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第7話:再びの逃避行と告白
しおりを挟む王都へ戻ったゼノンは、依然としてユリウスのことで頭がいっぱいだった。ユリウスが重い病気でなかったことに安堵したのも束の間、彼の突然の冷たさがゼノンの心を深く抉った。なぜ、あんなにも親密な時間を過ごした直後に、まるで他人であるかのように突き放されたのか。その疑問が、胸の奥で渦を巻いていた。
(何がいけなかったんだ……? ユリウスは、俺にそばにいてほしいと、そう言っていたのに)
騎士としての職務は全うしていたが、その心は空虚だった。訓練中、剣を振る手が無意識に緩む。執務中、書類に目を走らせながらも、文字が頭に入らない。ふとした瞬間にユリウスの横顔が脳裏に浮かび、集中力を欠いた。王宮の石廊下に響く足音を聞くたび、反射的に振り返ってしまう。だが、そこに彼の姿はなく、ただ虚しい期待だけが残った。
休日になるたび、ゼノンは馬を駆り、辺境の地へと向かった。蹄の音が乾いた土を叩く。風が頬を切る。それでも構わない。ユリウスに会いたい。あの時の「そばにいてほしい」という言葉の真意を、もう一度確かめたい。そんな思いが、彼を突き動かしていた。
しかし、ゼノンが祖父の家を訪れるたび、ユリウスは彼を避けた。
「シュヴァルツ卿? 何の御用でしょうか。もう、私の体調を案じる必要などございませんよ」
ユリウスの声は氷のように冷たく、視線は決してゼノンと合わない。ゼノンが必死に話しかけようとしても、彼はすぐに執務室に籠り、扉の向こうに姿を消す。足音が遠ざかっていく。その徹底した避け方に、ゼノンの心はひどく傷ついた。
(また、嫌われてしまった。いや、以前よりもひどく、拒絶されている……)
◇
この状況に、ユリウスもまた苦しんでいた。ゼノンが来るたび、胸の奥が締め付けられるように痛む。せっかく辺境に来たのに、彼がここまで追いかけてくるようでは意味がない。この恋を断ち切るには、もっと徹底的に、彼と会わない状況を作り出すしかない。
(もう、この国を出るしかないのではないか?)
そう決意したユリウスは、辺境での滞在を切り上げ、グレンジャー公爵家に戻った。屋敷に漂う薔薇の香りも、今は重苦しく感じられる。そして、父である公爵に、再び面会を求めた。
「父上。この度、遊学をさせていただきたく存じます」
公爵は、ユリウスの突然の申し出に目を丸くした。
「遊学? お前はつい先日、療養のために辺境へ行ったばかりではないか。それに、この公爵家を置いて、どこへ行くというのだ」
ユリウスは静かに答えた。
「辺境での滞在では、どうにも気分が晴れず……。このままでは、また皆様にご心配をおかけすることになりかねません。国外へ出て、見聞を広め、精神を鍛え直して参りたく存じます」
ユリウスの言葉には、どこか追い詰められたような響きがあった。父である公爵には、彼の真意は読み取れない。ただ、ユリウスの様子がおかしいことだけは、ひしひしと感じられた。かつての完璧で傲慢なユリウスではなく、どこか影を帯びた、時に弱々しい表情を見せる息子の姿が、公爵の心を痛ませた。
「ユリウス……お前は、やはり疲れているのだな。当主代行としての重圧が、これほどまでにお前を追い詰めていたとは……」
公爵は、ユリウスの精神的な疲労が限界に達しているのだと誤解した。何でも完璧にこなしたいユリウスのために、よかれと思い仕事を任せた。だが、任せすぎていたことが、こんな結果を招いたのだ。そう思うと、何でも許してやりたくなる。
「分かった。お前がそこまで言うのなら、父は止めぬ。セドリックに公爵家のことは任せ、心ゆくまで見聞を広めてくるがいい。ただし、身の安全には十分配慮するように」
こうして、ユリウスの「遊学」が許可された。彼は、隣国へと旅立つ準備を始めた。ゼノンから完全に逃れるには、この国を離れるしかない。そうすれば、この苦しみからも解放されるはず。前世の記憶による客観的な視点があったにも関わらず、恋に溺れ周りが見えなくなったユリウスは、貴族としての自身の異常な行動を冷静に判断できずにいた。ただゼノンから遠ざかることだけを考えていた。
ユリウスが再び旅立つという噂は、王都を瞬く間に駆け巡った。
「グレンジャー殿が、また旅立たれるそうだ」
「今度は隣国へとか。やはり、ご体調が思わしくないのだろう」
「あのゼノン様が、辺境へ何度も見舞いに行っていたらしいが、結局、ご体調が回復されなかったのか」
噂は、再びユリウスの体調不良と結びつき、さらに悪い方向へと膨らんでいった。サロンでささやかれる憶測、廊下で交わされる視線。それらすべてが、真実とは程遠い推測ばかりだった。
この噂は、ゼノンの耳にも入った。
(ユリウスが、今度は隣国へ……? なぜ、また遠くへ行こうとする!)
辺境で誤解が解けたはずなのに、ユリウスの態度が急に冷たくなった理由が分からず、ゼノンは連日、ユリウスの邸を訪れていた。だが、ユリウスはゼノンを徹底的に避け続けていた。
そして、今度はこの国を出るという。
(なぜだ……なぜ、俺を避ける? このままでは、本当に二度と会えなくなってしまう……!)
ゼノンの頭は混乱した。しかし、ユリウスがこれ以上遠くへ行ってしまうことだけは、どうしても阻止しなければならない。二度と、彼を失いたくない。あの時、辺境で抱いた「ユリウスが好きだ」という確かな感情が、ゼノンの心を強く突き動かした。
ユリウスが隣国へ旅立つ当日。馬車がグレンジャー公爵家の門を出ようとした、その時だった。
「ユリウス! 待ってくれ!」
ゼノンの声が、朝の静寂を破って響き渡った。馬に乗ったゼノンは、文字通り、馬車の前に立ちはだかっていた。その表情は、いつになく感情的で、彼の硬い仮面が剥がれ落ちたかのようだった。
ユリウスは、馬車の窓からゼノンの姿を認め、眉をひそめた。
「シュヴァルツ卿。何の真似ですか。私はこれから旅立つのです。どうか、お引き取りください」
ユリウスの声は冷たかったが、内心は激しく動揺していた。こんな形で再会するとは。
「なぜだ! なぜ今度は隣国へ行こうとする!」
ゼノンは、馬から勢いよく降りると、馬車に詰め寄った。その瞳は、ユリウスの真意を問いただすかのように、真っ直ぐに彼を見つめていた。
ユリウスは、ゼノンの剣幕に、これまで押さえ込んできた感情が爆発しそうになるのを感じた。
(なぜ? なぜって、あなたから逃げるためでしょうが!)
理性よりも、感情が勝った。長年の片思い、そして辺境で抱いた淡い期待と、それが打ち砕かれた痛み。すべてが、ユリウスの口を衝いて出た。
「なぜ、ですって……! あなたに、あなたに会いたくないからです!」
ユリウスの言葉は、ゼノンの胸に深々と突き刺さった。ゼノンの表情が、絶望に染まる。
「……ユリウス……」
その瞬間、風が強く吹き荒れ、馬車の御者が手綱を強く握りしめた。ざわめく周囲の声を遮るように、ゼノンの瞳が、ユリウスの冷たい視線を射抜く。そこに迷いはなかった。ユリウスに拒絶された痛みよりも、彼を失いたくないという、魂の奥底からの強い思いが、ゼノンの口を開かせた。
「嫌だ! 行くな!」
ゼノンの声は、もはや騎士としての冷静さを欠いていた。それは、一人の男の、切実な叫びだった。彼の瞳は、かつてないほど激しく揺れ動き、その感情のすべてをユリウスに叩きつけるかのようだった。
「俺は……俺は、ユリウスを隣国へなど行かせたくない!」
ユリウスは、ゼノンの必死さに呆然とした。なぜそこまでして、自分を止めようとするのか。
「……なぜですか」
ユリウスの問いに、ゼノンは震える声で、しかし、はっきりと答えた。その声は、絞り出すような魂の叫びだった。
「……俺は、ユリウスを……愛している!」
告白の言葉が、王都の門前に響き渡った。
ユリウスの瞳が、大きく見開かれた。その場にいる公爵家の者たち、そして遠巻きに様子を見ていた人々が、皆、息をのんだ。彼らは、あの冷静沈着なゼノン・シュヴァルツが、これほどまでに感情を露わにする姿を、初めて目の当たりにしたのだ。
ユリウスの心に、雷が落ちたような衝撃が走った。
長年の片思いが、今、目の前で現実のものとなったのだ。混乱と、信じられないほどの喜びが、彼の心を駆け巡る。頭の中が真っ白になり、周囲の音も、景色も、何もかもが遠ざかっていく。ただ、ゼノンの、必死で、しかし切なさに満ちた瞳と、その告白の言葉だけが、ユリウスの心を占めていた。
彼の唇が、微かに震える。それは、歓喜からか、それとも混乱からか、ユリウス自身にも分からなかった。
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