婚約破棄?結構ですわ。公爵令嬢は今日も優雅に生きております

鍛高譚

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第3章 ――市場をゆく貴族令嬢

13話

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新たな出会い――不思議な客と踊る瞳

 喧嘩が収まり、市場の熱気も一段落したのを感じながら、私はマーガレットとともに露店を見て回る。野菜や果物、香辛料に続いて、今度は布や装飾品が集まるエリアへ足を運んだ。ここには色とりどりの布地やレース、リボンなどが所狭しと並べられていて、見ているだけでも楽しい。

「綺麗ねぇ……。レイラお嬢様、いかがでしょうか? これなど、お嬢様のドレスに合わせたら素敵だと思いますが」

 マーガレットがすすめてくれるのは、淡いラベンダー色のレース生地。手に取ると、やわらかな手触りが心地よい。私にはまだドレスの仕立てに関する専門知識はないけれど、「これを使って袖口や裾を飾れば、かなり華やかな仕上がりになるだろうな」と想像できる。

「いいわね、それ。ちょっと採寸してもらって、必要な長さを購入しましょうか」

 そう言いかけた瞬間、私の横を黒いマントを纏った男がさっと通り過ぎていった。僅かにぶつかりそうになったが、彼は器用に身をかわして私を避けている。マーガレットが驚いたように「危ない……!」と声を上げたが、男はちらりとこちらを振り向き、「失礼」とひと言だけ呟き、すぐに人混みに紛れていった。

「今の人、すごく身軽だったわね……。なんだか慌ててる様子だったけど」

「そうですね。商人というより、旅の冒険者か何かでしょうか。黒いマントを着けて顔の半分を隠していましたね」

 マーガレットの言うとおり、男の顔は半分マスクのような布で覆われていた。市場には様々な人が訪れるし、冒険者や傭兵、あるいは盗賊の類が紛れ込むこともあると聞く。少し警戒心を抱きながらも、特に危害を加える気配もなさそうだったので、そのまま気にしないことにした。

「ま、いろんな人がいるのよね。……それより、このレースの量はどのくらい必要になるかしら?」

 私は改めて意識を布のほうに戻し、売り子の女性に採寸をお願いする。すると、その最中に突然背後から声をかけられた。

「その生地、あなたのドレスに合わせるなら、もう少し濃い色味のリボンを組み合わせたほうが映えますよ」

 驚いて振り返ると、そこにはスタイリッシュな装いをした男性が立っていた。歳の頃は二十代後半くらいか、やや細身で長い手足を優雅に動かし、まるでモデルのような印象を受ける。髪は明るい茶色で軽くウェーブがかかっており、瞳は淡いブルー。微笑む口元にはどこか余裕が感じられる。

「……あなたは?」

「申し遅れました。私はファビアンと申します。この街の仕立て屋で働いております」

 ファビアンと名乗る男は軽く一礼し、私とマーガレットをひと目で観察するように見つめた。私はレイラとして貴族の身分を隠しているわけではないが、必要以上に身分を誇示するつもりもない。

「仕立て屋さん、なのね。確かに、私が選んだだけだと配色のバランスが難しいかもしれないわ。私、あまり詳しくないから」

「いえいえ、お嬢様のセンスは悪くありませんよ。ただ、せっかくならもう一歩冒険してみてもよろしいかと。私なら、ラベンダー色のレース生地には、少し深みのある青や紫のリボンをポイント使いして、全体を引き締めますね。そうすれば、例えば胸元や袖口のラインがより際立つと思います」

 なるほど、プロの意見は確かに説得力がある。私が「へぇ」と感心すると、ファビアンは嬉しそうに目を細め、さらにいくつかのサンプルを見せてくれた。彼は色彩感覚に優れているようで、実際に合わせてみると私が想像していた以上に上品で華やかな印象を作り出せそうだった。

「お嬢様、さすがに私たちだけでは難しいかもしれませんね。専門家の方にアドバイスしていただくのもいいかも……」

 マーガレットがそう提案し、私も同感だったので「じゃあ、ファビアンさん、あなたの仕立て屋でドレスの相談を受けてもらうことはできる?」と尋ねた。彼は笑みを深めて頷く。

「もちろんですとも。私は“ベルローズ仕立て屋”の主任デザイナーとして働いております。もしお時間があれば、いつでもお店にいらしてください。きっとお嬢様にぴったりのドレスをご提案できますよ」

「ベルローズ仕立て屋……。聞いたことあるような、ないような……」

 レイラの記憶を探るが、宮廷や社交界で名が知られているのは“ル・ミエール”や“エヴァンジェリーク”といった高級仕立て屋が多い。ベルローズはそこまで有名ではないのかもしれないが、ファビアンの提案力を見れば、侮れない技術を持っていそうだ。

「わかったわ。機会があれば伺うわね。今日は市場に遊びに来たから、あまり長居はできないし」

「ええ、ぜひお気軽に。お嬢様ほどの美貌なら、きっとどんなドレスもお似合いになりますよ」

 ファビアンはお世辞めいた言葉を自然に口にするが、不快な感じはない。むしろスマートに人を褒める術を心得ているようで、その物腰に好感を持てる。私は軽く会釈をし、彼も優雅に一礼して去っていった。

「……なんだか、不思議な出会いね。ひょんなことから仕立て屋さんの名刺代わりのようなアドバイスを受けるなんて」

「そうですね。なかなか感じの良い方でした。お嬢様、もし本当にドレスを仕立てるなら、あのお店も候補に入れてみてもよいかもしれませんね」

「そうね。前世と違って、私は今や貴族令嬢。ドレスだって何着か新調したいわ。せっかくだから、いろいろ楽しんでみましょう」

 私は心を弾ませながら、ラベンダー色のレース生地とファビアンの提案したリボンを少しだけ購入することにした。ひとまずサンプルとして屋敷へ持ち帰り、執事や仕立て担当の使用人とも相談してみるつもりだ。

市場を後にして――芽生える新たな展望

 やがて私とマーガレットは市場での買い物をひととおり終え、馬車が待機している場所へ戻ることにした。パンやスパイス、布地など、思っていた以上にいろいろ手に入ったし、喧嘩を仲裁するというハプニングもあったが、全体としては充実した時間だった。

「お嬢様、本日はお疲れになったでしょう? お屋敷に帰りましたら、すぐに休まれますか?」

 マーガレットが心配そうに聞くが、私は疲労感よりも満足感が勝っていた。むしろまだまだ見たいところはあるが、さすがに長居しすぎても屋敷の用事があるだろうから、今日はこのくらいにしておくほうがいいだろう。

「大丈夫よ。屋敷に帰ったら戦利品を広げて、どんな風に活かせるか検討してみたいわ。早速、料理長にスパイスを試してもらいたいし、執事にパンの件を相談してもいいし……」

 私はうきうきと馬車へ乗り込み、マーガレットもほっとしたように私の横に座る。御者が「お帰りですね、お嬢様」と確認し、私が「ええ、お願い」と返すと、馬車はゆっくりと動き出した。
 外の景色を眺めながら、私は今日の出来事を思い返す。市で出会ったパン屋の店主や香辛料の商人、喧嘩をしていた商人たち、そしてファビアンという仕立て屋。彼らはいずれも、自分の技術や商品を誇りに思い、少しでも暮らしを良くしようと頑張っている人たちだ。前世の私がいたブラック企業とは違い、それぞれが個人の力で生きる道を模索しているのが伝わってくる。

(婚約破棄されたけど、本当に気が楽になったわ。もしまだ王太子の婚約者のままだったら、こうして市場を自由に歩き回ることも難しかったかも……)

 王宮からの束縛がない今こそ、こうして領地を巡り、人々と触れ合う機会を増やしていきたいと思う。昨日のぶどう園もそうだが、まだまだアーデルハイド領には多くの“宝”が眠っているはずだ。それを見つけて磨き上げることで、領地全体をさらに豊かにする――そんな領主の仕事に手を貸すのも、貴族令嬢の役割のひとつではないかと感じ始めている。

「王太子が後悔してるかもしれない……? でも、私には関係ないわ。私がやるべきこと、やりたいことがたくさんあるから」

 ぽつりと呟いた言葉は、馬車の揺れにかき消されるように風に流れた。マーガレットは何も言わずに微笑んでいる。おそらく、私の想いを察してくれているのだろう。
 こうして市場を訪れただけでも、私が異世界に生きる意味を強く感じることができた。誰かに復讐するでもなく、恋愛に溺れるでもない。のんびりと貴族生活を満喫しながら、必要とあらば周囲を助け、結果として周囲が私を必要としてくれる――そんな未来が、確かに開けつつあるのを感じる。

 馬車は屋敷への帰路を進み、石畳を規則正しく響かせながら行く。私はそのリズムに身を委ねながら、そっと瞼を閉じる。頭の中では、ぶどう園や市場で得た新しいアイデアが泉のように湧き出していた。どれをどう試すか、具体的に検討するのが楽しみで仕方ない。領民や商人たちの知恵を借りながら、いろいろ挑戦してみよう――心が弾む。

(そうだ、ワインとパンの相性をどう広めるか? スパイスを使った新しい料理は? 仕立て屋で新しいドレスを作ったら、屋敷のパーティでお披露目もできるかしら?)

 婚約破棄という出来事があったからこそ、今の私がある。もし婚約が継続していたら、きっと王宮の規則や人間関係に気を遣い、こんなにも自由に活動することはできなかっただろう。思えば、失ったものより得たもののほうがはるかに大きいように感じる。

 やがて馬車は公爵家の敷地に入り、広々とした庭を横切って玄関へと到着した。待機していた使用人たちが走り寄り、ドアを開けてくれる。私はケープを軽く払って馬車を降り、マーガレットとともに玄関ホールをくぐる。

「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま。皆さん、ご苦労さま」

 使用人たちがぺこりと頭を下げる。私はそのまま階段を上がり、自室へ向かう。手に入れたスパイスや布地などをまとめておいて、後で執事や料理長に声をかけるとしよう。その前に少しだけ休憩して、今日の出来事を振り返りながら、ノートにメモを取るのも悪くない。

(結局、ザマァなんて興味ないわ。復讐するより、こうして日常を充実させるほうがずっと楽しいもの)

 そう自分に言い聞かせるまでもなく、私の心にはすでに迷いはない。婚約破棄された直後こそ「どうなるかな?」という漠然とした不安があったが、今は前進する意志に満ちている。私の中で、新しい人生の大きな歯車が動き出しているのをはっきりと感じるのだ。
 それはまるで、静かだった湖面に一筋の風が吹き、波紋が広がり続けるかのよう。誰かが望む“復讐劇”ではなく、私らしく、私の幸せを探求していくための波紋。さあ、次は何をしよう――そう思うだけで、笑みがこぼれて止まらない。
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