白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚

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第4章:夫が私を気にかけ始めましたが……遅すぎますわ

4-2

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夫の様子がどうもおかしいのですわ

 ある日の午後。
 わたくしは、王宮の“王妃専用”とされる書斎の一室にこもっていた。結婚してからまだ日が浅いというのに、もう専用の部屋を割り当てられるのはありがたいが、その分、書簡や書類の整理など、さまざまな雑務が押し寄せてくる。
 もともと政務は国王や王太子が中心に行うが、王妃(および王太子妃)にも慈善事業や社交行事の管理、宮廷内の監督といった業務が割り振られる。わたくしも嫌々ながら仕事をこなし、少し休憩を入れようと考えていたところで、控えの侍女が小走りに部屋へ入ってきた。

「ルチアーナ様、大変失礼いたします。王太子殿下がこちらにいらっしゃりたいと仰っておりますが、よろしいでしょうか?」

 突然の報告に、わたくしは手にしていたペンを落としそうになる。
 アルベルト様は普段、執務室や会議室にこもっていることが多い。わざわざわたくしの書斎まで訪ねてくるなんて、よほど緊急の要件か、あるいは公務上どうしても話し合いたい案件があるのか……。
 ここ最近、彼がわたくしを気にかける素振りを見せていたのを思い出し、やや胸騒ぎを覚えたが、断るわけにもいかないだろう。落ち着いて「わかりました。お通しください」と侍女に伝える。

 やがて扉が開き、濃紺の衣装を身につけたアルベルト様が姿を現した。相変わらず端正な顔立ちだが、どこか疲労の色も浮かんでいる。公務が立て込んでいるのだろうか。わたくしは書類を机の上にまとめ、軽く頭を下げる。

「ごきげんよう、殿下。お忙しいところ、わざわざ足を運ばれてどうなさいました?」

「いや……。少しおまえと話をしておきたいことがあってな。時間を取らせて申し訳ないが、よろしいか?」

 その言葉づかい自体は冷静だが、わずかに視線が落ち着かないようにも見える。そんな彼の姿を前に、わたくしは「まさか“愛人のことを黙っていてくれ”などと言いにきたのかしら」と訝しんだ。もしくは、あのクラリッサ令嬢たちが何か新たな陰謀を起こそうとしているのかもしれない。

「構いませんわ。わたくしも、少し休憩を取ろうと思っていたところです。……よければ、簡単なお茶でも召し上がりませんか?」

 わたくしがそう提案すると、アルベルト様は少し戸惑ったような顔をしつつ、「……ああ、そうしてもらえると助かる」と応じた。彼がわたくしの書斎でお茶を飲むなど、これまでまったくなかったことだ。控えの侍女が手際よく用意を始めるのを横目で見ながら、わたくしはふと「この人はいったい何を考えているのだろう」と胸の奥がざわつくのを感じた。

 やがて、温かな紅茶が二人分運ばれてきた。アルベルト様はカップを一口すすり、穏やかな香りに「ほう……」と微かに息をつく。紅茶にはそこまで興味のない方だと思っていたが、珍しく味わうように飲んでいるのが印象的だった。

「……落ち着くな。こうして静かな場所でお茶を飲むこと自体、久しぶりのような気がする」

 彼はそんな感想を漏らすと、わたくしの方へ視線を戻した。テーブル越しに向かい合う形になっており、なぜか妙な緊張感が漂う。夫婦なのに、ここまで“かしこまった雰囲気”になるとは、我ながら不思議な感覚だ。
 アルベルト様は一度口を引き結び、意を決したように口を開いた。

「ルチアーナ……。おまえの近頃の様子を見ていて、少し聞いておきたいことがあるんだ。……私との結婚生活、特に困っていないか?」

「困っている……と、仰いますと?」

「いや、ほら……。私がほとんどおまえに構わず、リリアとの時間を優先しているからな。今さら言うのもなんだが、“白い結婚”とはいえ、おまえには窮屈な思いをさせているのではないか、と……」

 今さら何を、とわたくしは思わず眉をひそめそうになった。わたくしは白い結婚を歓迎していて、むしろ干渉されないのがありがたいくらいだ。それなのに、どうしてアルベルト様は突然そんな確認をしてくるのだろう?
 わたくしは、なるべく冷静に笑顔を作りながら答える。

「いいえ、わたくしは特に窮屈さなど感じていませんわ。むしろ殿下がわたくしに干渉なさらないおかげで、自分の仕事や趣味に打ち込みやすいですもの」

「そ、そうか……。ならいいんだが……」

 なぜか歯切れの悪い彼の様子に、わたくしは首をかしげる。いつもなら「これでいい、完結だな」という空気になるはずが、今日はまるで何か言いそびれているようにも見える。
 アルベルト様はカップを置き、続けざまに話し始めた。

「実は、父上……国王陛下がな。おまえと私の結婚生活について、“早く落ち着く形を作ってくれ”とおっしゃっていて……。つまり、“後継ぎ”のことを気にしているのだ」

 その言葉を聞いた瞬間、わたくしはカップを持つ手がピタリと止まった。後継ぎ……つまり、子をもうけることを遠回しに催促されているわけだ。国王としては、王太子の正妃が子を産んでくれないと、王家の安泰は揺らぎかねない。特にアルベルト様は“将来の国王”なのだから、“跡継ぎを生むのは正妃の務め”と考えるのは至極当然だ。
 しかし、わたくしとアルベルト様は白い結婚。もとより身体の関係を持たないという暗黙の了解があり、そういう“夫婦の営み”など皆無である。たとえ形式上は夫婦であっても、そこに愛もなければ接触もないのだから、子どもができる道理がない。
 けれど国王はそんな事情を知らないか、知っていても「とにかく子を作れ」と言わんばかりに圧力をかける可能性が高い。そうなれば、アルベルト様はどう対応するのだろうか? リリア様との間に子をもうけるわけにもいかないし、結局は正妃であるわたくしに頼るしかない。
 ……いや、ちょっと待って。わたくしはどこかで「一体、何を言っているのかしら?」と冷静になった。そもそも、アルベルト様はリリア様を本命として愛しているのだ。わたくしと体を結ぶなどあり得ないはず。それなのに、ここにきて国王陛下の要望を理由に、「もう少し夫婦らしくなれ」と求められても、わたくしとしては困惑するばかりだ。

「……それで、殿下はどうなさるおつもりなのかしら?」

 わたくしが静かに問いかけると、アルベルト様は神妙な面持ちで言う。

「もちろん、強要するつもりはない。おまえとの約束もあるし、私自身、リリアへの思いを捨てる気はない。だが、このままだと父上や周囲から“いつになったら後継ぎを生むのか”と詰め寄られ、いずれ隠しきれなくなる。そうなれば、おまえやリリアに迷惑が及ぶかもしれない」

「迷惑……ですか?」

「そうだ。実際、父上は“ルチアーナに問題があるのではないか”と疑っておられるようだ。結婚して日が浅いのに何を、という気もするが……。今はまだ私があれこれ言い訳しているが、それも長くは通用しないだろう」

 ——なるほど。つまり、国王から見れば「どうして王太子夫婦は夫婦らしい営みをしないのか」と疑問に思っているわけだ。「もしかしてルチアーナに体の不調でもあるのか?」などと邪推している可能性もある。おそらくこのまま子の気配がなければ、わたくしが責めを負う形になるかもしれない。国王の命令で検診を受けさせられたり、あるいは「家に戻れ」と言われるリスクもある。
 わたくしは心の奥に、うっすら不快感が広がるのを自覚した。
 ——わたくしは白い結婚でいいと考え、アルベルト様も同意のうえで成り立っている。リリア様もそれを理解している。なのに、国王という“絶対的な権威”がそこに介入してくるならば、いっそ婚姻関係を破棄するか、あるいは形だけでも夫婦の行為を演じるかしかない。どちらにせよ、わたくしにとっては不本意だ。

 アルベルト様は苦しげに眉を寄せる。

「ルチアーナ……本当にすまない。私たちが白い結婚であることを、父上がもし知れば、きっと許されないだろう。おまえを公爵家へ返すよう圧力をかけるかもしれない。そうなれば、おまえの家も立場も危うくなる。……だから、どうにか折衷案を見つけたいのだが……」

「折衷案、ですか?」

「具体的にはまだ何も考えが浮かばない。だが、このままでは駄目だ。近いうちに“夫婦らしい同居”を始めるフリでもして、父上の目をごまかす必要があるかもしれない」

 わたくしはそこで、彼の言う「夫婦らしい同居」という言葉に引っかかりを覚えた。それはつまり、実際にアルベルト様と同じ寝室を共有し、夜も共に過ごすということか。それとも、単に「一緒の部屋で過ごす時間を演出する」程度の偽装なのか……。いずれにせよ、気が進む話ではない。
 アルベルト様自身も気まずそうにうつむいている。どうやら“自分が悪い”と認識しているのか、あるいは“リリアを愛するあまり、おまえを巻き込んでいる”ことに罪悪感を覚えているのだろう。

(しかし……。これではわたくしの自由が一気に制限されてしまうのではないかしら?)

 わたくしは心の中で唸る。白い結婚を謳歌できていたのは、わたくしがほとんど干渉されずに好きなことをしていられたからだ。仮に“夫婦のフリ”をするために行動を共にしなければならないとなれば、書斎でゆっくり読書をする時間も減ってしまうだろう。極端な話、夜もアルベルト様の隣で寝る演技をしなくてはならないかもしれない。そんなのごめんだ。
 だが、もしそれを拒否すればどうなる? 国王や周囲の圧力が強まって、わたくしが“正妃の役目を果たせない”とみなされ、追い出される可能性すらある。そうなれば、公爵家にも迷惑がかかる。あの厳格な父と母が黙っているはずがないし、わたくし自身も“王太子妃”としての地位を失うことになる。
 そうなったら、わたくしの自由など吹き飛んでしまう。一度手に入れた“権力”を手放すつもりはないのだ。わたくしの中に、静かな反発心が芽生える。

「……承知しましたわ。つまり、わたくしたちが夫婦であることを周囲にアピールすれば、国王陛下も安心してくださるし、リリア様の存在も目立たなくなる、ということなのですね」

「そうだ。ただ、おまえにも負担をかけてしまう。その点は申し訳ないと思っている」

「いいえ、わたくしは構いませんわ。もともと“形だけの夫婦”でも問題なかったのですから、“形だけ夫婦らしくする”のも同じこと。実質は今と変わらないでしょう?」

 わたくしが皮肉を込めて微笑むと、アルベルト様は一瞬ぎくりとしたように表情を強張らせた。
 内心では「そんなことをして何になるのかしら。どうせ、夜にはリリア様のもとへ行きたいのでしょう?」と毒づきたかったが、それは飲み込んでおく。わたくしにもメリットがあるのだ。国王の疑念を払拭できれば、この先も堂々と“王太子妃の特権”を使えるし、リリア様との友好的な関係も続けられる。クラリッサ令嬢のような輩に“あの夫婦は実態がない”と揶揄されるのも、だいぶ防げるだろう。

「わかった。ありがとう、ルチアーナ。おまえがそう言ってくれるなら、私も助かる。……ただ、何か他に要望があれば、遠慮なく言ってほしい。おまえが負担に感じることがあれば、可能な限り調整しよう」

「要望……そうですね。ではまず、夜はわたくし一人の部屋でしっかり眠りたいので、“夫婦の営み”を求めるような真似はご遠慮くださいませ。国王陛下にどう言い繕うかは殿下の腕の見せ所でしょう?」

「……あ、ああ、もちろんだ。そこは強要する気はない」

 アルベルト様が苦笑混じりに即答したのを見届けて、わたくしはほっとする。最悪の場合、“子を作れ”と迫られる事態になるのでは、という不安があったが、彼もそこまではするつもりがないらしい。まあ、もともと彼はリリア様を愛しているのだから、わたくしと身体を重ねるなんて考えたくないはずだ。
 とりあえず、しばらくは「昼間は夫婦のフリをする」「夜は別々に過ごす」という形でごまかすしかないのだろう。面倒くさい話だが、王太子妃の座を守るためだ。わたくしも割り切ろう。

「それでは、殿下。今日はわたくしも書類が山積みですので、早速明日あたりから“夫婦一緒にお茶会へ出席”でも演出しましょうか。周囲にアピールするには格好の場ですわ」

「……そうだな。おまえの言うとおり、私とのツーショットを皆に見せておけば、父上も少しは安心するだろう。頼む、ルチアーナ」

「はい。わたくしも、その方が気楽ですわ」

 わたくしの返答を聞き、アルベルト様はわずかに安堵の表情を浮かべる。こうして、“夫婦のフリをするための偽装作戦”が、やや唐突に始まることになったのだった。
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