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第2話|異世界から来た社畜勇者(過去回想の始まり・勇者視点)
しおりを挟む──二十連勤目だった。
始発で出勤し、終電を逃してタクシー帰宅。
そんな生活が、もういつから続いていたのかもわからない。
スーツの襟は擦り切れ、靴は雨に濡れて乾ききらず、顔は見事なまでにクマで彩られていた。
それでも、歯を食いしばって会社へ向かうしかなかった。
上司に理不尽に怒鳴られ、得意先に詰められ、後輩の尻拭いをしながら、それでも──
(俺がやらなきゃ、誰がやるんだ)
そんな一心で、今日もエナドリをおともに、パソコンに向かっていた、はずだった。
──気づけば、知らない場所に立っていた。
高い天井、金糸を織り込んだ豪奢なタペストリー、燦然と輝くシャンデリア。
足元の大理石は、疲れた靴底にはもったいないほど白く、艶やかに光を反射している。
どこか花の香りすら漂う空間。
目の前には、見慣れない衣装に身を包んだ男女がずらりと並び──
「異世界よりの勇者よ、よくぞこの地に顕現された!」
──は?
乾ききった脳が、現状を把握するより先に限界を告げた。
王座に座る初老の男──たぶんこの国の王だろう──が、重々しく俺を見下ろしている。
その隣には、凛とした美貌を湛えた姫君が立っていた。
だが。
ヨレヨレのスーツ、クタクタの顔面、灰色に濁った目。
そんな俺を一目見た王族たちは、まるでゴミでも見るように顔をしかめた。
「……なんだ、あれが勇者か」
「これでは魔王に勝てるどころか、門番すら突破できまい」
失望と侮蔑の声が、遠慮もなく響く。
──ああ、なるほどな。
こっちでも、俺は期待外れか。
心の中で、何かがぽきりと音を立てた。
王族たちは興味を失ったように視線を逸らし、側近らしき者たちも、俺を露骨に鼻で笑う。
早々に俺を『失敗作』と見限ったその様子に、憤りすら湧かなかった。
ただ、冷たく、静かに心が乾いていく。
会社でも、学校でも、家でも。
俺はいくら頑張っても、いや、頑張れば頑張るほど、「いてもいなくてもいい存在」だった。
──異世界でも、俺はこんな扱いか。
お前たちが、俺を求めたんじゃないのかよ。
視界がふらりと傾ぐ。
転移の衝撃、過労、心の疲弊──すべてが重なって、俺の身体はもはや支えを失っていた。
崩れるように膝をつき、意識が暗く沈もうとした、そのとき。
ふわりと、あたたかな腕に抱き留められる。
「……大丈夫、ですか?」
そっと、優しい声が降ってきた。
ぼんやりと顔を上げる。
そこには、小さな手が、そっと差し出されていた。
細く白い指先、柔らかな銀色の髪。
透き通るような青い瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。
──天使だ。
意識を手放す寸前の脳は、本気でそう思っていた。
◇◇◇
目を覚ましたとき、俺はふかふかのベッドに寝かされていた。
見上げた天蓋は、陽だまりのようにあたたかく、カーテンから差し込む光は柔らかい。
シーツからは、清潔で少し甘い香りがした。
あまりにも心地よくて、ふと、現代でのボロアパート暮らしを思い出す。
剥がれかけた天井、カビ臭い布団──ああ、夢でも見ているのかもしれない。
「目、覚めましたか?」
小さな声がして、横を向く。
そこにいたのは、倒れる寸前に手を差し伸べてくれた──
「……天使……?」
思わず、無意識に声が漏れた。
銀糸を織り込んだみたいな髪。
澄んだ青の瞳。
冬の朝日にきらめく雪の結晶みたいな美しさだった。
儚げで、それでいて、どこか懐かしい。
こんな存在、現実にいるわけがない。
ふわりと、その天使は微笑んだ。
一瞬で、胸が焼かれるようなときめきが走る。
それはまるで、寒い夜に灯った暖炉の火を見つけたみたいに。
この凍えきった世界に、たった一つだけ差し出された、温もりだった。
「リュシアン・セレスタイトと申します。……第三王子ですが、どうぞお気になさらず」
王子?
──男子?
──は?
まだどこか夢見心地だった脳が、突然ぐるぐると回り出す。
いやいやいや、こんな綺麗な人が男なわけないだろ……。
無意識に俺は、上から下まで彼を見つめた。
しなやかに伸びた睫毛。
すべらかな頬。
細くて華奢な手首。
広がる銀髪は、かすかに甘い花の香りがした気さえする。
──これはどう見ても女子、だ。絶対に。
訳あって男子と名乗ってるだけだなこれは。よくある。異世界だし。たぶん。
そう自己完結し、納得した。
もう一度、彼──いや、姫様を見上げる。
綺麗すぎるその青の瞳が、まっすぐに俺を見下ろしていた。
その視線は、やわらかく、あたたかく、どこまでも優しい。
(……ああ、恋をすると、世界に色がつくとはよく聞くけれど)
心臓が、ドクンと音を立てた。
──俺はこの人に、一目惚れしたらしい。
◇◇◇
それから一週間。
リュシアン殿──いや、姫様は、誰よりも献身的に俺を看病してくれた。
食事を運び、薬を飲ませ、夜中のうなされる俺の額を拭ってくれる。
何度もベッドサイドに座り、寝ぼけてうわ言を呟く俺の手を、そっと握ってくれた。
異世界の王族が、異世界の勇者(しかも社畜くたびれスーツ)の世話をしている。
本来ならば、あり得ない構図だった。
それでも──
俺は、夢でも見ているような日々に、心を溶かされていった。
こんな優しい世界が、あっていいのか。
俺みたいなボロ雑巾に、こんな手を差し伸べてくれる人が、いていいのか。
何度もそう思った。
そしてそのたびに、そっと胸に手を当てた。
そこには、確かに、姫様がくれた「救い」が息づいていた。
──まだ、何も始まっていないけれど。
それでも、この時、俺はもう、決めていたのかもしれない。
姫様だけは、絶対に守り抜く、と。
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