婚約破棄されたけれど、どうぞ勝手に没落してくださいませ。私は辺境で第二の人生を満喫しますわ

鍛高譚

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2-1 辺境の日常、しかし訪れる“違和感”

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第2章 2-1 辺境の日常、しかし訪れる“違和感”

 翌朝。
 私は大きく伸びをしながら、柔らかいベッドからゆっくりと起き上がった。

(……ふふ。なんて静かで平和な朝ですの)

 開け放たれた窓からは湖の風がそよぎ、鳥が歌い、森が揺れている。
 王都のような喧騒も、断罪だの婚約破棄だの、人間関係のいざこざも一切ない。

 ここは私の、誰にも邪魔されない“隠居の楽園”だ。

 ……と、それは昨日までの話。
 今日は、ほんの少しだけ違った。

「…………」

 階段を降りてキッチンに入ると、テーブルには温かいスープと焼きたてのパン、そしてハーブティーが並んでいた。

(朝食……? え……わたくし、作ってませんわよ?)

 すると、背後から低い声がした。

「おはよう、エレノア様」

「きゃあっ!?」

 振り返ると、エプロン姿のゼノが立っていた。

 白いシャツの袖をまくり、髪は少し濡れている。
 どうやら早朝に湖で身支度を済ませたらしい。

「ま、ま、ま、ゼノ様!? なんですの、その……その……」

「朝食を作っただけだが?」

「“だけ”じゃありませんわ! なぜ作ったのですの!?」

「護衛として当然のことだ」

「護衛は料理までするものですの!?」

「エレノア様だけの場合は、そうだ」

「偏った根拠ですわ!!」

 しかし、テーブルに並ぶ料理は完璧だった。
 パンは香ばしく、スープは滋味深く、ハーブティーは優しい香り。

(……悔しいけれど、ものすごく美味しそうだわ)

「座るといい。冷める」

「……いただきますわ」

 席につくと、ゼノが向かい側に静かに座った。
 まるで朝食を共にするのが当然かのように。

 ひと口スープをすすると、身体が温まる。

「……美味しいですわ」

「良かった」

 ゼノの声は淡々としているが、どこか嬉しそうだ。

(……この男、絶対に料理上手ですわね)

 静かな朝。
 それだけで幸せだった。

 けれど――。

◆ ◆ ◆

 朝食が終わった後、ゼノは裏庭で剣を振り、私は家の掃除と洗濯をしていた。

 風が優しく吹き、湖が光を弾く。

(ああ……なんて、平和……)

 そう思った矢先だった。

 コテージの少し先、森の陰から――じぃぃぃっ……と視線を感じた。

「……ん?」

 気のせいかしら?
 いや、気のせいではない。

 視線が刺さっている。

(まさか……また殿下?)

 あの男ならやりかねない。
 しかし視線に悪意はなく、もっと別の……“興味深そうに覗く視線”だった。

 ゼノが剣を引き、すぐに異変に気付く。

「エレノア様。下がれ」

「ま、また何か?」

「……誰かいる。隠れているつもりだが未熟だ」

 ゼノは鋭い眼差しで森を見据えた。

「出てこい」

 すると、小柄な影がビクリと震え――木の影から、ひょこ、と顔を出した。

「…………え?」

 現れたのは――小さな女の子だった。

 まだ十歳にも満たないだろうか。
 薄い金髪を三つ編みにし、古びたワンピースを着ている。
 その瞳は湖のような青。

 彼女は私を見るなり――

「……あなたが、“湖の魔女様”?」

「湖の……魔女……?」

 ゼノの剣先がピタリと止まった。

「エレノア様に対して失礼だろう。誰が魔女だ」

「ち、ちがうもん! 村の人がそう言ってたもん!!
 『湖のほとりにすごい綺麗な魔女様が引っ越してきた』って!」

「誰が言い出したんですの!?!?」

 思わず叫びそうになる。

 女の子は胸の前で手をぎゅっと握ると、真剣な表情で続けた。

「おねがい……お母さんを助けて……!」

「!!!」

 その一言で、空気が一変した。

◆ ◆ ◆

 聞けば、この湖の近くの村で“原因不明の病”が広がっているらしい。

 最初は軽い咳と発熱だけだったが、数日で呼吸が苦しくなり、寝込んでしまうという。

 医師も薬師も原因を突き止められず、村人たちは「呪い」だとか「魔物の仕業」だとか騒ぎ始めているらしい。

「で、でも!
 『魔女様なら何とかできる!』って村のおじいちゃんたちが……」

「だから誰が魔女ですのーーーー!!」

 私の叫びが湖に響いた。

 けれど女の子の瞳は真剣そのものだった。

「お母さん……ずっと苦しそうなの……。
 お願い……助けて……」

 そんな顔を見て、断れるはずがない。

(ああもう……! どうして隠居生活のはずが、こんな展開になるんですの!?)

 でも――。

「エレノア様」

 ゼノが小さく呼ぶ。

「……行くつもりだな?」

「……行かない、と言えると思って?」

「思っていない」

 ゼノは小さく笑う。

「俺が護る」

 胸がほんの少し温かくなる。

◆ ◆ ◆

 準備を整え、私たちは少女リーネに案内されて森の小道を歩いていた。

「湖の魔女様、本当にありがとう!」

「やめて、その呼び名……!」

「え、違うの?」

「違いますわ! 私はただの“隠居したい元令嬢”ですの!!」

「……へんきょ? げんれじょう?」

「説明は後でいい。まずは様子を見るぞ」

 ゼノが周囲を警戒しつつ私たちを守るように歩く。

 森を抜けると、小さな村が広がっていた。

 だが――その空気は重かった。

 家々からは咳の音。
 外に出ている人々の顔色も悪く、皆どこか不安げだ。

「これが……」

「はい……村の人、みんな怖がってて……」

 少女リーネの家に案内されると、扉の向こうから弱々しい咳が聞こえた。

「お母さん!」

 リーネが駆け寄る。
 痩せ細った女性が息も絶え絶えに横たわっていた。

(これは……ただの風邪じゃありませんわね)

 私は女性の額に手を当て、その手を握った。

 熱は尋常ではない。
 しかし魔法の気配は感じない。

「……ゼノ様」

「わかるか?」

「はい。これは“呪い”でも“魔物の毒”でもありませんわ」

「医師が原因不明と言っていた病か」

「ええ。でも……」

 私は女性の呼吸を見つめた。

「この症状、どこかで見た記憶がありますわ」

「記憶?」

「はい。王都の薬草研究院で、昔読んだ古い薬学書に……似た記述が」

 胸の奥で嫌な予感がざわついた。

(……もしかして、この村に何か“外から持ち込まれたもの”が?)

 その時、ゼノが低く呟いた。

「エレノア様……村の外に“馬車の跡”があった」

「馬車?」

「それも……王都から来た印がある」

「…………」

 胸のざわめきが強くなる。

(まさか……殿下の件と関係がありますの?
 王都の混乱が、こんな場所にまで……?)

 だとしたら、これはただの病では終わらない。

「エレノア様、どうする?」

「決まっていますわ」

 私は女性の手をそっと握り直した。

「――助けますわ。この村全体を」

 そう宣言すると、リーネの小さな瞳がぱぁっと輝いた。

「魔女様……!」

「だから魔女じゃありませんわ!!」

 叫びながらも、私は腹をくくった。

(……隠居生活は守る。
 でも困っている人は見捨てませんわ)

 その決意を胸に、私は深く息を吸い込んだ。


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