婚約破棄されたけれど、どうぞ勝手に没落してくださいませ。私は辺境で第二の人生を満喫しますわ

鍛高譚

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2-3 井戸の底に沈む“黒い影”と、深まる陰謀

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2-3 井戸の底に沈む“黒い影”と、深まる陰謀

 夜――。

 村の井戸の周囲には松明が灯され、村人たちが不安と緊張の混じった表情で集まっていた。

 井戸の底には、先ほどフードの人物が投げ入れた“黒い何か”が沈んでいる。
 水は濁り、得体の知れない臭いが漂っていた。

「……これは、完全に“意図的”ですわね」

 私は井戸の縁にしゃがみこみ、水面をのぞき込む。
 暗闇に溶け込むように沈む黒い影は、見ているだけで不気味さが背筋を冷やした。

 ゼノは松明を高く掲げ、周囲の村人に注意を促す。

「全員、井戸から下がれ。危険だ」

「は、はい!」

 村人たちはざわざわと距離を取る。

 リーネが不安げな顔で私の袖を握った。

「魔女様……お母さん、治るよね?」

「だから魔女ではありませんわと言いたいところですが……ええ、必ず治しますわ」

 私は彼女の頭を優しく撫でる。
 その瞬間、ゼノがこちらへ歩み寄った。

「エレノア様。井戸の中にあるものを取り出す方法は?」

「ええ。今、考えていますわ」

 ゼノは井戸をのぞき込み、顔をしかめた。

「この深さでは俺が降りるのは危険だ。何が沈んでいるかわからない」

「毒性の可能性もありますしね」

「……お前が降りようとするよりはマシだ」

「わたくし、そんな無茶しませんわ!」

「先ほど森に入ろうとしたのは誰だった?」

「…………」

 言い返せなかった。

◆ ◆ ◆

 私は荷物から、祖母の残した調合キットを取り出した。
 村人たちがどよめく。

「なんだ、あの銀の筒は……?」

「薬を作る道具だそうだ!」

「す、すごい……!」

(いや……ただの簡易採取セットですのに)

 ゼノが私の横に立ち、問う。

「エレノア様、何をするつもりだ?」

「井戸の水を採取しますわ。分析して、病原を突き止めますの」

 村人たちが息を飲む。

 私は銀の筒を伸ばし、慎重に水をすくい上げた。
 ほんの一瞬で、嫌な臭いが漂う。

「……この臭い、やっぱり“カビ毒”系ですわね」

「カビ毒?」

「ええ。放置すると肺を侵し、重症化する厄介なものですの。
 でも、治療は不可能ではありません」

 村人が歓声を上げかけたその瞬間――

「しかし!」

 私が声を上げると、皆が固まった。

「自然発生するはずのない菌が、ここにいるのは不自然すぎますわ」

「ど、どういうことじゃ?」

「つまり、誰かが“汚染源”を村に持ち込んでいるということですわ」

 村の空気が一気に凍りついた。

 ゼノも険しい顔だ。

「井戸に沈んでいる黒い物体。あれが原因か」

「ええ。取り出す必要がありますわ」

「……俺が降りる」

「危険ですわ!?」

「そう言うと思った」

 ゼノは私を見て、真剣な声で言った。

「エレノア様。お前が村を救いたいなら――危険な役目は、俺に任せろ」

 胸が熱くなる。

「ゼノ様……」

「お前は治療方法を考える方が向いている」

「……はい。お願いしますわ」

 ゼノは井戸にロープを下ろし、自らの腰にも結びつけた。

「絶対に無理はしないでくださいませ!」

「お前が俺の帰りを待つなら、無茶はしない」

 そんなことをさらりと言うものだから――
 胸がドキッと跳ねた。

(この男……時々本当に……反則ですわ)

◆ ◆ ◆

 ゼノは慎重に井戸へ降りていく。
 松明の明かりが井戸の壁に揺れ、その影が幻想的に映った。

「ゼノ様! 見えますか!?」

「ああ……あった。黒い袋のようなものだ」

 村人たちがざわめく。

「袋……?」

「何が入っているんじゃ……?」

「まさか毒……?」

「静かに!」

 私は村人たちを制し、ゼノへ声を送る。

「慎重に、慎重に拾ってくださいませ!
 破れたら毒素が広がりますわ!」

「了解した」

 井戸の底で、ゼノがゆっくりと袋を持ち上げる気配がした。

 その瞬間――

「っ……!?」

「ゼノ様!? どうしましたの!?」

「袋から……液体が漏れている!」

「!!」

 村人たちが悲鳴を上げた。

「だ、大丈夫なんじゃろか!?」

「ゼノ様ーーー!」

「下がれ!」

 私は叫んだ。

「皆さん、井戸から離れてくださいませ!!
 毒が飛び散ったら危険ですわ!」

 村の広場は一気に混乱する。

 ゼノの声が響く。

「……だが、袋は破れてはいない。表面が濡れているだけだ」

「よ、よかった……!」

 ホッと胸をなで下ろす。

「袋の種類は?」

「……動物の内臓を入れておくような革袋だ。
 中身は……液体。その中に、乾燥した黒い塊が複数沈んでいる」

(やっぱり……“カビ袋”ですのね)

「ゼノ様、それを気をつけて持ち帰ってくださいませ!
 治療薬を作るために、サンプルが必要ですわ!」

「了解」

 ゼノはロープをつかみ、ゆっくりと上へ戻っていく。

 数分後――
 ついに井戸の縁から、ゼノの手が現れた。

「ゼノ様!!」

 私は駆け寄り、ゼノの手を握って引っ張り上げる。

 彼は濡れながらも無事だった。

「大丈夫ですの!? 本当に!?」

「お前が心配するほど弱くない」

 ゼノは袋を掲げ、私に渡した。
 その手は冷たいが、力強い。

「……よく無事で戻ってきてくださいましたわ」

「約束しただろう。帰ってくると」

(……そんなこと言われたら)

 胸がまた熱くなる。

◆ ◆ ◆

 村長の家に戻り、私は袋の中身を慎重に分析した。

 ゼノは近くで見守っている。

「……この袋、中身は“カビ毒”そのものですわ。
 そして、この黒い塊は……“菌塊”です」

「菌塊?」

「はい。森の外の湿地帯でしか採れない、特殊なカビの繁殖核です。
 これを水に入れれば……短期間で井戸全体が汚染されますわ」

 村人たちが息を飲む。

「じゃ、じゃあ……誰かが“わざと”井戸に毒を……?」

「そういうことになりますわ」

「な、なんてことだ……!」

 村長が震えながら言う。

「いったい何者が……!?
 この村に恨みなど……」

「村に恨みがある者とは限りませんわ」

 私は静かに言った。

「これは“王都の混乱”と繋がっている可能性があります」

 村の空気が凍りつく。

「王都……?」

「ええ。
 第三王子ラルフ殿下が、わたくしを断罪し、王家が批判され、継承権を剥奪された――あの一連の騒動ですわ」

 ゼノが頷く。

「誰かが“スケープゴート”を探している可能性がある。
 そして、その対象が――」

「……エレノア様か」

「そうですわ」

 私は深呼吸した。

「王都の混乱を、“わたくしが原因”であるかのように見せかける――
 そういう意図があると考えられますわ」

 村人たちは恐怖と怒りで揺れていた。

「じゃあ……うちの村は“巻き込まれた”んじゃ……?」

「ええ。でもご安心くださいませ。
 治療方法は必ずあります」

 その言葉に、村の人々の顔が少し明るくなる。

「エレノア様……!」

「助けてくださるのか……!」

 視線が集まる。

 私は頷いた。

「わたくしは“隠居令嬢”ですわ。
 面倒事は嫌いですけれど……」

 ゼノの方を見る。

 彼は静かに、しかし力強い眼差しを向けていた。

「……困っている人を見捨てるのは、もっと嫌いですの」

 微笑むと、ゼノの口元がわずかに緩んだ。

「エレノア様。俺も共に戦う」

「頼もしいお言葉、ありがとうございますわ」

 私は袋の黒い塊をじっと見つめる。

(これは、ただの病ではない。
 “誰かの意図”が、確かに存在している)

 胸の奥がざわつく。

(絶対に、この陰謀を暴いてみせますわ)

 新たな決意が心に宿った。

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