してしまえるにとって、不穏では済まされない会話に足が縛り付けられた。
「君は相変わらず心配性だねぇ。私としては別に殺す必要もないと思うけどね、何話してるか理解も出来ないだろうからさ。ただ、君がどうしても気になるというのなら……まあ、好きにすればいいんじゃないかな?」
ダカールは大げさに手を広げ、まるでステージに立つミュージカル俳優が観客へ拍手を希うように叫んだ。
「どうせこの世界には80億、おおっと、今は25億だったかな? どちらにせよ数えきれないほど人間がいるんだから、一人位減ったって誰も気にしやしないさ!」
「クレスト様、あまり叫ぶとまた人が来るかもしれません」
「おっとすまない。普段物静かなことばかりしているとね、時としてこう叫びたくなってしまうものなんだ」
――見捨てろ。
今自分が前に出れば全ての優位点が失われかねない。
今までさんざん多くの探索者達を見送ってきたじゃないか。圧倒的死亡率を誇り、大概その先に待つのは絶望だけだと分かっていながら、彼らを止めずに見送ってきたのは剛力自身。
「では先月試作品の完成した概念戎具の一つ、モロモアスの実験も兼ねてみましょう」
「おお、漸く出来たのかい!」
どこからか小さな黒い石ころらしきものを取り出し、ダカールの手へと乗せるカナリア。
彼は街灯へ翳し、しばし石の内部で乱反射する虹の輝きを堪能すると、満面の笑みを浮かべ少年の下へと歩いて行った。
「た……たすけて……!」
「すまないね、少年。君には消えて貰わないといけないんだ……でも大丈夫、君の死ぬ姿は最期まで私が見届けよう。だから悲しむ必要はない、人生で一番悲しいのは誰にも知られず死ぬことだからねぇ」
少年にも伝わるよう日本語を使い、ダカールは優しい声色で彼の頬を撫でた。
ダンジョンが完全に崩壊し、街へモンスターが溢れたことが何度かあった。
だが、きっと救うことも出来たはずの命がまだいるにも限らず、剛力は世界の消滅から自分の身を守るため逃げたことが何度もある。
今さら少年一人見捨てたところで背負う罪の重さは大して変わらないだろう。
それよりも多くの人数を救うため、今は彼を見捨ててここを立ち去り、情報を皆の下へ持ち帰らなくてはいけない。
後悔はその後ですればいいじゃないか。
「これをしっかり握っておくんだよ……ふ、はっはっは! そもそもこんな状況じゃ握るなんて無理だったか、これは失敬! 私のハンカチに包んで手に結んでおいてあげよう、これなら握らずともしっかり持って置けるからね!」
震える喉から絞り出される声、必死に藻掻き突き出される腕。
全てを理解しているわけではないだろう。ただ少なくとも自分が悪いわけでもなく、ちょっとした好奇心で異国の会話を聞いていただけで、理不尽にも殺されそうになっている事だけは彼にも理解できているはずだ。
彼は今、誰かに知られることもなく、唾棄すべき悪意によって世界から忘れ去られようとしている。
――俺は、また誰かを……っ!
躊躇いは、あった。
きっと後悔するだろうという確信もあった。
「ぱ……パパ! ママッ! 誰かァッ! たっ、助けてェっ!」
「うおおおおおッ! ダカァァァァァルッ!」
だが剛力には、魂の叫びを見捨てることはできなかった。
その怒りは不気味な会話を繰り広げる二人だけではない、己自身へも向かっていた。
初め出会ったときは、どこか二人と似た雰囲気を持つ少女だと思っていた。
しかし今日隣で笑う人物が、明日には物言わぬ屍となっている世界、それが探索者という、自由を得た代償として背後で死神が肩に手を掛ける仕事。
死にに行くようなことを止めることあっても、一から十まで一人一人全ての面倒を見ることなどできない。
死ぬか、或いは相応の恐怖を受け探索者なぞやっていられないと逃げるか。
剛力はどちらにせよ長くはもたないと考えていた。
冷酷に思われるかもしれない、だが探索者になるということはそういう事だ。
特殊な技術や経験なく就くことが出来、誰しも大金を手にする機会が与えられるには、相応の危険と犠牲が求められる。
ただそれだけの事。
しかし少女は当初の予想を覆し、長らく探索者を続けることとなる。
どうやら孤児院から出てきて以降住む家もなく、ネットカフェで寝泊まりをしているらしいと聞いたとき、鍵一が彼女を保護したらどうかと切り出して来たのには驚いた。
わずか数日で彼女と対話を終え、前日まで拒絶されていたにも拘らず、次の日には知人程度の関係を築いたとのこと。
一見すると極度の人見知りだが、接してみればひどく素直であり、恐らく元来の物である人懐っこさが顔を覗かせる。
はっきり言って歪な精神構造は、きっと時として彼女が零す複雑な家庭状況によって作り上げられたものだろう。
六年前父親が消え、母親の性格が豹変した。
憎々しげに語る内容は剛力にとって苗字からしても思い当たることがあり、だが切り出すことは今日まで出来ずにいる。
そして先日遂に、長らく抱いていた疑問が真実へと変わった。
ついアリアの名前を出してしまった剛力へ、彼女は『自分の母』だと頷いたのだ。
これでも多様な経験を経て、滅多なことでは動揺しないと自負している。
しかし今しがた突き付けられた真実には、久しく感じていなかった感情を掻き立てられた。
突如として姿を消した奏、彼はどうやら剛力へ何かの真実を隠すため、目の前の二人によって口封じをされてしまったらしい。
詳しい理由は未だに不明なところが多く、疑問点は尽きることなく噴出する。
だがしかし、少なくとも己が奏やアリアを巻き込まなければ、あの少女はまだ幸せな道を歩めたのではないか。
わざわざ探索者になるという過酷な道を歩む必要もなく、少女が少女として振舞うことの出来る平穏な日々を暮らすことが出来ただろう。
知る必要のない真実を押し付け、重要な仕事を押し付け、更には彼女の両親が消えた遠因すらも己が理由だったとは。
彼女には謝るべきことがまた一つ出来てしまった。師匠というにはあまりに情けない現状へ剛力は自重げに笑い、メモ帳へ書き込む手を止めカメラを仕舞った。
先ほどまでの物騒な話とは一転して、二人はたわいのない日常事を交わしている。
人気の少ない夜の港、加えて異世界の言語故他者に知られる恐れもないと気を抜いているのだろう、ここで全てを聞いている剛力がいることには欠片も気付いていない。
剣崎へ手渡す物的証拠は揃った。
相手にも悟られていない現状は大きなアドバンテージ、先だって情報の収集と攻勢を掛けることが出来れば、例え相手の裏に巨大な影が蠢いていようと手段はある。
――しかしもしすべてを話せば、フォリアには嫌われてしまうだろうか。
剛力の心に訪れる一抹の寂寥感。
誰しも他者から好んで嫌われたいものなどいない。剛力も当然人の子であり、師として慕ってくる少女から憎まれてしまうことが心地いい訳もない。
しかし全ては己の行動から導かれた現状。むしろ真実を知った彼女が怒り、探索者を辞め剛力の下から去ればそれはそれで良いことなのかもしれない。
子供が命を懸けて戦う世界なぞ碌なものではない、親元で笑っているのが一番だ……なんて、Dランク以下とはいえ、ダンジョン崩壊の処理を押し付けている自分が言うことではないか。
情けない己へ呆れながら立ち上がり周囲を見渡す。
儚く命を落とす協力者たち、何の情報もつかむことの出来なかった数年――しかし無力感に呻き諦観に支配される日々は終わった。
戦いだ。
真の戦いは今から始まる。何も知ることなく世界から消えて行った人々、欲からダカールの手に掛けられた者、全ての無念を果たす為、自分の些細な感情へ構っている暇はない。
「クレスト様、後ろへ!」
誰かが息を呑んだ。
突然叫んだクラリスの声に驚き、コンテナの後ろから小さな影が転がり出る。
少年だ。
メガネをかけた、まだ中学生にも至らないであろう少年がコンテナの影に隠れ、二人の話を聞いていたらしい。
意味も分からず、しかし不穏な雰囲気を察したらしく、慌てて背を向け逃げ出そうとする彼。
しかしクラリスがどこからか取り出した巨大な杖で地面を突くと、コンクリートから巨大な根が這い出して、あっという間に彼の全身を絡め縛ってしまった。
「子供だよ。こんな夜遅くに、きっと塾からの帰宅なのだろうね」
「通りすがるならまだしも、じっと話を聞いていたなんて……何があるか分かりません、消しましょう」
目の前で繰り広げられる奇怪な言語での対話。
未だに彼は何が起こったのか分からず目を白黒させ、両手を縛り付ける何かを外そうともがいている。
しかし会話の内容を理解してしまえるにとって、不穏では済まされない会話に足が縛り付けられた。
「君は相変わらず心配性だねぇ。私としては別に殺す必要もないと思うけどね、何話してるか理解も出来ないだろうからさ。ただ、君がどうしても気になるというのなら……まあ、好きにすればいいんじゃないかな?」
ダカールは大げさに手を広げ、まるでステージに立つミュージカル俳優が観客へ拍手を希うように叫んだ。
「どうせこの世界には80億、おおっと、今は25億だったかな? どちらにせよ数えきれないほど人間がいるんだから、一人位減ったって誰も気にしやしないさ!」
「クレスト様、あまり叫ぶとまた人が来るかもしれません」
「おっとすまない。普段物静かなことばかりしているとね、時としてこう叫びたくなってしまうものなんだ」
――見捨てろ。
今自分が前に出れば全ての優位点が失われかねない。
今までさんざん多くの探索者達を見送ってきたじゃないか。圧倒的死亡率を誇り、大概その先に待つのは絶望だけだと分かっていながら、彼らを止めずに見送ってきたのは剛力自身。
「では先月試作品の完成した概念戎具の一つ、モロモアスの実験も兼ねてみましょう」
「おお、漸く出来たのかい!」
どこからか小さな黒い石ころらしきものを取り出し、ダカールの手へと乗せるカナリア。
彼は街灯へ翳し、しばし石の内部で乱反射する虹の輝きを堪能すると、満面の笑みを浮かべ少年の下へと歩いて行った。
「た……たすけて……!」
「すまないね、少年。君には消えて貰わないといけないんだ……でも大丈夫、君の死ぬ姿は最期まで私が見届けよう。だから悲しむ必要はない、人生で一番悲しいのは誰にも知られず死ぬことだからねぇ」
少年にも伝わるよう日本語を使い、ダカールは優しい声色で彼の頬を撫でた。
ダンジョンが完全に崩壊し、街へモンスターが溢れたことが何度かあった。
だが、きっと救うことも出来たはずの命がまだいるにも限らず、剛力は世界の消滅から自分の身を守るため逃げたことが何度もある。
今さら少年一人見捨てたところで背負う罪の重さは大して変わらないだろう。
それよりも多くの人数を救うため、今は彼を見捨ててここを立ち去り、情報を皆の下へ持ち帰らなくてはいけない。
後悔はその後ですればいいじゃないか。
「これをしっかり握っておくんだよ……ふ、はっはっは! そもそもこんな状況じゃ握るなんて無理だったか、これは失敬! 私のハンカチに包んで手に結んでおいてあげよう、これなら握らずともしっかり持って置けるからね!」
震える喉から絞り出される声、必死に藻掻き突き出される腕。
全てを理解しているわけではないだろう。ただ少なくとも自分が悪いわけでもなく、ちょっとした好奇心で異国の会話を聞いていただけで、理不尽にも殺されそうになっている事だけは彼にも理解できているはずだ。
彼は今、誰かに知られることもなく、唾棄すべき悪意によって世界から忘れ去られようとしている。
――俺は、また誰かを……っ!
躊躇いは、あった。
きっと後悔するだろうという確信もあった。
「ぱ……パパ! ママッ! 誰かァッ! たっ、助けてェっ!」
「うおおおおおッ! ダカァァァァァルッ!」
だが剛力には、魂の叫びを見捨てることはできなかった。
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