白い結婚にさよならを。死に戻った私はすべてを手に入れる。

美杉日和。(旧美杉。)

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035 父の思惑を超えて

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 自分の足で歩くと片道三十分くらいだろうか。
 そんな実家までの道を、馬車だとたった五分ほどで到着してしまった。

 公爵家の馬車が商会の前に横付けされると、何事がおきたのかとわらわらと使用人たちが不安げな顔で出てきた。

 そして遠巻きに馬車を見つめている。

 裏に停めてもらう方が良かったんだけど、さすがに公爵家の馬車を裏に案内するわけにもいかないし。
 
「つきましたよ、お嬢様」

 御者のエスコートで私が下りると、なぜか感嘆かんたんの声が上がった。

「あ、アンリエッタ様……」

 こんな格好をしているせいか、みんな変な顔するわね。
 いつもならもっと距離感だって近いのに。

 いくら結婚して貴族となったからといって、私自身は何も変わっていないのに。

「ここで少し待っていただいても大丈夫かしら」
「もちろんです、お嬢様。お時間までお待ちいたします」
「ありがとう」

 使用人や下の者には敬語は使わない。
 貴族としてのマナーはまだ全然分からないけど、マリアンヌからそれだけは気を付けるように言われてきた。

 それをやってしまうと、使用人まで困らせちゃうって。
 最低限これだけは気を付けなきゃね。

「あ、アンリエッタ様」

 遠巻きで見ていた商会の使用人たちに、私は尋ねた。

「お父様と昼に会う約束をしてあったんだけど。今、執務室かしら」
「はい。中にいらっしゃるはずです」
「そう。ありがとう」

 少し時間は早いけど、せっかちなあの人のことだもの。
 早い分には問題ないわね。

 私は集まった使用人たちに軽く手を振ると、勝手知ったるとばかりに一人執務室へ向かった。

 ドアをノックする瞬間、いつか見た光景を思い出す。
 あの日は今日のように快晴ではなく、冷たい雨が降っていたっけ。

 父は散々私を罵ったあと、最後の自由をくれた。
 死に向かうという自由を……。

 どこかイラつく感情を、笑顔で隠す。
 大丈夫、今度は。
 私が奪う番だから。
 そう自分に言い聞かせ、ドアをノックして執務室へ入った。

「アンリエッタ、あの契約はどういうことだ!」

 父は私が入室するなり、開口一番に怒鳴り散らし書類を投げつけた。
 距離があったせいか書類はそのまま床に落ちる。

 私はそれを拾い上げ目を通しつつ、父の傍へ近寄った。
 
 父は相変わらず椅子から立とうともしない。
 一応、身分は私の方がずっと上だというのに、この態度。
 もっとも、この人にはそんなの関係ないものね。

 投げ捨てた書類には私が約束させたように、半永久的に地下清掃をうちが受け持つとされている。
 しかし契約者はこの商会ではなく、現商会長である私になっていた。

 おそらく一割引きを言い出した私の名前をわざわざ書いたのだろう。
 ダントレット商会と契約者名にしたら、父がうるさそうだと向こうも思ったのかもしれない。

 だからこんなに父の機嫌が悪いのね。
 私に仕事を盗られたと思っているみたい。

「なにか問題でもありましたか、お父様」
「大ありだろう! なんだこの契約書は」
「なんだと申されましても……。お父様が貴族の名を買ったからこそではないですか?」
「なぜそうなる」

 普通はそうでしょうね。
 向こうの意図も知ってるけど、この契約は私にとってもこっちの方が都合がいいのよ。

 なんとか言いくるめなきゃ。

「お父様が貴族籍をお買いになったので、この契約が取り戻せたというものです」
「それは」
「確かに契約者は私の名前ですが、そんなのはささやかな問題ではないですか。私は結婚したとしても、この家のものであることには変わりないですし」

 父は私の言葉に腕を組みながら、唸り、眉間にシワを寄せた。
 
 そう、名義なんてささいなこと。
 父にとってはあの男爵家も私も自分の所有物なんですもの。
 
「だがなぜ割引なんぞしよったんだ。損失だろう」
「そうですね。しかし仕方なかったのです。そうでもしないとスムーズな契約ができませんでしたから」
「それはお前が下手だからだろう!」
「はい、お父様のように上手くできず申し訳ございません」

 頭を下げてもまだ、父はぶつぶつと文句をたれている。
 自分では契約を取り戻すこともできなかったというのに、まったく強欲な人ね。

「ですがそれによって一つ、得たものもございます」
「なんだ」
「公爵家との縁ですわ」

 私は窓の外に見える公爵家の馬車を指さした。
 父はいぶかしがりながらも、それを見た。

「本日は公爵家の三男であるブレイズ様にお招きされております」
「三男は騎士団長か」
「はい。今後、貴族への仕事を拡大させていく上で何よりも役に立つかと」
「そうだな、アンリエッタ。たまにはお前も使えるものだ」

 自慢のひげを撫でながら、父は満足げに馬車をいつまでも眺めていた。
 
 使える、ね。
 私のことをいつまでも道具だと勝手に思っておけばいいわ。

 気づかれぬように、拳に力を入れる。
 あそこから父を引きずり落とすのは、一番最後だから今は我慢よ。

「潰れる寸前の男爵家など、ただの足掛かりにすぎん。なんとしても公爵家の懐に入るんだな」
「はい」

 本当はそんな簡単なことではないけど、今はそう返事するしかない。
 ここではあくまで従順な娘を演じることが重要なのだから。

「一つお願いがあるんですが」
「なんだ」
「あの薬玉を少しいただいてもよろしいですか?」
「売るのか?」
「売れそうでしたら、そうしたいかと」

 あれは地下の灰色ネズミ用にうちが下請けに作らせている特注品だ。
 ここでしか手に入らないが、ここでしか需要もない。

 だから元より下請けにもかなり安く作らせている。

「一つ銅貨二枚だぞ」

 確か原価は一つ銅貨一枚もしなかった気がするけど。
 倍以上で売りつけようなんて、さすがとしか言えないわね。

 だけど父は自分で使ったことがないから、あれの価値を全く分かっていない。
 
「もちろんです、お父様。少し借りていきますね」
「せいぜいたくさん売りつけてこい」
「はい。頑張ってきます」

 私はとびきりの作り笑顔のまま、父の執務室をあとにした。
 作業場で持てるだけの薬玉を袋に入れてもらうと、馬車に乗り込む。

 馬車はやや疲労困憊ひろうこんぱいする私を乗せ、公爵家へ向かう。

 そして彼は、この前の表情が嘘のように私を出迎えてくれた――
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