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第十九話 契約
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国王が倒れたという報を聞き、フェデリカは王都に急いだ。王宮に参内すると、いつもより忙しなく、重苦しい雰囲気に包まれている。
ご令嬢なら、となぜかきらきらした眼差しを向けられ、王弟の部屋に通された。はて、と思いつつ入室したフェデリカは息を呑む。
「誰も通すなと――アンヌンツィアータ令嬢? なぜここに」
王弟は最後に見た時よりも随分窶れていた。随分寝ていないのか、目の下の隈が濃い。
「......陛下が倒れたとアルディーニ伯爵より聞き及びました。参内が遅くなり、申し訳ございません」
「いや、私も知らせるのが遅くなったからな」
すまない、と謝罪されフェデリカは首を横に振った。本来ならばフェデリカが王都にいて、共に対処に当たるべきなのだ。罪悪感が波のように押し寄せてくる。
「陛下のご容体は」
「今は小康状態とのことだ。しかし、またいつ倒れるかも分からぬと」
王弟の声は抑揚を欠いていた。
「ひと月後には貴族議会が招集される予定だ。議題は陛下の退位と私の即位についてとなるだろう」
「......アンヌンツィアータ家は投票権を放棄いたします」
「それがいい。囃し立てられても困るだろう――いずれにせよ、貴族議会で議題が可決されたら、私は王となる」
「......はい」
休学手続きをしてくるべきだったかもしれない。どのタイミングで手続きに行くべきかフェデリカが悩んでいると、王弟は薄く笑った。
「もしそうなれば、令嬢との婚約を解消しよう」
「――え?」
フェデリカは目を瞬いた。
「何故ですか?」
「......君は研究し続けることが望みだろう?」
「それは勿論です。しかし、一度交わした契約を違えるつもりはありません」
フェデリカが言い切ると、王弟は目を見開いた。
「私と婚約を結ぶにあたって、殿下はすべての雑事を引き受けてくださいました。その上研究継続も認めていただいたのに、ここで婚約を解消すれば、私がただのお騒がせ役になるではありませんか。神殿との関係も悪化するでしょうし」
「お騒がせ役......」
「婚姻の無効で心を痛めて病を得ただとか、王妃が仕事をしなさ過ぎて過労で倒れただとか。私がいる方が、幾らか殿下の望む未来に近づくことが出来ます」
「それは......だが、君の研究が中断されてしまうだろう」
「そうですね。しかし論文を読んだり、簡易的な実験を行うことは可能です。欲を言えば、王立研究所の設備をお借りしたいですが......兎も角、私のことは大丈夫です」
研究を中断しないといけないのは辛い。しかし、契約を違えることは、信頼を損なうということだ。研究者の間では、一度約束を違えた人間の信用度は地の底まで落ちる。研究者の端くれとして、そのような人間と同じ轍を踏むつもりはなかった。
「これまでは殿下のお言葉に甘え政務も肩代わりしていただきましたが、次期王妃としての職務を果たします。何なりとお申し付けください」
「陛下の一存でなった婚約に、そこまで縛られる必要はない」
「これは陛下の命令ではなく、私とあなたの契約です」
しまった、殿下ではなくあなたと呼びかけてしまった。
フェデリカが内心焦っていると、王弟の喉からくぐもった声が漏れた。
「......ほんとうに、いいのか?」
フェデリカは寸分の躊躇いもなく頷いた。
もし他の人が相手であれば迷ったかもしれないが、王弟はこの3か月、確かに契約を遵守してくれたのだ。フェデリカが王宮のことに煩わされず快く研究に取り組めたのは、間違いなく彼の尽力のおかげである。
「はい。殿下の妻になるとお約束いたしましたので」
「婚姻を無効にした後は......再婚できるか定かでない。私と白い結婚を貫く以上、君は生涯子を持つことができないだろう。世で言われている女としての喜びを得ることはできないかもしれない」
「構いません。私の幸せはとうの昔に自分で定めました」
そうか、と王弟は二度呟いた。
「それよりも、殿下、睡眠を取られていますか」
「へ?」
「医学専攻の友人から聞いた話ですが、人間は眠らないと脳が通常以下の働きしか出来なくなるようです。私にできる書類があれば代わりにやっておきますので、早く寝てください」
「あ、はい」
大人しく寝所に向かった王弟を見送り、フェデリカは託された書類に向き合った。
***
レナートは寝台に横たわり、天蓋越しに幾何学模様を眺めた。
国王が倒れたのは5日前のことだった。レナートは貴族たちの対応に追われ、殆ど眠れていなかった。陛下はご無事か、容体は、退位されるのか。ひっきりなしの問いかけはレナートの心身を摩耗させた。実際医師にもご覚悟を、と告げられており、念の為退位と即位の準備も行っていた。
フェデリカがやってきたのはそんな折である。研究熱心な彼女のことだから、婚約解消を伝えれば喜ぶだろうと思っていたのに、返ってきたのは困惑だ。
――一度交わした契約を違えるつもりはありません。
――私とあなたの契約です。
――殿下の妻になるとお約束いたしましたので。
――それより、睡眠を取られていますか。
フェデリカの真顔を思い出し、レナートは思わず笑ってしまった。自分の婚約話をそれ、のひと言で片付けてしまうフェデリカがおかしかった。
彼女ならレナートの体のことを知っても、それがどうしたんですか?と言いそうだ。眠気に満ちた頭でそんなことを思い、そのまま意識が落ちた。
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国王が倒れたという報を聞き、フェデリカは王都に急いだ。王宮に参内すると、いつもより忙しなく、重苦しい雰囲気に包まれている。
ご令嬢なら、となぜかきらきらした眼差しを向けられ、王弟の部屋に通された。はて、と思いつつ入室したフェデリカは息を呑む。
「誰も通すなと――アンヌンツィアータ令嬢? なぜここに」
王弟は最後に見た時よりも随分窶れていた。随分寝ていないのか、目の下の隈が濃い。
「......陛下が倒れたとアルディーニ伯爵より聞き及びました。参内が遅くなり、申し訳ございません」
「いや、私も知らせるのが遅くなったからな」
すまない、と謝罪されフェデリカは首を横に振った。本来ならばフェデリカが王都にいて、共に対処に当たるべきなのだ。罪悪感が波のように押し寄せてくる。
「陛下のご容体は」
「今は小康状態とのことだ。しかし、またいつ倒れるかも分からぬと」
王弟の声は抑揚を欠いていた。
「ひと月後には貴族議会が招集される予定だ。議題は陛下の退位と私の即位についてとなるだろう」
「......アンヌンツィアータ家は投票権を放棄いたします」
「それがいい。囃し立てられても困るだろう――いずれにせよ、貴族議会で議題が可決されたら、私は王となる」
「......はい」
休学手続きをしてくるべきだったかもしれない。どのタイミングで手続きに行くべきかフェデリカが悩んでいると、王弟は薄く笑った。
「もしそうなれば、令嬢との婚約を解消しよう」
「――え?」
フェデリカは目を瞬いた。
「何故ですか?」
「......君は研究し続けることが望みだろう?」
「それは勿論です。しかし、一度交わした契約を違えるつもりはありません」
フェデリカが言い切ると、王弟は目を見開いた。
「私と婚約を結ぶにあたって、殿下はすべての雑事を引き受けてくださいました。その上研究継続も認めていただいたのに、ここで婚約を解消すれば、私がただのお騒がせ役になるではありませんか。神殿との関係も悪化するでしょうし」
「お騒がせ役......」
「婚姻の無効で心を痛めて病を得ただとか、王妃が仕事をしなさ過ぎて過労で倒れただとか。私がいる方が、幾らか殿下の望む未来に近づくことが出来ます」
「それは......だが、君の研究が中断されてしまうだろう」
「そうですね。しかし論文を読んだり、簡易的な実験を行うことは可能です。欲を言えば、王立研究所の設備をお借りしたいですが......兎も角、私のことは大丈夫です」
研究を中断しないといけないのは辛い。しかし、契約を違えることは、信頼を損なうということだ。研究者の間では、一度約束を違えた人間の信用度は地の底まで落ちる。研究者の端くれとして、そのような人間と同じ轍を踏むつもりはなかった。
「これまでは殿下のお言葉に甘え政務も肩代わりしていただきましたが、次期王妃としての職務を果たします。何なりとお申し付けください」
「陛下の一存でなった婚約に、そこまで縛られる必要はない」
「これは陛下の命令ではなく、私とあなたの契約です」
しまった、殿下ではなくあなたと呼びかけてしまった。
フェデリカが内心焦っていると、王弟の喉からくぐもった声が漏れた。
「......ほんとうに、いいのか?」
フェデリカは寸分の躊躇いもなく頷いた。
もし他の人が相手であれば迷ったかもしれないが、王弟はこの3か月、確かに契約を遵守してくれたのだ。フェデリカが王宮のことに煩わされず快く研究に取り組めたのは、間違いなく彼の尽力のおかげである。
「はい。殿下の妻になるとお約束いたしましたので」
「婚姻を無効にした後は......再婚できるか定かでない。私と白い結婚を貫く以上、君は生涯子を持つことができないだろう。世で言われている女としての喜びを得ることはできないかもしれない」
「構いません。私の幸せはとうの昔に自分で定めました」
そうか、と王弟は二度呟いた。
「それよりも、殿下、睡眠を取られていますか」
「へ?」
「医学専攻の友人から聞いた話ですが、人間は眠らないと脳が通常以下の働きしか出来なくなるようです。私にできる書類があれば代わりにやっておきますので、早く寝てください」
「あ、はい」
大人しく寝所に向かった王弟を見送り、フェデリカは託された書類に向き合った。
***
レナートは寝台に横たわり、天蓋越しに幾何学模様を眺めた。
国王が倒れたのは5日前のことだった。レナートは貴族たちの対応に追われ、殆ど眠れていなかった。陛下はご無事か、容体は、退位されるのか。ひっきりなしの問いかけはレナートの心身を摩耗させた。実際医師にもご覚悟を、と告げられており、念の為退位と即位の準備も行っていた。
フェデリカがやってきたのはそんな折である。研究熱心な彼女のことだから、婚約解消を伝えれば喜ぶだろうと思っていたのに、返ってきたのは困惑だ。
――一度交わした契約を違えるつもりはありません。
――私とあなたの契約です。
――殿下の妻になるとお約束いたしましたので。
――それより、睡眠を取られていますか。
フェデリカの真顔を思い出し、レナートは思わず笑ってしまった。自分の婚約話をそれ、のひと言で片付けてしまうフェデリカがおかしかった。
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