婚約破棄されたけれど、どうぞ勝手に没落してくださいませ。私は辺境で第二の人生を満喫しますわ

鍛高譚

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3-3 忍び寄る影――狙われたのは誰?

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第3章 偽りの夫婦、揺れ動く心

3-3 忍び寄る影――狙われたのは誰?

 倉庫から毒物が見つかった翌朝。
 公爵邸の空気は重苦しく、いつもの静謐さは影を潜めていた。

 アナスタシアは応接室の窓辺に立ち、庭の様子を眺めていた。
 そこには、慌ただしく動く騎士たちの姿がある。

(やはり……ただ事ではありませんわね)

 昨夜、一睡もできなかった。
 倉庫に毒が仕掛けられていたという事実が、胸に誤魔化しようのない不安を植え付けていた。

「アナスタシア」

 背後から声がして、アナスタシアは振り返った。
 ルキウスが扉の前に立っていた。明らかに寝ていない顔で。

「……旦那様。捜査の進展は?」

 アナスタシアが問うと、ルキウスは近くまで歩み寄り、彼女の肩に手を置いた。

「まずは座ろう。落ち着いて聞いてほしい」

 その声音に、ただ事ではない気配を感じて胸が跳ねた。

 二人はソファに並んで腰掛けた。
 ルキウスの横顔は、普段よりずっと険しい。

「……昨夜、邸内に侵入した者がいた。警備をすり抜けて、倉庫に毒を仕掛けたらしい」

「侵入者……」

「だが、もう一つわかったことがある」

 ルキウスの言葉は重かった。

「侵入者は――“君の部屋にも入ろうとしていた”」

「!!」

 アナスタシアの心臓が大きく跳ねた。

 自分の部屋に……?

「い、いったい誰が……わたくしに何の恨みが……」

「それを、今調べさせている。だが――」

 ルキウスは、まるで自分を責めるように目を伏せた。

「アナスタシア。君の婚約破棄の裏に、ただの三角関係以上のものがあった可能性が浮上している」

 アナスタシアは息を呑んだ。

「……まさか、わたくしが……狙われる理由が、婚約破棄に?」

「可能性の一つだ。しかし――」

 ルキウスはアナスタシアの手を取り、そっと握りしめた。

「君の過去について、いくつか確かめたいことがある」

「……わたくしの、過去……?」

 アナスタシアは静かに頷いた。

「……何でもお答えしますわ」


---

 彼女の前世――
 いや、今世の幼い頃から抱えてきた秘密。

 家族からの冷遇。
 元婚約者の裏切り。
 そして、それでも声に出せなかった本当の気持ち。

 アナスタシアは語り始めた。

「わたくしには……昔、まだ幼い頃に仲の良かった少年がおりました。
 彼は……いつも“わたくしを守る”と言ってくださって……」

 言葉が震えた。

「でも……わたくしの地位が揺らいだ瞬間、あっさりと離れていってしまいましたの。
 “価値がない令嬢を守る必要はない”と……」

 アナスタシアは手を膝の上で握りしめた。

「だから……誰も信じないほうが楽だと思って生きてきましたわ」

 ルキウスは静かに眉を寄せた。

「……アナスタシア。その男の名は?」

「……ルーカス・エンデルソンですわ。今は……地方伯爵家の嫡男と聞いております」

「エンデルソン……」

 ルキウスの表情が一瞬で鋭くなる。

「旦那様……?」

「その名には聞き覚えがある。
 エンデルソン家は、王太子派に資金援助をしていた貴族の一つだ」

 アナスタシアの胸が冷える。

「まさか……その男が?」

「まだ断定はできない。しかし、君の過去が今も誰かの利益と結びついている可能性はある」

 アナスタシアは唇を噛む。

(わたくしの……過去が……
 今になって、旦那様に迷惑を……?)

 そんな罪悪感で胸が押し潰されそうになった。

 しかし、次の瞬間――
 ルキウスはアナスタシアの手を強く握った。

「アナスタシア。君は何も悪くない」

「っ……」

「過去を恥じるな。
 君が弱さを隠してきたのは、生きるためだ。
 それを責める者がいたなら、そいつが間違っている」

 アナスタシアの視界が滲む。

「でも……わたくしは……」

「私が守る。
 君の過去も、今も、未来も。
 君を脅かす者は、すべて排除する」

 アナスタシアは震えた。

 その言葉は、愛の告白に近い。
 白い結婚で交わした「干渉しない」という約束を、彼は破ろうとしている。

(……嬉しい……
 どうして……こんなにも……)

 胸が、張り裂けそうだった。

「旦那様……わたくしのために、そこまで……?」

「当然だ」

 ルキウスの声が低く、甘く響いた。

「君を守れない夫など、夫ではない」

「……旦那様……」

 アナスタシアの胸が熱くなる。

(やめて……そんなふうに言われたら……
 もう“白い結婚”のままでいられなくなってしまいますわ……)


---

 その時、激しいノック音が響いた。

「旦那様! 大至急の報告です!」

「入れ」

 騎士が駆け込み、息を切らせながら告げる。

「不審者の一人を捕らえました!
 その者の荷物から――“アナスタシア様の部屋の鍵”を模した複製が見つかりました!」

「何……?」

 アナスタシアの背筋が凍る。

(わたくしの……部屋の鍵……?
 狙われているのは……やはり……わたくし……?)

 騎士は続けた。

「侵入の目的は“アナスタシア様の身柄”。
 売り飛ばす計画があった可能性があります!」

 アナスタシアの顔から血の気が引いた。

 人身売買――
 貴族の娘でも、婚約を破棄され、保護者を失えば標的になりうる。

「アナスタシア……!」

 ルキウスが彼女の肩を抱き寄せるように腕をまわした。

「怖かったな。
 だがもう大丈夫だ。
 今後は、私の許可なしに誰も君に近づけさせない」

 低い声で囁かれ、アナスタシアの体が震える。

(旦那様……わたくし……
 こんなに……守られたことなんて、生まれて初めて……)

 温もりに包まれ、アナスタシアは胸に顔を寄せてしまいそうになる。

 だが、理性が辛うじて警鐘を鳴らした。

(だ、だめ……
 これではまるで……恋する令嬢みたいではありませんの……!)

 しかし離れようとした瞬間、ルキウスがさらに強く抱き寄せた。

「アナスタシア。
 もう……二度と君をひとりにはしない」

「……っ……!」

 彼の腕の中で、アナスタシアは初めて理解した。

 ――自分は、この人を信じたいと思っている。

 白い結婚のはずなのに。
 距離を置くつもりだったのに。

 彼の胸の中は、あまりにも温かかった。


---

 そしてアナスタシアも気づいていない。

 彼女を抱き寄せるルキウスの腕が、
 “もう誰にも渡したくない”という、
 独占欲に震えていることに――。
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