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第1章:王太子の愛する人は別にいるそうですわ
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しおりを挟むついに真打ち登場、といったところだ。ある意味予想していた言葉だが、彼の口から直接聞かされると、感慨深い。王太子にとっては大問題であろうし、この提案がいかに重大な決断かは理解できる。心底悩んだ末に出した答えなのだろう。その表情は、必死さや後ろめたさに加えて、どこか「これがベストだ」と思い込もうとしているように感じられた。
普通の令嬢なら「そんなふざけた話があるものですか!」と憤怒するか、涙を流して悲嘆に暮れるかもしれない。自分の婚約者が他の女性を愛しており、それでも婚姻だけは続けてほしいというのだから。しかし、わたくしにとってはむしろ好都合。このまま国のためや家のためという理由だけで縛られて窮屈に暮らすよりは、殿下が他に本命を作ってくれたほうが気楽だ。婚約破棄にならずに、表向きだけの関係を維持できるのであれば、わたくしはかなり自由を満喫できるはずだ。
そもそも、わたくしもアルベルト様を熱烈に愛しているわけではない。自分の趣味である読書や紅茶を楽しむ時間こそが至福なのだ。さらには、王太子妃となれば外交や宮中行事に駆り出され、自由な時間は限られる。ところが、この“白い結婚”とも呼べる形態であれば、ある程度はお互い好き勝手に過ごせる可能性がある。わたくしは一見「可哀想な被害者」になるかもしれないが、その実、王太子としても弱味を抱えている以上、わたくしが必要以上に干渉されることはなさそうだ。なにせこちらには「わたくしをないがしろにした」事実を握っているわけだから、アルベルト様としても下手に動きづらいだろう。
こう考えると、わたくしにとっては悪い条件ではない。むしろ上手くやれば、思い描いていた「自分の好きなことに没頭できる優雅な暮らし」ができるかもしれないのだ。わたくしは確信を得て、深呼吸してから口を開いた。
「なるほど。アルベルト様の本当の気持ちは、リリア様にあるのですね」
「……ああ」
「わたくしを傷つけるかもしれないと仰いましたが、それは間違いですわ。むしろそのお話を聞けて、少しほっとしております。アルベルト様が無理をして愛のない結婚をするよりは、わたくしとしても形だけでも構いませんわ。国の期待には応えながらも、お互い別の相手を愛することを咎める気はございません」
わたくしの返答に、アルベルト様は目を丸くして驚いていた。もともと彼は、わたくしが激怒したり取り乱したりするのを覚悟していたのだろう。しかし、わたくしはむしろ笑顔を浮かべている。
「……おまえは、いいのか? 本当に、形だけの夫婦で」
「もちろんでございます。わたくしも、殿下にしがみつくような女ではございません。政略結婚は必要なことであり、破棄できない理由はお互い承知しております。その上で、殿下が好きな方と愛を育んでいただくのは、わたくしからしても好都合かもしれませんわ」
わたくしがあっさり承諾してみせると、アルベルト様の表情が一瞬ほころぶ。だが、すぐに複雑そうな色が浮かんだ。もしかすると、わたくしがまったく取り乱さずに「好都合」と言ってのけたことで、逆に拍子抜けしたのかもしれない。大罪を打ち明けたはずの相手から、あっさり「それがいい」と返されたのだから。
「……そうか……。ルチアーナは、本当にそれで……いいのだな?」
「ええ。むしろわたくしを巻き込んでしまうことに、殿下が後ろめたさを感じておられるのでしたら、それはご無用ですわ。わたくしは“自由”が得られるなら、大歓迎なのですもの」
アルベルト様はちらりと視線を下ろし、何か考え込んでいる。彼のプライドが「ただの政略相手にあっさり許しを得ていいのか」とざわついているのか、それとも「ルチアーナは思ったより冷めているのだな……」と感じているのか。いずれにせよ、わたくしにとっては大きなメリットなのだから、文句をつける要素は何もない。
部屋の中には、しばし沈黙が訪れた。窓の外からは柔らかな風と、バラ園の甘い香りが漂ってくる。この香りが、わたくしの心を穏やかにしているようにも思えた。
「ありがとう、ルチアーナ。おまえがそう言ってくれると、私も助かる。……私が彼女を愛する一方で、おまえに不利益が生じぬよう、最大限に配慮するつもりだ。もとより、王太子妃としての立場と待遇はしっかり整える。おまえの生活が不自由にならないよう、できる限り努力しよう」
「お気遣い痛み入りますわ。わたくしは読書とお茶さえ楽しめれば、特に不自由はございませんし、あまりにも形式的な行事が続くようでしたら、そのときはわたくしから言わせていただきます」
わたくしが笑顔で伝えると、アルベルト様は首を縦に振った。どうやら話はまとまったようだ。彼は改めて、わたくしの瞳を真っ直ぐに見つめながら、どこか安堵とも取れる笑みを浮かべている。
「そうか……本当なら、もっと感情的に詰られてもおかしくないのに。おまえは何とも寛大だな。おまえのそういうところは、王国にとって大きな財産になるだろう」
「過分なお言葉をありがとうございます。ですがわたくしは、ただ自分にとって都合のいい選択をしただけですわ。どうか、お気になさらないで」
ここで「わたくしは何も求めませんわ」というと都合が良すぎるから、あえて含みを持たせた言い方にしておいた。アルベルト様もさすがに王太子だけあって、このあたりは察しているようだ。それ以上は詮索せず、「助かる」と一言だけ言ってくれた。もしかすると、この先わたくしが“王太子妃の座”を利用して何かを望む場合には、彼はある程度融通をきかせてくれるだろう。
それが王家のためにもなり、またわたくし自身の生活のためにもなるのであれば、悪いことではない。わたくしは密かに胸のうちでほくそ笑む。これで、自由で気ままな生活への道が開けるかもしれない、と。
その後も少しだけアルベルト様との打ち合わせが続いた。結婚の儀は近々行われる予定であり、その後は形だけ夫婦として公務をこなしながら、実質的には別々の生活を送るという形になるらしい。リリアという女性も、表立っては“愛人”のようには扱われないが、いずれアルベルト様の傍に置かれることになるだろう、と。
常識的に考えれば不倫のような関係だが、そこをどうにか上手く糊塗していくのが王族の政治力というわけだ。スキャンダルにならないよう、あくまで「慈善活動の一環でリリアを庇護している」とか、「宮廷の侍女として登用している」という形を取るといった細かい段取りも既に固まっているようである。
しかし、世間の目を欺きながら本命を愛し続ける……というのは、アルベルト様も大変だろう。わたくしはその点について特に同情はしないが、そっと一言だけ添えた。
「殿下、リリア様を大切になさってくださいませね。こう言っては何ですが、わたくしの知る限り、殿下は何事も自分の思いどおりに進めたがる節が終わりになられる。平民の女性を宮廷に置くのは、容易くないでしょうけれど、お気を遣ってあげてください」
「そうだな……。あの娘は優しい反面、とても繊細だ。私の立場に傷がつくのではないかと、自分を卑下することもある。だからこそ、私は彼女を守りたいんだ」
アルベルト様の声には、不思議と熱がこもっていた。リリアという女性に本気で心惹かれているのだろう。その様子を見て、わたくしはほんの少し呆れ混じりに感心してしまう。普段はあれだけ優等生然とした態度を取りながら、こうして情熱をむき出しにすることもあるのだ、と。
「それではわたくしは、正式な結婚の儀までに必要な準備を整えておきますわ。殿下も、どうかご公務にお励みください。今後ともよろしくお願いいたします」
「ああ。改めてすまない、ルチアーナ。どうかよろしく頼む」
そう言って、アルベルト様はわたくしに軽く頭を下げた。これで、この話は一応決着だ。ここにいるのはわたくしたち二人だけ。きっと今のやり取りは、王国の歴史の中でも密かに語られる珍妙な契約の瞬間だったのかもしれない。しかし、わたくしは心底ホッとしていた。
(よかったわ。これで退屈な愛のない結婚生活に縛られることなく、わたくしは我が道を突き進める。アルベルト様には悪いけれど、むしろ最高の展開よね)
表情には出さず、わたくしは微笑を湛えたまま部屋を出る。こうして、わたくしの“白い結婚生活”の幕開けがほぼ確定したのであった。
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