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第6話:明かされる真実と再度のすれ違い
しおりを挟むゼノンとの「謎の献身生活」は、ユリウスにとって夢のような時間だった。ゼノンが隣にいる。自分のために尽くしてくれる——その事実だけで、ユリウスの心は甘い蜜で満たされていくかのようだった。彼の言葉のひとつひとつ、視線のひとつひとつに、ユリウスは淡い期待を抱いた。もしかしたら、この関係は自分が望む形へと発展するのではないか——そんな甘美な予感が、胸の奥で静かに脈打っていた。
しかし、ゼノンが口にするのはやはりユリウスの体調を案じる言葉ばかりだった。
「ユリウス、顔色がよくない。無理をするな」
「今日は風が強い。室内で書物を読め」
ユリウスが僅かに顔を曇らせれば、ゼノンはすぐに気づき、心配そうにその額に手を当てる。その手は大きく、温かかった。ユリウスは思わず、その手の温もりに身を委ねてしまう。木漏れ日が差し込む静かな部屋で、ゼノンの体温だけが、ユリウスの揺れ動く心を包み込んでいた。
ある夜、窓の外で秋虫が鳴く中、ゼノンはユリウスのベッドサイドに腰を下ろし、真剣な面持ちで口を開いた。
「ユリウス。俺は、このままではいけないと考えた」
ユリウスは胸を締め付けられる思いでゼノンの言葉を待った。やはり、この甘い時間にも終わりが来るのだろうか。
「ユリウスの体調は、一向に良くなっていないように見受けられる。王都の医師ではお手上げだとも聞いた。そこで、俺は決意した」
ゼノンの声には、かつてないほどの固い決意が宿っていた。
「俺は騎士を辞め、冒険者になる」
ユリウスは耳を疑った。
「……冒険者? 何を、馬鹿なことを言っているのです、シュヴァルツ卿」
「いや、馬鹿なことではない。ユリウスのその体調を根本から癒すため、伝説の秘薬を探し出す。どんなに険しい道であろうと、俺が必ずユリウスを救ってみせる」
ゼノンの言葉は、どこまでも真剣だった。彼の瞳には、ユリウスを救うという強い使命感が燃えている。その真摯な光に、ユリウスの心は激しく揺れた。
「……体調?」
ユリウスは、ゼノンの言葉を反芻しながら、次第にその真意を理解し始めた。「王都の医師ではお手上げ」「伝説の秘薬」——まさか、自分が重篤な病気だと思われているのだろうか。
「シュヴァルツ卿! 一体何を勘違いしているのですか!」
ユリウスは跳ね起きるようにベッドから立ち上がった。あまりの衝撃に、声が上ずってしまう。
「私は病などではありません! 伝説の秘薬が必要なほどの重篤な病など、とんでもない!」
ゼノンは驚愕に目を見開いた。普段の無表情な彼の顔に、動揺の色がはっきりと浮かんだ。
「しかし、王都では、ユリウスが不治の病で、療養のため辺境へ向かったという噂が……」
「なんでそんな噂が……?! いえ、それは単なる誤解です! 噂に尾ひれがついただけの、全くのでたらめです!」
ユリウスはゼノンの両肩を掴み、必死に訴えかけた。
「私が王都を離れたのは、確かに心身ともに疲弊していたからですが、それは病によるものでは断じてありません。そして、私が辺境へ来たのは……」
ユリウスは一瞬、言葉に詰まった。
「……これまでの自身のあり方を見つめ直すためです。その変化が、周囲には体調不良に見えたのでしょう。そして、私がこの地に来たかったのは、何よりも……」
ゼノンへの恋心を断ち切るため——その言葉は喉まで出かかったが、どうしても口にすることはできなかった。
ゼノンは混乱した表情でユリウスの言葉を聞いていた。しかし、ユリウスの必死な様子と、その瞳に宿る真剣さに、これまでの自分の思い込みが全て的外れであったことを悟った。
「そう……だったのか。俺は……てっきり……」
誤解が解けた瞬間、ユリウスの胸には安堵とともに、深い落胆が氷水のように流れ込んだ。
(ああ、そうか……)
ユリウスの心に、残酷な現実が鮮明に映し出された。ゼノンの献身的な看病も、優しい眼差しも、そっと額に触れてくれたあの大きな手の温もりも——全ては「友人の重病を心配する気持ち」から生まれたものだったのだ。自分が密かに宝物のように大切にしていた、あの甘い時間の全てが。
彼の「そばにいてほしい」という願いに応えてくれたのは、恋情からではなく、単なる「同情」。病人への憐憫だったのだ。
ユリウスは胸の奥で何かが音を立てて崩れ落ちるのを感じた。これまで心の支えにしてきた淡い希望が、跡形もなく砕け散っていく。木漏れ日の中で感じた幸福も、ベッドサイドで交わした言葉も、全てが虚構だったのだと思うと、息をするのも苦しくなった。
(私は……なんて愚かだったのか)
期待していた自分が、これほどまでに惨めに思えたことはない。相手の同情を愛情と勘違いし、病人扱いされることに甘んじていた自分が、心底嫌になった。
「……誤解が解けて何よりです。シュヴァルツ卿」
ユリウスの声は、急速に冷たくなった。秋の夜風のように、ひんやりとした響きを帯びた。もう二度と、この男の前で弱い姿を見せるものかと、心に誓った。
ゼノンはその変化に驚いた。先ほどまで、あんなに必死に訴えかけていたユリウスが、突然突き放すような態度を取ったのだ。
「ユリウス……?」
「もう、私の体調を案じて騎士を辞めるなどという馬鹿げた真似は無用です。安心なさったなら、すぐに王都へお戻りください。貴方には近衛騎士としての職務があるでしょう。ここに長居は無用です」
ユリウスはそう言って背を向けた。内心はゼノンの「献身」(それが同情に過ぎなかったという現実)にひどく動揺し、自分の期待が打ち砕かれた痛みで心が粉々になりそうだった。だが、プライドがそんな弱さを見せることを許さない。これ以上、ゼノンに憐れみの目で見られたくなかった。
ゼノンは突然のユリウスの冷たい態度に、言葉を失った。
「しかし、ユリウス。俺は……」
「何を言っているのです。貴方の職務は王都にあります。この辺境の地で、いつまでも時間を無駄にしているわけにはいかないでしょう」
ユリウスの声は、かつての「氷の貴公子」に戻っていた。その冷たい響きに、ゼノンは深く傷ついた。この冷たさが、また自分を突き放すためのものだと感じて。
(なぜだ? 不治の病ではないと分かって、双方の誤解も解けたはずなのに……なぜ、また俺を拒絶する)
ゼノンはユリウスの真意が全く読めなかった。自分のそばにいてほしいと弱々しく願っていたのは、幻だったのか。
ユリウスはゼノンが言葉に詰まっている隙に、さらに突き放した。
「心配をかけて申し訳ありませんでした。もう問題ありません。さあ、早く王都に戻って、職務にお励みください」
「だが……!」
「もう、馴れ合いなど必要ありません」
ユリウスの明確な拒絶の言葉に、ゼノンは立ち尽くすしかなかった。彼はユリウスの言葉に従うしかなかった。未練がましく見つめる彼の目に、ユリウスの冷たい背中が焼き付いていた。
翌朝、朝霧が立ち込める中、ゼノンは訳が分からないまま辺境の地を後にした。ユリウスが重い病ではなかったことに心底安堵したのも束の間、素直で甘えていたはずの彼が突然冷たく、そして以前よりもさらに厳しくなったことに、ただただ困惑するばかりだった。
王都へ戻る道中、馬上でゼノンは何度も振り返った。「何がいけなかったのか」「なぜ、またユリウスに避けられてしまうのか」——その答えの見えない問いが、胸の奥で重く響き続けた。
彼の中で深く自覚したはずのユリウスへの恋心が、再び宙に浮いたような感覚に陥っていた。愛しい人の心が、まるで霧のように掴めずにいた。
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