婚約破棄?結構ですわ。公爵令嬢は今日も優雅に生きております

鍛高譚

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第3章 ――市場をゆく貴族令嬢

12話

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思わぬトラブル? 市場の喧嘩騒ぎ

 私たちがスパイスを購入して少し歩いたところで、人だかりができているのを見かけた。何やら大声で言い争う男たちの声が聞こえ、周囲はその様子を遠巻きに見守っているらしい。中央には若い男と中年の男が睨み合い、突き飛ばさんばかりの勢いで口論を続けていた。

「貴様! 俺の店の品物を勝手に傷つけておいて、ただで済むと思うのか!」
「はっ、傷なんぞついてないだろうが。大袈裟なんだよ、てめぇ!」

 こんな大勢の前で堂々と怒鳴り合うなんて、なかなかの騒ぎだ。周囲の商人や客があわてて仲裁に入ろうとするが、両者とも興奮状態のようで、なかなか収まらない。

「お嬢様、近づかないほうがよろしいかと……」

 マーガレットが心配そうに私の腕を引く。しかし、私は少し考え込んだ末、「まあ、そうね」と同意しつつも、やはり気になってしまう。市場では日常的にこういったトラブルも起こるのだろうか。できれば私が口を挟んで収まるなら……と思うが、貴族令嬢として横やりを入れるのは得策ではないかもしれない。

「……いいえ、ちょっと見てみましょう。危なくなければ大丈夫よ、マーガレット」

 私はそう言って、人だかりの後ろへ回り、様子を探るようにそっと立ち止まる。二人の男はどうやら隣り合った露店の商人同士らしい。若い男は果物を売っており、中年の男は陶器を扱っているようだ。

「お前がうちの陶器を落としかけただろうが! 危うく割れてるところだったんだぞ!」
「そっちは勝手に店先を広げすぎなんだよ! 客が通れねぇって文句言ってんのが分かんねぇのか!?」

 なるほど、どうやら店の境界が曖昧で、ものの配置を巡るトラブルのようだ。市場では場所取りが重要で、少しでも広いスペースを確保しようとする商人もいると聞く。いずれにせよ、二人の売り物がぶつかりそうになったことは間違いないのだろう。

「……これ以上騒いでいると、市場の管理人や領主の役人が来るかもしれんぞ」
「望むところだ! お前みたいなやつ、営業禁止にしてもらいたいくらいだ!」

 男同士の言い争いは激化するばかり。周りにいる人々は、早く仲裁してくれと視線を交わしているが、誰もはっきりと割って入ろうとしない。そこで私は、ちらりとマーガレットの顔色をうかがう。彼女は「お嬢様、危険ですよ……」と何度も目で訴えていたが、私は心を決める。

「ちょっと、あなたたち。そこまで大声を張り上げて、この市場を乱すつもりかしら?」

 静かに、それでいて通る声で問いかける。周囲がはっと息をのむような空気が流れた。私のほうへちらりと視線をやった若い男は、私の服装を見て目を丸くする。中年の男のほうも、貴族然としたドレス姿の私が口を挟んでくるとは思わなかったのだろう、ややたじろぐ。

「誰だ、てめえ……って、なんだお嬢さん、ここは危ねぇから下がってなさい」
「いや、あなたこそ落ち着いて。どう見てもあなた方が衝突して周囲に迷惑をかけているわ」

 私は毅然とした口調で言い放つ。別に彼らを威圧したいわけではないが、市場がこれ以上荒れるのは望ましくない。このままではほかの商人や客も怖がってしまうし、市の秩序が乱れてしまうかもしれない。

「う、うるせぇな……。こいつが悪いんだよ! 俺の陶器にぶつかりやがって、弁償しろって話だ!」
「ふざけるな、最初に場所をはみ出したのはそっちだろうが!」

 二人はなおも言い合うが、私がひとつ息をつき、冷静に問いかける。

「で、実際に陶器が割れたの? それとも割れそうになっただけ? もし割れたなら、その破損品を見せてちょうだい。事情を整理しないと分からないわ」

「……割れてはいないが、もし落ちていたら大損害だったんだ!」
「こいつはしつこいんだよ。俺だって、別に陶器を壊したいわけじゃないが、客が通れなくなるほどスペースを取るからだろ!」

 なるほど、まだ実害は出ていない。つまり、今のところ「割れそうになった」というだけで、実際には何も壊されていないわけだ。それなら、まずは話し合いで解決する余地が十分にある。

「ねえ、もし本当に割れていたら、きちんと弁償をして話し合う必要があるわね。でも割れなかったのなら、そこまで騒がなくてもいいんじゃないかしら。むしろ場所の境界があいまいなのが問題でしょ? 私が見たところ、どちらも広げすぎているように見えるわ」

 私は敢えて中立の立場から、両方に問題があると指摘する。若い男も中年の男も、むっとしてこちらを見るが、同時に「確かに……」と納得した表情になっていく。

「そ、それは……でもよ……」
「場所取りに必死なのは分かるけど、互いに自分の店を守りたいあまり、相手を攻撃しているだけに見えるわ。お客さんが通りにくくなるのは事実だし、もし怪我人が出たらどうするの?」

 私は周囲のお客や商人たちにも視線を送る。彼らは困惑しながらも、「そうだよ、通れなくて不便だった」「あんたたちの喧嘩に巻き込まれるのはゴメンだ」など、ポツポツと声を上げ始める。若い男と中年の男は気まずそうに顔を見合わせ、やがてどちらからともなく口を開いた。

「……悪かったな。俺も熱くなりすぎた」
「俺も、ちょっと神経質になりすぎたかもしれん。すまなかった」

 彼らが頭を下げ合い、握手こそしないが、お互いに謝罪の言葉を口にしたのを確認して、私はほっと胸をなで下ろす。どうやら大事には至らずに済んだらしい。周囲の見物人も安堵したように拍手し、「よかったよかった」と笑い合う。

「仲直りできるならそれがいちばんよ。場所取りの問題は、市場の管理人や自治組合に相談して、線をはっきりと引くなど改善したらどうかしら。そうすれば、こんな喧嘩をする必要もなくなるでしょう?」

 私が提案すると、男たちはうなずく。彼らもまさか貴族の令嬢から諭されるとは思っていなかっただろうが、私のドレスや佇まいからただならぬお屋敷の娘だと察したのか、文句も言わず素直に受け止めている。

「ありがとうございます、お嬢さん……じゃなくて、お嬢様? その……感謝しますよ。本当なら役人や管理人が仲裁に入るところ、あんたが説得してくれたからこんな程度で収まった」
「そうだな。……あんたが割れてないか確認しろって言ってくれなかったら、俺はずっと腹を立てたままだったかもしれん」

 そう言って頭を下げる二人に、私は微笑んで応じる。マーガレットも少し緊張していたようだが、結果的に収まったので安心した表情だ。

「いえいえ、私はちょっと気になったから口を挟んだだけ。あなたたちが素直に聞いてくれたからこそ解決したのよ。もう二度とこんなふうに喧嘩しないで、うまく商売してちょうだいね」

 私はそう締めくくると、その場を離れる。周囲の人垣も自然と解け、再び市場の賑わいが戻っていく。後ろをついてくるマーガレットは、ほんの少し呆れ気味にため息をつきながら言う。

「お嬢様、まさか仲裁に入るとは……ひやひやしましたよ。ですが、さすがですね。上手に収められて、私もほっとしております」

「そうかしら? ただ、人混みの中で大声出しているのを見ると、誰かが止めないとエスカレートしちゃいそうだったから。結果オーライでよかったわね」

 前世でも、路上での小競り合いを見かけることはあったが、滅多に口出しはしなかった。だが今回は異世界だし、私もこの領の公爵令嬢だ。少しくらい口を挟む権利はあるだろうし、何より市場の秩序が乱れるのは見過ごせない。
 それに、こんな小さなトラブルでも、解決できるならしたほうがいい。私が復讐や憎悪に囚われず、前を向いて進むのと同じように、ここで商売をしている人々にも不必要な喧嘩をしてほしくないのだ。
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