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第5話:謎の献身的看病生活
しおりを挟む辺境の地は、王都の喧騒とはかけ離れた静寂に包まれていた。豊かな自然が織りなす風景の中で、ユリウス・グレンジャーが身を寄せた祖父の家は、壮麗な公爵邸とは正反対の佇まいを見せていた。質素ながらも温かみのある木造家屋——薪のぱちぱちと弾ける音、窓辺で囀る小鳥たちの声、そして祖父の穏やかな話し声。すべてが、ユリウスの心をゆっくりと包み込んでいくようだった。
「ユリウス、顔色が良くなったな。王都での無理がたたったのだろう」
祖父は慈愛に満ちた眼差しでユリウスを見つめた。ユリウスは内心、その言葉に苦い笑いを浮かべる。病などではない。ただ、ここにいればゼノンに会うこともなく、あの苦しい恋心も薄れるはずだと——そう信じてこの地にやってきたのだ。
しかし、現実は甘くなかった。ゼノンへの思いが完全に消え去ることはなく、むしろ物理的に離れたことで、彼の存在がより一層大きく心の中に根を張っているのを感じていた。それでも、王都にいた時のような切迫した苦しみは和らぎ、今は仕事に打ち込むことで、その心の空洞を埋めようと必死だった。
「祖父上、この辺境の地も、まだまだ発展の可能性がございますね」
ユリウスは、祖父の領地の帳簿を眺めながら口にした。前世の記憶から得た知識は、この辺境の地でも大いに威力を発揮した。この土地特有の薬草を効率よく乾燥保存する技術を伝授したり、近隣の村々との連携を強化して流通ルートを最適化したり——公爵家の嫡男としての教養と、前世の営業で培った「顧客のニーズを的確に読み取り、実用的な解決策を提案する」スキルが見事に融合し、ユリウスはここでも目覚ましい成果を上げていた。
「いやはや、まさかお前がこれほど精力的に動いてくれるとはな。おかげでこの老骨も、まだまだ現役でいられそうだ」
祖父は満足そうに笑った。ユリウスもまた、仕事に没頭する充実感を味わっていた。これこそが、ゼノンへの恋を忘れるための最良の薬だと信じて。
辺境での「療養」とは名ばかりの、充実した日々が続いていた——ある日のことだった。
「ユリウス!」
聞き慣れた、しかしこの場所では決して聞くはずのない声が、静寂を破って響いた。ユリウスは手にしていた書類を落としそうになるほど驚愕し、慌てて窓へ駆け寄った。
そこに立っていたのは、紛れもないゼノン・シュヴァルツだった。
長旅で薄っすらと埃を被ってはいたが、その瞳には強い光が宿っており、どこか憔悴の色を見せるユリウスとは対照的に、生命力に満ち溢れていた。ゼノンの表情は普段の無表情とは明らかに違う——ユリウスを見つけた瞬間、安堵と怒りが入り混じったような、複雑な感情が浮かんでいた。
ユリウスは反射的に後ずさった。なぜ彼がここに? 王都で広まっているという噂を、ユリウスは知らなかったため、この状況が全く理解できなかった。
「ユリウス! なぜ休んでいない? なぜ、また仕事を……!」
ゼノンは家の中に駆け込んできた。その剣幕に、ユリウスは思わずたじろぐ。
「シュヴァルツ卿!? なぜあなたがここに……それに、何をそんなに怒っているのですか。私はただ……」
ユリウスが言葉を続けようとするが、ゼノンは彼の言葉を遮った。
「なぜ、こんな辺境の地でまで無理をしている! 休養が必要だと、王都では……!」
ゼノンの言葉に、ユリウスの困惑はさらに深まった。「無理?」「休養?」一体何の話をしているんだ。
有無を言わさぬゼノンの勢いに、ユリウスは抵抗することもできず、あっという間に腕を掴まれ、寝室のベッドへと運ばれてしまった。
「ユリウスには休養が必要だ。それなのに、なぜ休まない!」
ゼノンは、まるで言うことを聞かない子供を諭すように、ユリウスをベッドに横たえると、その顔を心配そうに覗き込んだ。彼の瞳には強い使命感と、ユリウスへの深い愛情——いや、それは愛情なのか友情なのか——が宿っているように見えた。
「ちょ、ちょっと待ってください、シュヴァルツ卿。私は決して無理など……」
「いや! 顔色は優れないし、以前とは別人のようだ。これまでの苦労が、きっと体を蝕んでいるのだろう……」
ユリウスは、ゼノンの言葉に唖然とした。自分が変わったのは、前世の記憶が混ざり合ったからだ。無理などしていない。だが、この特殊な事情を、どうやって彼に説明すればいいのか。混乱したユリウスは、言葉に詰まってしまう。
ユリウスが何も答えないことで、ゼノンの誤解はさらに深まっていく。
(やはり、何か隠しているのだろうか。無理をして、体調を崩してまで……!)
ゼノンはユリウスの額にそっと手を当てた。熱はない。だが、彼の顔色の悪さは、ゼノンの目には「深刻な疲労と体調不良」と映った。
「ユリウス。どうか、無理をしないでほしい。俺は……俺は、ユリウスに健康でいてほしいんだ」
その真摯な言葉に、ユリウスの胸が締め付けられた。ゼノンが、こんなにも真剣な眼差しで自分を見つめている。だが、その瞳に宿るのは憐憫と、友の不調を案じる深い優しさだけだった。恋する相手から向けられるその純粋な感情が、かえってユリウスの心を苦しめる。
「ユリウス。俺に何かできることはないか? 何か欲しいものや、やってほしいことは?」
ゼノンは必死にユリウスのためにできることを探していた。その一途な真剣さに、ユリウスは困惑しつつも、長年の片思いからくるある種の甘い衝動が、心の奥底から湧き上がってきた。
(シュヴァルツ卿が、私のために何かをしてくれる?……こんな機会は、二度とないかもしれない)
熱にうかされたように、ユリウスは唇を開いた。
「……ならば」
自分の声が、こんなにも震えていることに驚く。
「……そばに、いてほしい……」
その言葉が、まるで魔法の呪文のように、ゼノンの心の奥深くに響いた。ゼノンの表情に一瞬の驚きと、そして深い喜びが浮かぶ。ユリウスが自分にそんなことを望むとは。
「承知した! ユリウスの側に、必ずいる」
その日から、ゼノンによる謎の献身的看病生活が始まった。
ゼノンは、ユリウスが望んだ通り、文字通り彼のそばから離れようとしなかった。ユリウスが目覚めれば真っ先にその顔を覗き込み、食欲がないと言えば自ら辺境の新鮮な食材を調達し、滋養たっぷりのスープを手作りした。ユリウスが書物を読もうとすれば隣に腰を下ろして静かに付き添い、彼が疲れた様子を見せれば有無を言わさず休憩を促した。夜は、ユリウスが安らかな眠りにつくまで、ベッドサイドの椅子に座って見守り続けた。
ユリウスは、この異常な状況に戸惑い続けていた。ゼノンからの手厚い看病と、彼が自分を心配する真摯な眼差しに、胸が激しく高鳴る。
(まさか、シュヴァルツ卿が私のことを……)
長年の片思いが、彼の心を淡い期待で満たしていく。もしかしたら、ゼノンも自分に対して特別な感情を抱いてくれているのではないか、と。
しかし、ゼノンが口にするのは常にユリウスの「体調への気遣い」と「どうか健康であってほしい」という切実な願いばかりだった。
「ユリウス。俺は必ずユリウスが元気になれるよう守る。何としてでも、ユリウスを支えたい」
その言葉を聞くたび、ユリウスは期待と現実の狭間で揺れ動いた。これは恋情からくる行動なのか。それとも、親しい友の不調を案じる騎士としての純粋な義務感なのか。ユリウスの混乱は深まるばかりだった。
一方でゼノンは、ユリウスが「そばにいてほしい」と言った言葉を、体調を崩した友からの弱々しい願いだと完全に誤解し、その願いに全身全霊で応えようとしていた。
だが、この献身的な看病生活を通して、ゼノンの中で既に芽生えていたユリウスへの恋心は、より確固たるものへと深まっていった。日々の世話の中で垣間見るユリウスの繊細さや、時折見せる無邪気な一面に触れ、自覚した「愛情」が、今度は「この人なしには生きられない」という絶対的な想いへと昇華していった。
こうして間近で過ごす日々が、「この人を失いたくない」「この人のすべてを守り抜きたい」という強烈な使命感を、日に日に彼の心により深く刻み込んでいた。
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