白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚

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第1章:王太子の愛する人は別にいるそうですわ

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 応接室を後にし、王宮の回廊を歩きながら、わたくしは窓から見えるバラ園に視線を送った。王城の庭は四季折々に美しく飾られ、今の季節は薔薇が香り高く咲き誇っている。あそこを愛でながら、ゆっくりお茶を飲めたらどんなに気分がいいだろう……と、一瞬想像して胸が弾んだ。

「ルチアーナ様、ご用件はお済みでしょうか?」

 声をかけてきたのは、わたくしの専属メイドであるソフィア。彼女はヴェルディ公爵家で長く仕えており、わたくしにとっては姉のような存在でもある。シックなメイド服を身にまといながら、いつも落ち着いた笑顔を浮かべている。けれど、今はその表情に少し心配そうな色が混じっていた。

「ええ、終わりましたわ。ソフィア、何か心配してくださってたの?」

「はい……実は、王太子殿下がルチアーナ様をお呼びになったと聞いて、少し胸騒ぎがしまして。失礼ながら、殿下がお怒りになられているとか、何か揉め事があったのではないかと……」

 どうやらソフィアは、わたくしが危機に陥っているのではないかと気を揉んでいたらしい。わたくしは彼女を安心させるように、穏やかに微笑んでみせた。

「大丈夫よ。むしろいい話でしたわ。わたくしとしては、気が楽になるお話ですもの」

「えっ……そうなのですか?」

「ええ。アルベルト様は、結婚してもわたくしに口出ししないそうですわ。むしろ、別に大事な方がおられるので、その方を愛し続けたいと。だからわたくしは――自由を満喫できるようにしていただく予定よ」

 わたくしがあっけらかんと答えた瞬間、ソフィアは目を丸くして固まってしまった。普通なら仕方ない反応だろう。誰だって「あなたの婚約者が他の女性を愛している」と知らされたらショックを受けるかもしれないし、ましてやそれをあっさり許容しているなんていう令嬢は、そうそういないだろうから。

「る、ルチアーナ様……本当に、それでよろしいのですか?」

 ソフィアが戸惑いながら問いかける。わたくしは笑顔でうなずいた。

「ええ、もちろん。いずれわたくしは王太子妃になる立場ですけれど、実質的には自由に行動させていただくつもり。アルベルト様に対して“愛人をつくるな”と強制すれば、お互い不幸になるだけでしょう? わたくしは面倒も嫌だし、アルベルト様もリリア様を捨てる気なんてないでしょうしね」

「で、ですが……世間体というものもございますし、ルチアーナ様ご自身の名誉にも関わります。王太子妃が黙っているように見られては、軽んじられる恐れも……」

 さすがソフィア、わたくしの立場や体面のことを思いやってくれているのだろう。だが、そこに関してはわたくしなりに既に策がある。そもそも王太子が平民を愛しているという事実は、そう簡単に公になるものではない。国が揉み消すはずだ。公になるか否かは、王太子とその取り巻き次第なので、わたくしに不利が被る可能性は低い。それに、もし万が一漏れてしまった場合でも、アルベルト様は王太子として「自分が悪い」と認めるしかなくなる。つまり、わたくしが責めを負う立場にはならないのだ。

 ――要するに、わたくしはほぼノーリスクで王太子妃になれる。それがわかったからこそ、ここまであっさり承諾したというわけ。

「大丈夫よ、ソフィア。わたくしだって公爵家の令嬢ですもの。いざとなったら身を守る手段はあるし、アルベルト様が“わたくしに酷い仕打ちをした”という証拠もあるのだから、下手に動かれる心配もないわ。むしろ、わたくしのほうが優位とすら言える状況なのよ?」

「そ、そうなのですか……? わたくしにはそのような駆け引きはわかりませんが、ルチアーナ様が大丈夫と仰るなら……」

「ええ。心配しなくていいの。ソフィアには、今後もわたくしのそばで支えていただきたいわ。自由になったわたくしがまず何をするか……そうね、読みたい本がまだまだ山積みですし、書斎をもっと充実させたいところだわ。あとは美味しい紅茶の研究もしてみたいし、新しいティーセットも探してみたいわね。思い描くだけで楽しくなってきたわ」

「さすがルチアーナ様……王太子妃になられるというのに、あまり動揺なさらないのですね」

「そうかしら? でも、わたくしは自分の好きなことをするためなら、臆せず行動しますわ。おかげで子どもの頃から母に“あまりはしたない真似はおやめなさい”とよく叱られたものだけれど……」

 わたくしは自嘲気味に言いつつも、今となってはその“はしたない”行動力が自分の強みになっている気がする。アルベルト様との婚姻も、きっと周囲の目があるから完全には好き勝手に振る舞えないだろう。けれど、この“白い結婚”の形であれば、わたくしは国母の役割を最低限こなしつつ、プライベートな時間は自由に過ごせる。なにより、アルベルト様はわたくしに干渉する余裕などなくなるはずだ。彼はリリア様との愛を貫くために、王家や貴族たち、そして世間の目を欺く工作をしなければならないのだから。

「さて、ソフィア。悪いけれど、わたくしはこれから少し公爵家に戻るわ。結婚の儀に向けての衣装合わせや諸々の準備があって、いろいろ忙しくなるでしょうし。一度ちゃんと母の顔も見ておかないと」

「かしこまりました。馬車をご用意いたします。ですが、ルチアーナ様……本当にお疲れになりませんように。きっと今日のことは、いずれもう一悶着あるかもしれませんので」

 ソフィアの忠告には一理ある。アルベルト様が「形だけの結婚」をわたくしと交わしながら、別に愛する女性を宮廷に迎え入れようとしている以上、それを良く思わない貴族や取り巻きも出てくるだろう。その際、わたくしの立場や考え方が問われる場面もあるかもしれない。

 だが、そのときはそのときだ。わたくしは既に割り切っている。何かあれば、アルベルト様に責任を取らせればいい。それくらいの覚悟で彼も今回の提案をしてきたのだろうから、今さらわたくしが庇ってあげる義理もない。むしろ、自分の立場と自由を守ることが最優先だ。

「ご忠告痛み入るわ。ありがとう、ソフィア。もし動揺することがあったら、そのときは頼らせていただくわね」

「はい、もちろんです。ルチアーナ様の支えになるのが、わたくしの務めですから」

 そうして、わたくしとソフィアは回廊を歩き、正門近くに控えている公爵家の馬車へと向かった。いつもなら宮殿に長居して、アルベルト様と午後のお茶をすることもあったが、今日はそれも必要ない。むしろわたくしとしては一刻でも早く自宅に戻り、心ゆくまで読書を楽しみたい気分だった。何しろ、心の荷が下りたというか、想像以上の好条件を引き出せたのだから。
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