【16+4話完結】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜

キノア9g

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第6話:『貴族の軛を断ち切り、選んだ僕だけの安息地』

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 ゼルフィードの深い寵愛に包まれて、蓮は森の奥の邸宅で穏やかな日々を過ごしていた。外界の喧騒、貴族社会のしがらみ──それらとは無縁の、まるで箱庭のような二人だけの世界。ゼルフィードの行動は常に蓮を中心とし、その小さな望みすらも過剰なまでに叶えようとする。そんな彼の姿に、蓮は究極の幸福と、絶対的な安心感を得ていた。

 朝。蜂蜜の甘い香りが漂う紅茶で始まる一日。昼には森で摘んだ野いちごを、二人で無言のまま分け合う。夜は暖炉の前で静かに寄り添って過ごす。ゼルフィードは多くを語らない。けれど、その無言の優しさが蓮を深く包み込んでいた。何気ない日常の一つ一つが、蓮には宝石のように輝いて見えた。

 しかし、穏やかな日々は、突如として破られた。

 蓮が森に入ってから、すでに数ヶ月が経過していた。貴族の館では、蓮の行方不明が大きな問題となっていたのだ。特に、蓮の美貌を利用した政略結婚の計画が滞っていることに、家族は焦燥感を募らせていた。何度も派遣された捜索隊。だが、ゼルフィードの結界に阻まれ、誰も森の奥深くまでは辿り着けずにいた。

 家族の執念は、しかし、並々ならぬものがあった。

 高位の魔導師を雇い、古い魔術書を紐解き――ついに結界を破る手段を見つけ出したのだ。

 ある日の午後のことだった。蓮がゼルフィードと共に、邸宅の裏手にある小さな泉で水浴びをしている時。陽光が水面で踊り、鳥たちのさえずりが心地よく響く。いつもと変わらぬ平和な午後のはずだった。

 突如として、森の奥からざわめきが聞こえてきた。

 複数の人間の声、そして、金属がぶつかり合うような音。ゼルフィードの結界に、何かが激しく打ち付けているかのような、不穏な魔力の波動が空気を震わせる。

 ゼルフィードの表情が、一瞬で凍りついた。

 その瞳の奥に、かつて侵入者を排除した時と同じ、冷たい怒りの光が宿る。しかし、それ以上に──蓮を失うかもしれないという恐怖が、その美しい顔を歪めていた。

「……何者かが、結界を破ろうとしている」

 ゼルフィードは、蓮をかばうように、その腕を強く引いた。蓮は、ゼルフィードのただならぬ気配に、胸騒ぎを覚える。彼の手が、わずかに震えているのを感じ取った。

 やがて、魔力の光と共にゼルフィードの結界が破られ、数人の男たちが森の木々をかき分けて姿を現した。彼らは皆、豪華な装束を身につけ、護衛らしき屈強な男たちを従えている。先頭には、見覚えのある魔導師の姿もあった。

 その顔を見て、蓮は血の気が引くのを感じた。

 父だ。そして、兄、さらには政略結婚を推進していた、いとこの老貴族までもがいた。彼らの顔には、焦燥といらだち、そして蓮を見つけた安堵が複雑に入り混じっている。

「レンオリス! ついに見つけたぞ!」

 父が、感情的な声で叫んだ。その声は純粋な安堵よりも、蓮がようやく見つかったことで、彼らの計画が再び動き出せることへの喜びの方が勝っているように蓮には聞こえた。

 彼らの視線がゼルフィードに向けられると、一瞬の沈黙が流れた。その超人的な美しさと、ただならぬ雰囲気に、誰もが息を呑んだ。

「お前は何者だ? 我が息子に何をした?」

 父の声に警戒が混じる。魔導師が何かを感じ取ったのか、杖を構えて身構えた。

 ゼルフィードは、蓮を自分の背後に隠すように庇い、彼らを警戒する目で睨みつけている。その冷たい視線に、男たちは本能的な恐怖を感じた。森の主の威圧感が、空気そのものを重くしていた。

「さあ、レンオリス。もう帰ろう。いったい何をしていたのだ、こんな危険な森で」

 兄が、咎めるような口調で言った。その声には、心配よりも、迷惑をかけられたという不満が滲んでいる。

「家族皆が心配しているのですよ。それに、あなたの婚約も正式に決まりました。ヴァンダルハイム侯爵家との縁組です。貴族としての務めを果たさねばなりません」

 老貴族が、値踏みするような目で蓮を見た。その言葉には、蓮の意思を尊重する気持ちなど微塵もなく、ただ家名と利益を優先する、貴族社会の冷酷な論理が色濃く反映されていた。

 蓮は、彼らの言葉を聞きながら、心の中で前世の記憶を鮮明に思い出した。平凡だった自分。そして、この世界に転生してから、ひ弱な体質ゆえに常に劣等感を抱き、貴族としてのしがらみや、政略結婚という道具としての期待に苦しめられてきた日々。

 彼らは蓮の美貌だけを評価し、その内面や感情など、どうでもよかったのだ。

 彼らの言葉は、まるで自分に向けられた鎖のように感じられた。自由を奪い、本来の自分を押し殺して生きることを強制する──錆びついた重い鎖。

 その一方で、蓮の傍らには、ゼルフィードが立っていた。

 彼と出会ってからの日々は、蓮にとって生まれて初めての、本当の安心感に満ちていた。何も求めず、ただひたすらに蓮を甘やかし、無条件に大切にしてくれる。その心地よさを、蓮は痛いほどに感じていた。

 ゼルフィードの愛は重い。しかし、その重さは、蓮にとって心地よい重さだった。外界の全てのしがらみから守ってくれる、温かく、そして絶対的な重さ。

 蓮は、深く息を吸い込むと、ゆっくりとゼルフィードの隣に立った。

 家族に目を向けたその瞳には、これまでの迷いはもうなかった。

「僕は、ここから離れません」

 蓮の声は、決して大きくはなかったが、澄んでいて、確固たる意志に満ちていた。

「ここが、僕の居場所です」

 その言葉に、父や兄の表情が驚愕に変わる。

「もう、政略結婚も、貴族の務めも、僕には関係ありません。僕は……ゼルフィードさんの傍にいます」

 蓮は、ゼルフィードの腕をそっと掴んだ。その指先から伝わる彼の体温が、蓮の心に確かな決意を与えてくれる。これは、外界の束縛から解放され、ゼルフィードの傍が自分にとって唯一の安全な場所であるという「居場所の選択」だった。まだ言葉では表現できない複雑な想いがあったが、蓮にとって、これ以上ないほどの覚悟が込められた言葉だった。

 蓮の明確な拒絶の言葉に、家族は激しく戸惑い、憤りを露わにした。

「何を馬鹿なことを言っている! お前は我が家の次男だぞ!」

「その男に惑わされているのか! 正気を取り戻せ!」

 父が怒鳴り、護衛たちが剣を抜いて蓮に近づこうとする。魔導師も呪文を詠唱し始めた。

 その瞬間──

 ゼルフィードの瞳に、これまで見せたことのない、冷徹で暗い怒りが宿った。彼の表情は、一瞬にして感情を失い、まるで凍てついた氷の仮面を被ったかのようだった。蓮に触れようとし、魔法で害を与えようとする彼らの行動を、「蓮の意思と自身の領域への重大な侵犯」と見なしたのだろう。

 空気が凍りつくような殺気が森全体を覆った。

 鳥たちが一斉に鳴きやみ、風すらも止まったかのような静寂が訪れる。

 ゼルフィードは、一切の躊躇なく動いた。

 指を鳴らす。地面から漆黒の茨が瞬時に伸びて、護衛たちの足首を絡め取る。魔導師の杖が茨に巻き取られ、詠唱が中断された。彼らが悲鳴を上げる間もなく、茨は彼らを容赦なく森の奥へと引きずり込んでいった。

「ひ、ひぃっ……! 助けて……!」

「化け物が……!」

 護衛たちの絶叫が森の奥に響いて、やがて静寂に飲み込まれた。

 貴族たちも、恐怖に顔を歪めながら、蓮に近づくことを完全に諦めた。ゼルフィードの放つ、底知れない魔力と殺気が、彼らを完全に怯えさせていた。

「この者は……我が領域の住人だ」

 ゼルフィードは、静かに、しかし有無を言わせぬ絶対的な声で告げた。その声は森全体に響き渡り、まるで大地そのものが語りかけているかのようだった。

「二度と、この森に足を踏み入れるな。次は命はない」

 その言葉と共に、地面から無数の枯れた枝と茨が伸び、貴族たちと蓮の間を完全に隔絶した。それは、森の主としての絶対的な力による、蓮以外の全てを寄せ付けない「拒絶の壁」だった。

 貴族たちは、もはや蓮を連れ戻す術がないことを悟り、顔面蒼白のまま、来た道を慌てふためいて引き返していった。後ろを振り返ることもできず、ただ逃げるように森から去っていく。

 彼らは、蓮を完全に「失われた者」として諦めざるを得なくなったのだ。


 外界の脅威が去った後、しばらくの間、森には重い沈黙が流れていた。

 ゼルフィードの殺気も次第に収まり、茨の壁も土に還っていく。

 ゼルフィードは無言で蓮を抱き締めた。その腕は震えており、彼がどれほど蓮を失うことを恐れていたかが伝わってきた。

 蓮は、その腕の中で、安堵と共に、胸の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じていた。ゼルフィードへのこれまでの感情が、単なる安心感や依存だけではない、より特別で深い「何か」であることを、はっきりと自覚し始める。

 彼の重い腕。静かな眼差し。そして、外界の全てを排除してまで、自分だけを求め、守ろうとするその姿勢に──蓮の心は激しく揺さぶられた。

 自分に向けられる、こんなにも深く、重い愛。全てを包み込み、外界から隔絶し、自分だけを求める。この胸の高鳴りと、彼を失いたくないという強い想いは、一体何なのだろう。戸惑いと、その疑問が、蓮の胸に募る。

 しかし、それを言葉にするには、まだ勇気が足りなかった。

 ゼルフィードは、蓮が自分を選んだことに、深い満足感を覚えているようだった。しかし、その瞳には、ほんの僅かに不安げな光も宿っていた。まるで、この幸福な瞬間が、いつか壊れてしまうのではないかと恐れているかのようだった。

「蓮……」

 ゼルフィードが、初めて蓮の名前を呼んだ。その声は、かすかに震えていた。

「もう、誰にも渡さない」

 その言葉には、愛と同じくらい深い、独占欲が込められていた。それは少し怖いほどに重い愛だったが、蓮はそれすらも心地よく感じている自分に気づいた。

 蓮は、ゼルフィードの胸に顔を埋めながら、「ここが僕の居場所だ」と心の中で再確認する。だが、ゼルフィードへの自分のこの「特別な気持ち」が一体何なのか、まだ完全には答えが出せないまま──混乱と甘い期待を抱いて夜を迎えるのだった。

 外界から完全に隔絶された、二人だけの世界で。

 月光が二人の姿を優しく照らし、森は再び静寂に包まれた。しかし、蓮の心の中では、新しい感情が芽生え始めていた。それは恋という名の、美しくも危険な花だった。
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