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058 悪という存在
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「いくら実力を証明したかったからって言ったって、死ぬとこだったのよ?」
ねずみの皮膚はとても固い。
しかも動きも俊敏で、先ほどのように動けない状況でもなければ中々攻撃は当たらないのだ。
だから父は職人に薬玉を作らせて、私たちにも戦わずに逃げることを徹底させている。
本物の騎士たちならともかく、私といくつも変わらないような子どもが戦って勝てる相手なんかではないのだ。
それを父親と喧嘩したからって、普通やる?
男の子の考えって私には全然わからないわ。
飛躍しすぎでしょう。死んだらどうするつもりだったのかしら。
「森で小さなモンスターを倒したことは何度もあるんだ。だから地下にいるのがねずみだって聞いたから、大丈夫だろうって思ってしまったんだ」
「あー」
ねずみね。
普通のサイズを考えたら、まぁ、小さいわよね。
「でもねずみってね、他の生き物と違ってすごく素早いの。ツメだって鋭いし、あなたが考えていたサイズだって、討伐は大変だったはずよ」
「うん、そうだね。父さんが俺が未熟だって言った意味が、あの時初めて分かったよ。本当にもうダメだって思ったんだ」
「でしょうね」
呆れた様にため息交じりにそう言えば、彼はただ肩を落とした。
ちょっと言い過ぎたかしら。
きっとこの後、どうせ家でも私以上に怒られるはずだし。
あんまり責めても可哀そうね。
「これに懲りたら二度と地下には行かないことね」
「でも君は……」
「私は仕事なの」
「仕事?」
「そう、仕事。あなたと私では住む世界が違うのよ」
言っても分からないだろうな。
私の住む世界とこの子が住む世界では、あの地下とこの地上ほどの差があることなんて。
「とにかく家に帰らなきゃ。予定よりだいぶ遅くなってしまっているから、怒られちゃう」
「まずは俺の家に行こう! そこで治療してもらって、そのあとうちの馬車で送るよ。その時、俺が君の家の人に謝るから」
「……」
まっすぐな瞳が私をのぞき込む。
きっと、彼の中でそれは正義であり償いなのだろう。
だけど……。
「いいわ。大丈夫。一人で帰れるから」
「そんな足で歩けるわけないだろ!」
慌てふためく彼から視線を外しながら、私は無理やり立ち上がった。
痛いのを通り越し、もはや感覚すらない私の足。
きっと酷いことになっているに違いない。
でも私はその足から目を逸らし、歯を食いしばる。
「ほら、大丈夫でしょう」
「ほらって、すごい汗じゃないか」
「暑いからよ」
本当は暑さなんて、全然感じられない。
ただ感覚のない足に、自分の心臓が移動してしまったよう。
足からドクドクと嫌な音だけが体に響いていた。
「無理だって! 俺のせいだから、俺が……」
「おぼっちゃま!」
彼の声を遮るように、遠くから声が聞こえる。
どうやら屋敷から抜け出したこの子を探しにきた人たちのようだ。
「迎えだ! 行こう、君を運んでもらうよ」
彼はそう言いながら、私に手を差し出した。
私はその綺麗な手をジッと見る。
この手を掴むことは簡単だ。
ただ掴んでしまえばいい。
本当はきっと歩けないくらい酷い傷だし、家に帰っても治療してもらえるかも分からない。
それならこの手を取って、彼の家で治療してもらうべきなのだろう。
だってこの傷は彼を助けて出来たものだから。
きっと治療ぐらいで、文句は言われないはず。
命の恩人だもの。
だけど、だけど……。
もしそんなことをしてもらったら、その先に父がこの子の家に対して何をするかなんて簡単に想像が出来る。
これが感じの悪い貴族の子だったら、やってもらえばいい、父が慰謝料をふっかけたって、私の知ったことではないって思えたのだろうけど。
この子に対しては、嫌だなって思ってしまった。
「おぼっちゃま、こんなとこにいらしたのですか!」
護衛の騎士なのだろうか。
鎧を着た大柄の男が、私たちに近づいてきた。
「地下に入ってしまって、それでこの子が怪我を……」
彼の言葉に驚きつつも、騎士は私を見た。
すると私を見た騎士は驚き、目を見開く。
「その髪、ダントレット商会の……」
「ダントレット?」
「おまえ、何が目的でおぼっちゃまに近づいた」
警戒するように、男の子の前に騎士が出て来る。
まぁ、いつも通りの反応だ。
うちの悪名を知らない人など、この国にはいない。
そんな悪が、自分の仕える家の子に手を出したって思ったのだろう。
それが事実であろうとなかろうと、きっと関係ないのだ。
それくらいうちは、全ての人にとって悪なのだから。
「別に何も。地下に落ちたようなので、地上に届けただけ。むしろそちらが貴族の子が地下に入らない様に監督すべきでは?」
「なんだと!」
「地上までわざわざ届けましたし、こちらに落ち度はないかと」
私の言葉に、騎士は益々顔を赤くさせる。
でもこれでいい。
ここまで言えば、きっとあとはこの騎士がうまくやってくれるわね。
「帰りますよ、おぼっちゃま。お父上が心底心配しておられます」
「だけど、彼女が怪我を!」
「アレに関わってはいけません」
「でも、でも!」
子どものように駄々をこねる彼を、騎士は小脇に抱きかかえる。
「待って、彼女が俺のせいで怪我を! 歩ける状態じゃないんだ! 治療をしなきゃ」
「いいんです。勝手にするでしょう」
騎士はそう吐き捨てる様に言うと、振り返ることもせずに歩き出す。
私は必死に叫ぶ彼に、小さく手を振った。
ねずみの皮膚はとても固い。
しかも動きも俊敏で、先ほどのように動けない状況でもなければ中々攻撃は当たらないのだ。
だから父は職人に薬玉を作らせて、私たちにも戦わずに逃げることを徹底させている。
本物の騎士たちならともかく、私といくつも変わらないような子どもが戦って勝てる相手なんかではないのだ。
それを父親と喧嘩したからって、普通やる?
男の子の考えって私には全然わからないわ。
飛躍しすぎでしょう。死んだらどうするつもりだったのかしら。
「森で小さなモンスターを倒したことは何度もあるんだ。だから地下にいるのがねずみだって聞いたから、大丈夫だろうって思ってしまったんだ」
「あー」
ねずみね。
普通のサイズを考えたら、まぁ、小さいわよね。
「でもねずみってね、他の生き物と違ってすごく素早いの。ツメだって鋭いし、あなたが考えていたサイズだって、討伐は大変だったはずよ」
「うん、そうだね。父さんが俺が未熟だって言った意味が、あの時初めて分かったよ。本当にもうダメだって思ったんだ」
「でしょうね」
呆れた様にため息交じりにそう言えば、彼はただ肩を落とした。
ちょっと言い過ぎたかしら。
きっとこの後、どうせ家でも私以上に怒られるはずだし。
あんまり責めても可哀そうね。
「これに懲りたら二度と地下には行かないことね」
「でも君は……」
「私は仕事なの」
「仕事?」
「そう、仕事。あなたと私では住む世界が違うのよ」
言っても分からないだろうな。
私の住む世界とこの子が住む世界では、あの地下とこの地上ほどの差があることなんて。
「とにかく家に帰らなきゃ。予定よりだいぶ遅くなってしまっているから、怒られちゃう」
「まずは俺の家に行こう! そこで治療してもらって、そのあとうちの馬車で送るよ。その時、俺が君の家の人に謝るから」
「……」
まっすぐな瞳が私をのぞき込む。
きっと、彼の中でそれは正義であり償いなのだろう。
だけど……。
「いいわ。大丈夫。一人で帰れるから」
「そんな足で歩けるわけないだろ!」
慌てふためく彼から視線を外しながら、私は無理やり立ち上がった。
痛いのを通り越し、もはや感覚すらない私の足。
きっと酷いことになっているに違いない。
でも私はその足から目を逸らし、歯を食いしばる。
「ほら、大丈夫でしょう」
「ほらって、すごい汗じゃないか」
「暑いからよ」
本当は暑さなんて、全然感じられない。
ただ感覚のない足に、自分の心臓が移動してしまったよう。
足からドクドクと嫌な音だけが体に響いていた。
「無理だって! 俺のせいだから、俺が……」
「おぼっちゃま!」
彼の声を遮るように、遠くから声が聞こえる。
どうやら屋敷から抜け出したこの子を探しにきた人たちのようだ。
「迎えだ! 行こう、君を運んでもらうよ」
彼はそう言いながら、私に手を差し出した。
私はその綺麗な手をジッと見る。
この手を掴むことは簡単だ。
ただ掴んでしまえばいい。
本当はきっと歩けないくらい酷い傷だし、家に帰っても治療してもらえるかも分からない。
それならこの手を取って、彼の家で治療してもらうべきなのだろう。
だってこの傷は彼を助けて出来たものだから。
きっと治療ぐらいで、文句は言われないはず。
命の恩人だもの。
だけど、だけど……。
もしそんなことをしてもらったら、その先に父がこの子の家に対して何をするかなんて簡単に想像が出来る。
これが感じの悪い貴族の子だったら、やってもらえばいい、父が慰謝料をふっかけたって、私の知ったことではないって思えたのだろうけど。
この子に対しては、嫌だなって思ってしまった。
「おぼっちゃま、こんなとこにいらしたのですか!」
護衛の騎士なのだろうか。
鎧を着た大柄の男が、私たちに近づいてきた。
「地下に入ってしまって、それでこの子が怪我を……」
彼の言葉に驚きつつも、騎士は私を見た。
すると私を見た騎士は驚き、目を見開く。
「その髪、ダントレット商会の……」
「ダントレット?」
「おまえ、何が目的でおぼっちゃまに近づいた」
警戒するように、男の子の前に騎士が出て来る。
まぁ、いつも通りの反応だ。
うちの悪名を知らない人など、この国にはいない。
そんな悪が、自分の仕える家の子に手を出したって思ったのだろう。
それが事実であろうとなかろうと、きっと関係ないのだ。
それくらいうちは、全ての人にとって悪なのだから。
「別に何も。地下に落ちたようなので、地上に届けただけ。むしろそちらが貴族の子が地下に入らない様に監督すべきでは?」
「なんだと!」
「地上までわざわざ届けましたし、こちらに落ち度はないかと」
私の言葉に、騎士は益々顔を赤くさせる。
でもこれでいい。
ここまで言えば、きっとあとはこの騎士がうまくやってくれるわね。
「帰りますよ、おぼっちゃま。お父上が心底心配しておられます」
「だけど、彼女が怪我を!」
「アレに関わってはいけません」
「でも、でも!」
子どものように駄々をこねる彼を、騎士は小脇に抱きかかえる。
「待って、彼女が俺のせいで怪我を! 歩ける状態じゃないんだ! 治療をしなきゃ」
「いいんです。勝手にするでしょう」
騎士はそう吐き捨てる様に言うと、振り返ることもせずに歩き出す。
私は必死に叫ぶ彼に、小さく手を振った。
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