婚約破棄されたけれど、どうぞ勝手に没落してくださいませ。私は辺境で第二の人生を満喫しますわ

鍛高譚

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4-3 白き光、覚醒の兆し――裏切り者が落とす影

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第4章 真実の影と誓い

4-3 白き光、覚醒の兆し――裏切り者が落とす影

 賊の再襲撃から半日。
 公爵邸には、張り詰めた緊張の空気が満ちていた。

 屋敷中の警備が強化され、廊下の角という角に騎士が立つ。
 メイドたちも怯えた様子で足早に動き、厨房では鍋の蓋が震えるほど静まり返っていた。

 アナスタシア――新しい公爵夫人である彼女は、その中心にいた。

(わたくしを狙う何者かが、この屋敷の中に……)

 疑心暗鬼の渦が胸の中で膨れていく。
 だが、不安を悟られまいと、アナスタシアは背筋を伸ばした。

「アナスタシア」

 振り返ると、ルキウスが立っていた。
 いつもより、ほんの少しだけ険しい表情。

「例の件……裏切り者を捕らえた」

「……! 誰ですの?」

「来い。直接見せる」

 ルキウスはアナスタシアを守るように横に立ち、ゆっくりと歩き出す。
 いつもは淡々としている彼の歩幅は、どこか急いていた。

 地下へ続く階段を降りるにつれ、空気は冷たく湿り、暗闇が深くなる。
 アナスタシアは無意識にルキウスの袖を握っていた。

(こんなに……怖いのは久しぶりですわ)

 階段を降りきると、石造りの牢獄が現れた。

 騎士たちが緊張した面持ちで見張りに立っている。
 奥の牢屋の前には、特に屈強な騎士が何人も配置されていた。

 彼らはアナスタシアの姿に気づくと、道を開けた。

「……この中だ」

 ルキウスが牢屋の鉄扉を開ける。

 中にいたのは――

「……エマ?」

 アナスタシアの喉から、意図せず震えた声が漏れた。

 捕らえられていたのは、彼女に付き従ってきた侍女――
 アナスタシアが最も信頼していた侍女のひとり、エマだった。

 牢の隅でうずくまり、ぼんやりと壁を見つめている。
 その姿は、どこか壊れかけた人形のようだった。

「どうして……エマが……」

「禁術師の紋章が見つかった。
 さらに屋敷の内情を外へ漏らしていた証拠もある」

「そんな……あの子が、そんなこと……」

 アナスタシアの胸が締め付けられる。

 けれど、エマの様子は明らかに異常だった。

 虚ろな瞳。
 返事をする気配すらない緩慢な呼吸。
 普段の温和な空気は消え失せ、薄暗い影がまとわりついている。

 まるで――魂そのものが削られたように。

「エマ……わたくしですわ。アナスタシアよ」

 アナスタシアは一歩前に出た。

 すると――エマの体がビクリと震え、ゆっくりと顔がこちらを向く。

「……あ……な……」

「エマ!」

 アナスタシアは駆け寄りかけた。

 その瞬間、ルキウスの腕が彼女の腰を掴み、強く後ろへ引き寄せた。

「近づくなッ!!」

「だ、旦那様! エマは――」

「その目を見ろ!」

 エマの瞳は――黒い。

 本来の彼女の茶色でもなければ、恐怖で瞳孔が開いたものでもない。

 まるで底なしの闇に溶け落ちたような、真っ黒な瞳。

「これは……“操られている目”ですわね……?」

「ああ。禁術の痕跡がある。
 エマ本人の意志ではない」

 ルキウスの声は酷く冷静だった。
 だが、アナスタシアの腰を支える手は震えていた。

(旦那様……わたくしを守るために、こんなにも……)

 胸が熱くなる。


---

 エマの視線が――アナスタシアを捉えた。

 その瞬間、

「しろ……」

 ひび割れた声が耳に届いた。

「白……の……血……」

 アナスタシアの全身が凍りつく。

「あなた……白……の女……
 白の血は……“王”に……ささげ……」

「王? 何の話ですの? エマ、しっかりしなさい!」

 アナスタシアは鉄格子越しに手を伸ばし――

「触れるなッ!」

 ルキウスがアナスタシアの手首を掴んだ。

「禁術に触れる危険がある。絶対に近づくな」

「で、でも……!」

「アナスタシア。
 君が傷つくのは……耐えられない」

 その声が、弱い。
 強靭な公爵である男の声とは思えないほどに。

(あ……旦那様……)

 アナスタシアは息を呑んだ。

 彼がこんな声を出すのを初めて聞いた。


---

 しかし――

 事態はさらに動いた。

「しろ……の……ち……!」

 エマが突然、絶叫した。

「白の血を!! 王に!! ささ……げぇ!!」

 次の瞬間、エマの背後から濃い黒煙が噴き出した。

「禁術の発動だ!! 下がれッ!」

 騎士が叫ぶ間もない。

 黒煙が触れた壁が錆び落ち、床の石が割れ、空気が歪む。

 まるで“呪いそのもの”が形を得ているかのよう。

「アナスタシア、伏せろ!!」

 ルキウスが彼女を抱き寄せ、壁際へ庇い倒す。

 だがその時――

 アナスタシアの胸の奥が、突然焼けるように熱くなった。

「っ、あ……!」

 心臓の鼓動が急激に早まり、

 ――パァァァァッ!!

 アナスタシアの身体から、白い光が爆ぜた。

 眩いほどの純白の光が、黒煙を弾き飛ばす。

 呪いが光に触れた瞬間、ジジジと音を立てて蒸発していった。

「アナスタシア……今のは……!」

 ルキウスがアナスタシアを見る目に、驚愕と――恐ろしく強い感情が混ざる。

「白の……魔力……ですの……?」

 アナスタシア自身も息を呑んだ。

 自分の胸元から、まだ微かに白い燐光が立ちのぼっている。

(どうして……?
 わたくしは、平凡なはず……
 なのに……どうして……?)


---

 エマは床に沈み込み、呻き声だけを吐いている。

 黒煙はほとんど消えていた。

 アナスタシアの白光に――
 呪いが打ち払われたのだ。

「……アナスタシア」

 ルキウスがゆっくりと彼女の肩を掴む。

「君は……白の一族の力を持っている。
 “浄化”の魔力だ。禁術を破る唯一の光」

「浄化……? わたくしが……?」

「ああ。
 本来なら王家にしか宿らない血だ」

 アナスタシアは震える手で胸を押さえた。

(わたくしは……一体……何……?)

 恐怖よりも、混乱が全身を支配する。

 その肩を、ルキウスがそっと抱き寄せた。

「アナスタシア。
 君を狙う者が誰であろうと……
 私は絶対に渡さない。
 君を守るためなら、この国を敵に回してもいい」

 その低い声は、熱く、揺るぎなく、彼の本心そのものだった。

(旦那様……)

 アナスタシアは目を閉じ、胸の奥が強く震えた。

 恐怖が――消えていく。
 彼がそばにいる限り、どんな闇も怖くない。

「……ありがとうございます、旦那様。
 わたくし……逃げません。
 あなたと共に立ち向かいますわ」

 ルキウスの腕の力がわずかに強まる。

 そして、初めて。

 彼はアナスタシアの額に――そっと口づけた。

「……君を失うのだけは……耐えられない」

 その言葉が胸の奥深くまで届いた瞬間、アナスタシアの白い光は完全に収まった。

 まるでルキウスの温もりが、光をそっと包み込んだかのように。


---

 その後、エマは昏睡状態に陥り、禁術に操られていたと判明した。
 “白の血”を求める謎の存在――“闇の王”。
 そしてアナスタシアの内に眠る白い力。

 すべてが静かに、しかし確実に――
 ひとつの真実へ収束していく。

 この夜、ふたりの距離はもう、白い結婚ではいられないほどに近づいた。


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