白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚

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第1章:王太子の愛する人は別にいるそうですわ

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 その夜、公爵家に帰宅したわたくしは、両親に呼び出されることになった。どうやら王太子殿下から「結婚の儀を予定通り進めたい」と正式に連絡が入り、改めてその打ち合わせをしようという段取りらしい。母と父、そしてわたくしの三人が応接間に集まり、ヘッドバトラーのアルフォンスが席を外で控えている。公爵家の格調高い家具が並んだ部屋で、両親の厳かな空気に包まれながら、話が始まるのだった。

「ルチアーナ。あの方との結婚については、ずいぶん前から決まっていたことだが……何か問題は起きていないか?」

 まず口を開いたのは父、ヴェルディ公爵。実直で誠実な人柄だが、わたくしに対しては仕事や責任を厳しく説くことが多い。公爵としての威厳を保ちつつも、家族には情を持って接してくれていることはわかっている。

 わたくしは少し微笑んで、軽く首を振る。

「いいえ、特に問題はありません。アルベルト様とは今後も円満にやっていけそうですわ」

「そうか。……しかし、おまえが本当に“愛しているか”という点については、正直に言えば私も案じているところだ。政略結婚とはいえ、心がなければ長続きしないのではないかとな。王太子殿下は真面目で優秀だが、時に頑固な面があるとも聞いている。おまえと衝突するようなことはないのか?」

 父としては当たり前の心配かもしれない。わたくしは適度に笑顔を保ちつつも、心の中では「もちろん衝突はしないわ。わたくしは形だけの妻になるだけだから」と本音を呟いていた。しかし、そんなことを正直に伝えるわけにはいかない。

「父様、大丈夫ですわ。アルベルト様は思慮深い方ですし、わたくしもそれなりにお役に立てるように心がけるつもりです。むしろ、わたくしが不安定な感情を抱えてしまわないように、アルベルト様はとても気を遣ってくださいますの」

「……そうか。それなら安心した」

 父が納得したようにうなずく。続いて母、カトリーナ公爵夫人がわたくしの方に目をやった。母は華やかな美しさを持つ貴婦人で、昔は社交界の花形と呼ばれていたという。現在もその華やかさは健在で、わたくしが礼儀作法や立ち居振る舞いに厳しく指導されてきたのも、母の影響が大きい。

「ルチアーナ、あなたにもいよいよ本格的に王宮の生活が始まるのね。今まで公爵家の令嬢としても大変だったでしょうけれど、王太子妃となればもっと責任が増すわ。ドレスの選定や宝飾品の用意などは、早急に整えましょう。結婚の儀には各国の要人も招かれるでしょうし、あなたはヴェルディ家の誇りでもあるのだから」

「わかりましたわ、母様。ご指示いただければ、わたくしも善処いたします」

 母の言葉に、わたくしはしおらしく答えるが、内心では「また派手なドレスを着せられるのかしら、動きにくそうだわ」と少々面倒に感じていた。だが、それも王太子妃となるならば必要な義務なのだろうから、従うしかない。実際、わたくしは見目麗しい服装よりも、身軽でシンプルな服装の方が好きなのだが、そんなわがままを通すわけにもいかない。

「それと、ルチアーナ。もし何か王宮で困ったことや、王太子殿下との間に問題が生じたときは、すぐにこの公爵家を頼りなさい。あなたは我が家の大切な娘です。王家に嫁ぐからといって、孤立する必要はないのよ」

 母はそう言って、わたくしの手をそっと握った。表情には優しい光が宿っている。昔は厳しいレッスンばかりで辟易することもあったが、わたくしが大切に思われているのは十分伝わっていた。だからこそ、こうして「いざとなったら帰ってきなさい」と言ってくれるのだろう。

 わたくしは微笑みを返しながら、静かに頭を下げる。

「ありがとうございます、母様。いざというときは甘えさせていただきますわ」

 ……もっとも、今のところその“いざというとき”というのは想定していない。わたくしにとってはむしろ、アルベルト様が他の女性を愛するという秘密こそが、わたくしを有利に導いてくれる“切り札”のようなもの。それを上手く使って、優雅で自由な王宮生活を送っていくことこそが、わたくしの目標だ。


---

 こうして、結婚の儀は予定通り進むことになった。わたくしは父と母から祝福を受け、形だけは幸せそうな娘として振る舞いつつ、心の中では気ままな未来を楽しみにしている。まさに、“白い結婚”の第一歩がここに刻まれたのだ。

 翌日からは、ドレスの新調や王宮での儀式の打ち合わせなど、様々な準備に追われる日々が始まった。わたくしの専属メイドであるソフィアも大忙しになり、公爵家の使用人たちも朝から晩まで立ち働いてくれている。そんな騒がしさの中でも、わたくしは「式まであと少しの辛抱だ。式を終えれば、あとは自由が待っているのだわ」と思うと、やる気も出るというもの。

 世間では「近頃、王太子殿下とヴェルディ公爵家の令嬢が、婚礼の準備を始めたらしい」と噂が広まり、何人もの貴族や豪商からお祝いの贈り物が届くようになった。ジュエリーや高級な布地、香水など、どれも立派な品ばかりだ。わたくしは一応礼状を書いておくが、それらを身に着ける予定はあまりない。宝石もドレスも、そんなに数があっても困るし、そもそもわたくし自身、派手な場は得意ではないのだ。

 そんな慌ただしくも浮足立った空気に包まれながら、わたくしは日々を過ごしていた。けれども、心は驚くほど軽やかだった。自分がここまで晴れやかな気分で婚礼を迎えることになるとは思っていなかったから、不思議なものだ。

(アルベルト様がリリア様に心を奪われているなんて、公爵家の者が知ったら腰を抜かすでしょうけど、それはそれで面白いわ。わたくしは知らぬ存ぜぬを貫けばいい。肝心なのは、わたくしが不利益を被らないようにすること……そして、王太子妃という地位を利用して、自分の趣味を楽しむことよ)

 書斎に戻り、山積みになった本の一部を手に取る。歴史書に魔法学の専門書、さらには各国の文化や料理を紹介する図鑑まで、わたくしの興味は尽きない。王宮に行けば、もっと貴重な書物や文献が揃っているはずだ。それらを自由に閲覧できる立場になるのなら、わたくしにとってこんなに好都合なことはない。

 わたくしは本のページをめくりながら、ふと昨日のアルベルト様の様子を思い出す。あのとき彼は本当に苦しそうだった。わたくしを裏切るような罪悪感を抱え、しかし愛する女性を選びたいという焦燥に駆られ――結果としてわたくしに白い結婚を提案したわけだ。まさかこの提案がわたくしにとって都合の良いものだとは夢にも思っていないだろう。彼はきっと「ルチアーナは優しいから許してくれた」と受け止めているに違いない。

(優しい、か。まあ、世間から見ればそう見えるでしょうね。でも本心は全然別よ。わたくしはただ、面倒事から解放されたいだけなの)

 わたくしは開いた本を眺めながら、心の中で穏やかな笑みをこぼす。こんなに自分の未来が明るく感じられるのは、久々のことだ。公爵家の令嬢として常に注目と期待を背負い、将来は国のために生きるのが当然――そんな生活に、わたくしはどこか息苦しさを覚えていた。それが、一気に解放される瞬間がやってきたのだから、嬉しくないはずがない。

 もちろん、全てが順風満帆とは限らないだろう。結婚後、王妃としての立場上、多くの公務や儀礼が待っている。そこにリリア様という存在を絡ませることによって、宮廷内の人間関係は複雑になるかもしれない。派閥争いに巻き込まれたり、わたくしを陥れようとする者が出てくる可能性もある。

 だが、それでもわたくしは構わない。なぜなら、アルベルト様の秘密を握っている以上、あからさまにわたくしを排除しようとする者には、それなりのリスクがあるからだ。逆に言えば、わたくしは“最強の隠し札”を手に入れたようなもの。王太子が平民の娘を愛している……この事実一つで、わたくしは強いカードを持てる。

 さらには、リリア様自身がどんな人物なのか、いずれお会いして確かめたい気持ちもある。アルベルト様がそこまで惹かれる平民の女性とは、どれほど魅力的なのだろうか。もしわたくしと話が合うような方であれば、いっそ仲良くなるのも面白そうだ。「王太子殿下と取り合いをする」というのは世間の恋愛小説ではよくある展開だが、わたくしはそういう修羅場は御免被りたい。むしろ、いっそ彼女のほうからも「ルチアーナ様、ありがとうございます」と感謝されるくらいの関係を築ければ、わたくしにとっては一層都合がいい。

(そうね。リリア様がわたくしと親しくなれば、アルベルト様と二人で過ごす時間が減るかもしれない。でも、わたくしはそれで構わないわ。むしろ勝手にお好きになさってって感じ。お互い牽制し合うより、いっそ仲良くなって平和に過ごすほうが、わたくしは望ましいのだから)

 このように、様々な思惑や未来図を思い描きながら、わたくしは楽しく読書を続けるのだった。結婚式を控えた花嫁が、こんなにも悠々自適な気分で本を読んでいるなど、周囲の人々は想像しないだろう。しかし、わたくしはこれが何より幸せなのだ。そして、その幸せが今後も続くよう、上手く立ち回る準備も着々と進めていこう。

 こうして、わたくしの“白い結婚”計画は、まだ始まったばかりである。
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