王太子妃の器ではないと言われましたが、帝国の未来そのものでした

鍛高譚

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3話

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 出立の日、王宮の門の前にはフローラ一人だけが立っていた。
 リヴェール公爵家からは、誰も見送りには来なかった。少なくとも形式だけは家族の誰かが顔を出してもいいだろうに、そんな心遣いすらない。
 頭上には鈍い灰色の雲がかかり、今にも雨が降り出しそうな気配だった。まるでフローラの心を映すかのような暗い空。
「フローラ・フォン・リヴェール殿、ですな?」
 声をかけてきたのは、ラグナ帝国の黒い軍服に身を包んだ騎士らしき男だった。青い瞳を持ち、引き締まった顔つきだが、その物腰は丁寧で礼節をわきまえているように見える。
「はい……」
 フローラが小さく答えると、男は一礼してみせた。
「初めまして。私の名はエドガー・レヴィンと申します。皇太子クラウス殿下の命により、あなた様のお迎えに参りました。長旅になるかとは思いますが、お力になれるよう最善を尽くしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
 穏やかな言葉に、少しだけフローラの心は救われる思いがした。見知らぬ土地への不安ばかりが募る中で、少なくともこの騎士は自分を“客人”として扱ってくれるのだろうか。王太子アルベルトの周囲にいた取り巻きのような、尊大な態度は微塵も感じられない。
「こちらこそ……。よろしくお願いいたします」
 かすかに頭を下げるフローラを、エドガーは丁寧に馬車へと誘導する。
 用意された馬車は、見た目にも頑丈そうで、王国の馬車とは異なる造りだ。車輪が大きく、何より鋲の打ち方や金属で補強された扉など、戦乱や荒地の多いラグナ帝国の事情をうかがわせるようだった。
 フローラが乗り込むと、そのまま馬車は揺れ始める。兵士たちが道を先導し、ゆっくりと王都の大通りを進んでいく。小雨が降り始め、しとしととした音が馬車の屋根を打ち始めた。

 王都の通りを進む中、人々の視線が馬車へと集中しているのを感じる。ラグナ帝国の使者が堂々と王都を出入りするのは珍しいだろうし、ましてや公爵令嬢が嫁ぐなどという噂を聞きつければ、皆が興味津々になるのも無理はない。
 ――だが、フローラの心はひどく静かだった。まるで深い湖底に沈んでいるかのように、波立たない感情。
 自分は本当に、このまま敵国の皇太子妃になるのだろうか。
 そう思うと、これまでの自分の人生は何だったのか、とすら思えてくる。アルベルトとの婚約は形だけのもので、結局は捨てられた。家族にも疎まれ、最後は政略結婚の駒として、こうして敵国へ送られる。
 それでも……。
(……今より、不幸になることってあるのかしら)
 そんな自嘲めいた考えが頭をよぎり、フローラはじわりと熱くなる瞳をそっと伏せた。

 馬車は城下町を抜け、やがて街道へと差し掛かる。道は整備されてはいるが、王国領から徐々に離れていくにつれ、景色の様子が変わっていくのを窓から見て取れた。
 フローラが外を見ていることに気付いたのか、エドガーが静かに口を開く。
「これより先はラグナ帝国の管理下にある街道を通ります。途中、関所がいくつかありますが、特に問題はないでしょう。私どもは殿下から預かった通行許可証を持っておりますから」
「……そう、ですか」
「道中、ご気分が悪くなったりされたら、遠慮なくお申し付けください。私どもはあなた様を丁重にお連れするよう厳命されておりますので」
 フローラは一瞬、自分の耳を疑った。「丁重に」という言葉が、今の自分に向けられるとは思わなかったからだ。
 アルベルトにも、そして父にも、「役立たず」「無能」と罵られ、邪魔者扱いされてきた。だからこそ、こうして厄介払いされてラグナ帝国へ送り出されたのに――にもかかわらず、ラグナ帝国の使者は、どうしてこんなにも礼儀正しいのだろう。
 フローラは首をかしげつつ、小さく礼を述べる。
「……ご丁寧にありがとうございます。わたくしなど、このような形で嫁ぐというのに、手厚く扱っていただけるとは……」
 自嘲を含んだ笑みでそう言うと、エドガーは微笑を返した。
「あなた様は、我らの皇太子殿下が望まれた花嫁です。どのような事情であれ、それは変わりありません。私どもにとって、あなた様は非常に大切なお方です」
「……大切、なお方……」
 その響きに、フローラの胸は少しだけ熱くなる。公爵家で聞くことのなかった優しい言葉。それが不思議と胸の奥でリフレインして、少しだけ心が解けていくのを感じた。
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