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第5話:『濃やかな寵愛、それは甘い檻の始まり』
しおりを挟むゼルフィードとの奇妙な共同生活は、いつの間にか蓮にとって、かけがえのない日常となっていた。
ゼルフィードは相変わらず無口だった。感情の読めない瞳の奥に、蓮への深い執着を静かに湛えている。この邸宅で過ごす日々は、外界の喧騒から切り離された、静かで安らかなものだった。
蓮は気づいていた。ひ弱な自分を気遣い、そっとそばに寄り添ってくれるゼルフィードに対し、無意識のうちに「もっと構ってほしい」「特別扱いされたい」という、ささやかな願望を抱き始めていることに。
それは前世から漠然と抱えていた、自己肯定感の低さからくるものだったのかもしれない。誰かに完璧に認められ、必要とされたい。その根源的な欲求が、ゼルフィードの深い愛によって、少しずつ満たされていくのを感じていた。
ある日の午後。
邸宅の図書室で、ゼルフィードが読書をしている傍らで、蓮はぼんやりと窓の外を眺めていた。石造りの窓枠から差し込む午後の日差しが、古い絨毯に斑点模様を描いている。貴族の館にいた頃は、甘いものといえば決められた時間にしか口にできなかった。
ふと、そんなことを思い出し、蓮は小さくため息をついた。
「甘いものでも食べられたらいいのに……」
独り言というより、無意識に漏れた呟き。
だが、その瞬間——ページをめくる音が止まった。蓮が振り返ると、ゼルフィードが既に書物を閉じ、立ち上がろうとしているところだった。紫の瞳が、一瞬蓮を捉える。何か言いかけた蓮を、彼は軽く手を上げて制し、そのまま足音もなく部屋を出て行った。
数時間後。
ゼルフィードが戻ってきた。その手には、見たこともないほど瑞々しい果物と、琥珀色に輝く蜜の入った小さな壺があった。果物はどれも手のひらよりも大きく、芳醇な香りがあたりに漂う。指につけて舐めた蜜は、口の中に優しい甘さを広げて、蓮は思わず目を細めた。
森の奥深く、人里離れた場所で、よくこんな希少なものを見つけてきたものだ。
ゼルフィードは、蓮が静かに味わっているのを見ると——わずかに口角を上げて、満足げな表情を見せた。
また別の日には、夜になって気温が急に下がった。
ひ弱な蓮の体は、すぐに冷え切ってしまう。暖炉のある部屋にいたにも関わらず、石造りの邸宅の冷気は容赦なく肌を刺した。
「寒い……」
蓮が震え声で呟くより早く、ゼルフィードは既に蓮の元に歩み寄っていた。言葉を交わすことなく、彼は蓮の腕を取り、邸宅の奥へと案内する。そこは、普段は使われていない古びた広間だった。
ゼルフィードが指を鳴らす。
瞬時に広間の真ん中に温かい暖炉が現れ、パチパチと薪が燃える音が響き渡った。魔法による炎は自然な温もりを放ち、冷え切っていた蓮の体を優しく包んでいく。さらに、ゼルフィードは別室から柔らかな極上の毛皮を持参し、蓮のために暖かく心地よい空間を作り出した。
毛皮は銀色に輝く美しいもので、触れるとまるで生きているかのような温かさがあった。蓮がそこに身を預けると、ゼルフィードは自然な動作で蓮を毛皮で包み込み、そっと隣に腰を下ろした。
ある満月の夜のこと。
澄み切った空に、無数の星が瞬いていた。蓮は窓から夜空を眺めながら、ふと前世でプラネタリウムに行った時のことを思い出した。人工的な星空も美しかったが、この世界の本物の星空はそれをはるかに上回る輝きを放っている。
「この星空を、もっと開けたところで見られたら……」
蓮の言葉が終わらないうちに、ゼルフィードは既に立ち上がっていた。戸惑う蓮に向かって手を差し出すと、有無を言わさずその体を抱きかかえる。そのまま邸宅の外へ出ると、風を切るような速さで森の中を進んだ。
やがて視界が開ける。
森を見下ろすことのできる、小高い丘の頂上だった。頭上には、吸い込まれるような満天の星空が広がっている。街の灯りも雲もなく、ただただ美しい星々が輝いていた。ゼルフィードは岩に腰を下ろすと、蓮を膝の上に乗せるように抱きかかえた。
夜風は冷たかったが、ゼルフィードの腕の中にいると不思議と寒さを感じない。蓮は、その腕の中で満点の星空を心ゆくまで堪能した。時間の感覚を忘れて、ただひたすらに美しい光景を見つめ続けるだけだった。
ゼルフィードの行動は変化していた。
単なる「世話」から、明らかに蓮を甘やかし、喜ばせようとする「溺愛」へと。蓮が発する小さな望みや、わずかな不快感にも敏感に反応し、それを過剰なまでに叶えようとする。彼の紫の瞳には、蓮への明確な執着と、彼を満足させることへの静かな喜びが宿るようになっていた。
蓮の望みを叶えた時のゼルフィードの表情は——どこか安堵したようでありながら、同時に、まだ足りないとでも言うような深い渇望を秘めているようにも見えた。それは、蓮への愛が、彼にとってどれほど深く、そして重いものなのかを物語っていた。
蓮は、ゼルフィードの過剰なまでの溺愛に、最初は戸惑いを覚えた。ここまで甘やかされることに慣れていなかったからだ。
しかし、次第にその居心地の良さと、自分が「世界で一番大切にされている」という感覚に、抗いがたい幸福を見出すようになっていった。
前世では平凡で、特に秀でたものもなかった自分。この世界に転生してからも、ひ弱で、貴族社会では「お飾り」のように扱われていた自分。そんな自分が、ゼルフィードという強大な存在から、これほどまでに求められ、溺愛されている。
それは、蓮の深層にあった承認欲求を完全に満たすものだった。彼の独占的な愛は、蓮を甘く包み込み、その存在を肯定してくれる。この状況に、蓮は漠然とした心地よさを感じていた。
ゼルフィードの愛は、時に重く、どこか底知れない恐怖を感じさせるものだった。蓮にとって、ゼルフィードはかけがえのない存在であり、唯一の安心できる人だった。この胸の奥で感じる温かな感情が何なのか、蓮自身もまだはっきりとは分からずにいた。
夜。
蓮はゼルフィードの腕の中にいた。広い邸宅の寝室で、大きなベッドの上に敷かれた柔らかな毛布の中、ゼルフィードは蓮を抱きしめ、温かく包み込んでいる。肌寒い森の夜でも、ゼルフィードのそばにいれば、蓮はいつも穏やかな気持ちでいられた。
蓮は、ゼルフィードの胸に顔を埋めながら、深いため息をついた。
このままずっと、ここにいられたら。外界のしがらみや、誰かの期待に縛られることなく、ただゼルフィードの隣で、静かに過ごせたら。そんな願望が、蓮の心を満たしていく。
ゼルフィードは、そんな蓮の安らかな表情を、静かな瞳で見つめていた。時折、蓮の髪を優しく撫でる彼の手つきは、何か壊れやすいものを扱うような慎重さがあった。そして、ほんの微かに、口角を上げて微笑む。
それは、喜びを表現するというよりも、蓮の存在が彼を潤し、満たしていることを示す——かすかな反応だった。
ゼルフィードの蓮への想いは、もはや隠しようがないほど深いものになっていた。そして、蓮もまた、その深い愛情の中に、自分だけの幸福を見出し始めていた。
甘く、重く、そしてどこか危険な、二人だけの世界は深まっていく。
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